- ベストアンサー
明治時代の神仏分離と寺請制度の背景について
- 明治時代における神仏分離は仏教排斥を意図したものではなかったが、全国各地で廃仏毀釈運動が巻き起こり、寺院や仏具の破壊が行なわれた。寺請制度のもとで寺院に反感を持った民衆も廃仏毀釈に加わった。
- 寺請制度は僧侶を通じた民衆管理が法制化され、幕府の出先機関の役所と化し、宗教活動がおろそかになり汚職の温床となった。この事が明治維新時の廃仏毀釈の一因となった。
- 明治時代の神仏分離により、全国各地で廃仏毀釈運動が勃発し、寺院や仏具の破壊が行われた。寺請制度のもとで管理された寺院に対して反感を持った民衆も多かった。また、寺請制度は汚職の温床となり、廃仏毀釈を引き起こす要因ともなった。
- みんなの回答 (1)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
>寺院のどんなことに反感を持っていたのでしょうか? 各寺院は、現在の「戸籍・住民票」を取り扱っていました。 上手く言うと、役所ですね。 坊主は、世襲制役人。 また、富くじ(宝くじ)・金貸しも行っていました。 今の寺院では考えられない程、権力を持っていたのです。 「地獄の沙汰も銭次第」という言葉も、ありますよね。^^; 寺の住職は、威張って高圧的だったのです。 下手に坊主の機嫌を損なうと、出生届・結婚離婚を認めないなど色々な嫌がらせがあった様です。 住民票を消されると、無宿人扱いです。 同様に、「お布施(金品要求)」が度々あったのです。 廃仏毀釈で消えた寺院の多くは、檀家から見放された結果です。 奈良興福寺でさえ、神仏分離令翌日には廃寺となっていますよ。 ※見放されなかった寺院は、明治中期に再興。 今でも、「〇〇を修理するので、数十万円の寄付をお願いします」「新たに息子が住職になるので、数十万円の寄付をお願いします」と檀家一軒毎に命令が届きます。^^; >廃仏毀釈に発展するほどの汚職とは、どんな汚職だったのでしょうか? 江戸地域だけでなく、地方でも「寺院は、寺社奉行管轄」でした。 また、庶民が藩・幕府に請願などを出すときは「所属寺院のお墨付き(口利き)」が必要だったのです。 もちろん、「有料」 何らかの「お布施(裏金)」が必要だったのですね。 また、「闇金」「賭博場開設」を行っていた寺院も多くあります。 が、先に書いた様に「寺社奉行所管轄」ですから町奉行所は何も出来ません。 寺社奉行は「閑職」ですが、寺院から「賄賂」を貰うのが一般的でした。 寺院とすれば、寺社奉行所は「用心棒」なんですね。 ただ・・・ただ・・・誤解が無いように言うと。 宗教活動中心の寺院も、多くありました。 四国八十八か所寺院・西国三十三所寺院などは、神仏分離令で多くが廃寺になっています。 が、信者・檀家の力で明治中期に復興しています。 ただ、元の境内・建物は「神社に没収」されている場合が多いですがね。 復興した寺院は、移転して存在しています。
お礼
ありがとうございました。 江戸時代の寺院と庶民との関係というと、知識がないために、「寺子屋」しかイメージできず、「寺院が恨まれる」ということの意味が全く想像できなかったのです。ご回答の一行、一行が驚きです。もちろん、寺院のすべてがそうだったとは思いませんが。 廃仏毀釈によって、貴重な財産が失われたと、記述されていました。文化財の破壊の愚かさについては、たしか、バーミアンといったと思いますが、「大きな石仏の破壊」のテレビでの映像が記憶にあります。知識がないので、もどかしいのですが、「文化財の破壊」に限らず、今の社会を経験しながら、「これでいいのか???」と考えさせられることが、多くなってきているような気がします。大げさに言うと、「人類の限界」のようなものが、数多く垣間見えるようになったということを意識します。