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明智光秀の魅力とは?
- 明智光秀のイメージを知りたいです。
- 大河ドラマ「麒麟がくる」の明智光秀はいまいちピンとこないです。
- 明智光秀の人物像が明確に理解できないので、どういう感じなのか教えてほしいです。
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どの「説」をもって、明智像にしているのか?でしょう 最後にわかるかと思いますが、最大の謎である「信長を討った理由」に様々な説があり、どの説を大河が採用するのか?だと思います そこに向けての人物像でしょうから、今の時点でピンと来る人は少ないとは思います そして、今回の大河の最後の謎として、果たして光秀は死んだのか?生きてその後も生き続けたのか?も明かされていません そこが分かってやっと、描きたい光秀っぽさ?が描かれると思います まぁ必要に家康との関係に焦点を当てていますから・・・そこでしょうね
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- tzd78886
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大河ドラマというのは実在の人物(架空の人物のこともある)を脚本家が駒のように使って作り上げたフィクションです。信頼できる記録というのはごく限られていてしかもそれを無視して独自の設定にすることも多く、本当にどんな人物だったかなんて分かるはずもないのです。戦国時代の人物をテーマにした作品というのは太平の時代になって当時の人物がほぼいなくなったころに歌舞伎や演劇のテーマとして造られた作品が基礎になっていることが多く、当然実際に知っている人物など制作に携わってはいません。
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- longrailjpn2018
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滋賀の石田三成と似ていますが、明智家は名門の出ですね。 やはり暴君である信長を倒したとか。
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- eroero4649
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「目立たない」「イメージがない」のが明智光秀らしさなのではないでしょうか。黒子に徹することができる人だったのではないかなあ。いわゆる参謀タイプであるのは間違いないでしょう。 本能寺の変を起こすとき、光秀の家臣団は突然それをいわれたはずなのに、誰も光秀を裏切って信長に密告しておらず、その後もあの秀吉を相手にして誰も家臣団が裏切っておらず光秀と運命を共にします。あの人たらし秀吉からの調略がなかったと考える方が不自然です。 つまり家臣団は光秀に対する揺るぎない忠誠心がありました。私は「敵は本能寺にあり」といわれたときの家臣団は「えっ?マジすか!?」ではなく「やはり。ついに来たか」って気持ちだったのではないかと推測しています。何しろ本能寺の変の仕事に抜かりがないですからね。 戦国時代は「これは頼りにならない」と思われたら平気で裏切られ、見限られる時代でした。だから、光秀は家臣からとてつもなく慕われていたのではないかなと思います。その領地だった丹波地方では今でも「名君であった」と語り継がれています。光秀が統治するまでの丹波地方は反乱が多く、安定した場所ではありませんでした。そんなクセのある民が住んでいた地で何百年に渡って名君だと語り継がれるほどだったのですから、領民思いでもあったのでしょうね。 苦労人。知識人。文化人。仕事に忠実。家臣思い。領民思い。そんなイメージですね。 ですから私は本能寺の変の単独犯行説は支持していません。後先考えずにチャンスだからといって謀反を起こすような、そんな「バカ」じゃないと思っています。
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- fujic-1990
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「麒麟がくる」ねぇ。いろいろ不満があります。 あの時代は、化学染料などなくて、草木染めの時代でしょう。同じ朱色や緑でも、あれほど衣服が色鮮やかになるとは思えません。 また、女性が立ち膝なのも「異議あり!」です。武士は、命令一下すぐ立ち上がらなければなりませんので、片足を断ち膝にしているのは納得できるのですが、考えもなく女性が立膝すると、スソが割れて女性の太ももがあらわになりそうです。それゆえ、江戸時代、吉原の女郎たちはああいう座り方で男を挑発したらしいです。 思うに、色鮮やかな衣服、座り方など、韓国の宮廷ドラマの影響を大きく受けている感じを持っています。 閑話休題 あくまでイメージですが、光秀はプライドが高く、出世欲たっぷりの人物だと思っています。反面、「殿様」として敬ってくれる家臣や庶民にはやさしい。 先日のテレビでは、明智家は先々々代あたりから岐阜ではなく、(追い出されて?)滋賀のほうにいたような資料が出てきたそうです。 が、光秀はそれを隠していた--あくまでも美濃の殿様(土岐家:土岐源氏)の一族として「殿の股肱の臣だった」と自称していた--ようなのです。 なので、将軍家へ、そして織田家に移り、いろいろ不満を抱えていたでしょうが、奮闘したのだと思っています。 で、信長からそのプライドをへし折られたせいで激怒して、敗北を覚悟して謀反した…んだろう、と。
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なるほど。 そういえば自分が持っている信長や秀吉のイメージって、ほとんど大河ドラマなどから受けた印象の塊ですから、ドラマになること自体が初めての明智光秀という人物像にピンとこないのは当たり前かも知れません。 ピンとこないと言いつつ、今回のこのドラマでの明智光秀が基準となって、今後のドラマでもそういう人物像として観てしまうのかもしれませんね。