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信長は油断しすぎたのでしょうか。

大河ドラマの最後だけ見ましたが、信長は光秀に討たれるとは全く考えていなかったのでしょうか。

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  • eroero4649
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回答No.1

旧日本軍で例えるなら、日本軍の最終的な総司令官は天皇です。その天皇を守るのが、近衛師団です。 織田信長が総司令官なら、その近衛師団長が明智光秀だったのです。そんな人が裏切っちゃったらどうしようもないでしょ?もし万が一何者かが信長の命を狙うようなことがあったとき、真っ先に駆けつけて信長を警護する役目が光秀です。 なので本能寺の変のとき、自分のところにやってきたのが明智光秀の軍勢だと知った信長は「是非もなし(しょうがない)」といったのです。 この「是非もなし」をどう解釈するかは意見が分かれるでしょうが、「俺が一番信じてた光秀が裏切っちゃったなら仕方がない(あるいはもう助からない)」というニュアンスは必ずあったと思います。 近年の光秀ブームで様々なことが分かってきたのですが、やっぱり私が一番興味深いのは「敵は本能寺にあり」と光秀が宣言したときに光秀の家臣団にいささかの動揺もなかったということですね。 どうも家臣団は「遂に来たか!」と思ったようです。そして山崎の合戦に敗れるまで、誰一人として光秀を裏切りもしませんでした。山崎の合戦前に大勢はほぼ決していたんですね。だから筒井順慶も細川幽斎も光秀の味方にならなかったのです。それは家臣団も薄々感じてたはずですが、誰一人として「いやウチの殿がそんなこというから従わざるを得なかったんですよ~」といって秀吉につかなかったのです。

kaitara1
質問者

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ただ信長ほどの経験と頭脳の持ち主が光秀の心情を疑わなかったというのがやはり理解できません。光秀も顔に何のそぶりもみせなかったということでしょうか。

その他の回答 (5)

  • jkpawapuro
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回答No.6

>信長という人はアイディアをほかの人から得たという自覚がなかったのでしょうか。 それをよく知ってるから秀吉と光秀を破格の待遇にまで引き上げたんです。 ただ私が思うに信長は所領を与えるとか金銭的な部分とかで人に報いることはあっても、自分を絶対神と思いすぎて礼儀や約束や尊重といった人付き合いを知らないのです。

kaitara1
質問者

お礼

人の能力を利用してもその人の心は理解していなかったということでしょうか。

  • jkpawapuro
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回答No.5

女房役・・・それにあたる人は必要とすればいたはずです。 女房役→丹羽長秀・・・常にそばにおき相談役とした重臣も信長死後織田を裏切り秀吉につく。 筆頭家老→林通勝・・・隠居令でさえなく晩年に謎の追放。 最古参→佐久間信盛・・・柴田勝家初め家中皆が弟につき信長に逆らった時代から信長に付き従って重臣も追放 要はこうと思うと誰の言うことも聞かないスーパーワンマンなんです。諫言しても通じないし側の人も追放してしまうか皆離れてしまう。最後まで信長・織田家に殉じた重臣はお市の方と縁組した柴田勝家一人です。

kaitara1
質問者

お礼

信長という人はアイディアをほかの人から得たという自覚がなかったのでしょうか。

  • oska2
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回答No.4

>大河ドラマの最後だけ見ました 今回のNHK大河では、光秀が正しい様に描かれていますよね。 この脚本は、昭和の時代では100%不可能でした。 なにしろ、暗に天皇からの指示を示唆しているのですから・・・。 まぁ、真実の事は誰にも分かりません。 光秀の傍系子孫が書いた本も、あくまで「光秀は正しい」説だけです。 >信長は光秀に討たれるとは全く考えていなかったのでしょうか。 記録に残っている限りでは、疑っていなかったのでしようね。 苺パンツ(1582年)に、まさか京で討たれるとはね。 当時の本能寺の場所・信長の宿泊場所・警護の家臣数も、全く防御性がありません。 光秀と信長は、過去に何度も衝突していますよね。 が、最終的には「光秀は、信長の命令を全て実行し成果をあげている」のです。 延暦寺攻撃でも、信長の命令通り「僧兵だけでなく、老若男女皆殺し」を行っていますよね。 対して秀吉は、僧兵を除いて比叡山から逃がしています。 当時の京では「秀吉側に逃げれば・・・光秀の残虐な・・・」と話が残っています。 信長としては、まさか!だったのでしようね。 その為に、事前に「毛利と戦っている秀吉軍への援軍合流」を命じたのです。 今までの光秀の行動から、若干安心していた可能性もありますね。 ただ、少しの不安はあった用ですね。 「さもありなん」 本当にの信長が言ったのなら、光秀に討たれる可能性も考えていたのでしよう。

kaitara1
質問者

お礼

真相は別にしても、この事件が大きいものだったことは確かですね。

  • eroero4649
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回答No.3

#1です。 >ただ信長ほどの経験と頭脳の持ち主が光秀の心情を疑わなかったというのがやはり理解できません。 あらあら。信長は浅井長政にも袋のネズミにされかけているし、松永久秀には何度も煮え湯を飲まされているし、荒木村重にも裏切られています。荒木村重の謀反は直接的には信長に危険はありませんでしたが、毛利がもっとやる気があったら秀吉が滅ぼされたくらいになった可能性は十分あります。 信長は超理系人間だから、他人の心情をおもんぱかるのは苦手ですよ。それができたら少なくとも浅井長政に裏切られることはなかったでしょう。信長の命が最大限にピンチだったのは、桶狭間のときではなく浅井長政に裏切られたときですよ。

kaitara1
質問者

お礼

なる程、ご教示をもとに勉強しなおします。

  • jkpawapuro
  • ベストアンサー率26% (816/3045)
回答No.2

まあ100%油断してたのは事実でしょう、光秀に自分の活動する畿内の軍事権を与えていたわけですから。 ただなんというか、信長は根本的に自分が神かなにか、あるいは自分は決して死なない根拠のない自信でも持ってて生きていたように思えます。 一つは神仏を全く恐れぬ振る舞い、もう一つは戦ぶりです。 信長は桶狭間と天王寺の戦い、二回も自ら兵を率いて無謀な突撃をして戦況をひっくり返してます。桶狭間は存亡の危機だったということかもしれませんが、天王寺の戦いは負けたらそりゃあ本願寺との戦いが劣勢、摂津の支配権取れず、天下統一事業が滞るとはなりますが、これでただちに家が傾く・つぶれるといった戦いではありません。それでも自ら鉄砲傷も負うほど危険な戦いをして勝利をむしり取っています。 なんというかリスクヘッジしないままロシアンルーレット回しまくって、最後に当たりを引いて死んだといった感じの生きざま・死に様に見えます。

kaitara1
質問者

お礼

いわゆる女房役に相当する人材に恵まれなかったということでしょうか。