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明治維新を評価した背景は何か?

明治維新、というと戦国時代と双璧をなす日本史上の人気のあるタイミングですね。 戦国時代同様に血なまぐさい事件がおおく、英雄と呼ばれる人たちが跋扈することで人気があるんだろうというのはわかりますが、日本が近代国家への一歩を踏み出したとか、天皇陛下を中心とした中央集権国家にしたとか、資本主義化したとか、結構評価されているように見受けられますが、なぜでしょう? 江戸時代からすでに貨幣経済へ向けて動いていますし、堂島の米会所など世界で最もはやく先物取引(デリバティブ)を始めていますから、資本主義化はすでにしています。 政治にしても徳川家中心の政治が、薩長閥に取って代わっただけで、維新時16,7歳の天皇陛下に権力があるはずもなく、藤原系の公家が平安以来の権力の座の返り咲いたくらいで、結局有力大名家は貴族として爵位をもらい、国からお金を支給されています。 欧米で発明された文物を入れているだけで、貿易はイギリスに良いようにあしらわれていますし、結局日露戦争での国債に関してもロンドンでロスチャイルドに断られて、アメリカのロスチャイルドの代理人のジェイコブ・シフに高金利で引き受けてもらわざるを得ずという体たらくで、明治を通じて諸外国との付き合いがまともにできていません。現代までそれが続いています。 明治維新は、かなり評価されているようですが、誰が、何の目的でこういう偏見を植え付けているのでしょう?福沢諭吉のように日本の文化を壊して西洋にすり寄る輩が評価されたりしている中で、日本の江戸時代の文化や文明に関して、低く押し下げているように思えます。 戦後の唯物史観の影響もあるのでしょうが、それ以上に何か背景がありそうですが、いかがでしょう?

みんなの回答

noname#209756
noname#209756
回答No.7

NO.4です。良く考えたら、すこしずれていたので。 日本史にたてば江戸時代の素地があったから独立を維持できたということ。ですか。 西洋化がすべていいと考えるのは、おっしゃる通り、ここ200年~300年物産でアジアを超えた地域です。 東洋史(東アジア)の中の日本の古来の良いものも大事にしないといけないでしょうね。

koiprin
質問者

お礼

回答ありがとうございます。

noname#209756
noname#209756
回答No.6

NO.4です。 視点を日本史に立ってということですね。 なぜ明治維新で成功といえるかといえば、やはり寺子屋など江戸時代の教育や幕府が結構しっかり政治していたことによると思います。 むしろ、政治に関しては西洋式政治の導入されている明治以降平成の現在までよりもよいのかもしれません。老中や将軍などがいました。江戸時代は比較的しっかりおさめられていると思います。 徳川綱吉(評価はいろいろですが)、保科正之、徳川吉宗、田沼意次など。 その土台をもとにうまくいったわけで別に政権が変わったからというわけではありません。 20年前でも日本史にあらわれた名君は評価が高かったのですが、現在は官僚的な歴史上の人物あるいは乱世のマイナーな人物に評価があつまるような気がします。 おっしゃる通り、明治を近代化ととらえ、科学技術は進歩したけど、心はどうなのか。それは高度成長期にがんばり、平成の現在のほうが物質や知識は豊かだけど、人の質はどうなのかと同じ問いかもしれないです。 江戸時代は朱子学以外にも自由な議論も存在しましたし、現在の方がよっぽど統制的ともいえるかもしれません。だんだん、議論の質が落ちているようにも思えます。 目に見えるものが良くなって、実際は目に見えないものを含めると以前の方がよかったということがあるのは、気を付けないといけない事項だと思います。

koiprin
質問者

お礼

回答ありがとうございます。

  • oska
  • ベストアンサー率48% (4105/8467)
回答No.5

>誰が、何の目的でこういう偏見を植え付けているのでしょう? 質問者さまも理解している通り、歴史は「勝者・時の権力者」が自分の都合の良い様に作ります。 古くは、天智天皇を担いで政権を牛耳った藤原一族の物語である「日本書紀」。 藤原一族が全て正しくて、蘇我一族の行動は全て「悪」と断言していますよね。 現在の説では、当時の全方位外交を目指していた蘇我政策に対して「百済一国との友好を求めた中臣(藤原)鎌足一派の争い」が大化の改新となっています。 幕末でも、同様。 幕府が政権を持っている時は、薩摩・長州・土佐・公家の倒幕行動は「無差別テロ」に過ぎません。 長州なんか、御所を襲撃して孝明天皇を拉致する計画を実行(敗退)したのですからね。 奈良の「天誅組の乱」も、無差別テロに過ぎません。 (当時の資料では)「朝廷から、朝敵として追討令」が幕府に対してでています。 三条実朝などの都落ち時にも、孝明天皇の子供(後の明治天皇)を人質として長州に逃げています。 最終的には、孝明天皇も謎の死をとげていますよね。 三条実美・岩倉具視・伊藤博文一派に「暗殺された」と、当時囁かれた様です。 歴史に「もし」は、ありませんが・・・。 倒幕が失敗していれば、彼らは「英雄でなく、テロリスト」として歴史に名前が残った事でしよう。 某国の「告げ口おばさん」と同じです。 都合の悪い歴史は、無かった事にする。政府が決めた(正しい)歴史以外は、間違った歴史とする。 例えば、倒幕に関しては「何をしても、全て正しい」と免罪符を与えましたよね。 孝明天皇から「朝敵」とされた「天誅組の面々も、英雄・忠臣」として顕彰しています。 ※国際法で見ると、安重根はテロリストです。が、某国では「国家的英雄」です。 ※告げ口おばさんも、日本人を殺した英雄として尊敬している!と国内外で公言しています。 同じ事です。^^; 天皇暗殺疑惑に関しても、「天皇は神聖にして侵すべからず」と「民衆が一切関与する権利を放棄」させられました。 革命家は、革命が成功すれば「自分の革命活動の正当化」を図るのです。 毛沢東も、建国前・建国後に数千万人もの中国人を虐殺していますよね。 が、中国共産党では「一切不問」とし建国の父として顕彰しています。 告げ口おばさんの父親も、軍事クーデターで大統領になると多くの政敵を粛清していますよね。 ※金大中事件も、この流れです。 告げ口おばさんも、実父の行動は「一切不問」としています。 同じ事です。

koiprin
質問者

お礼

ありがとうございます。 今でも明治維新を評価する背景を知りたいと考えています。

noname#209756
noname#209756
回答No.4

成功体験とみていいと思いますよ。 当時、産業革命を経て、近代化された欧州に対して、不平等条約から入りつつも植民地化されず、列強入りして大きな戦争や第2次世界大戦の敗戦を経て高度成長期、バブルへといたるわけですので。 ただ、事実を見落としていることもあります。幕末から明治は要人でも多数暗殺された危ない時代ともいえます。 また中国もイギリスに敗戦しつつも、洋務運動など大規模に明治よりも早く近代化路線に入ったとも言われます。 江戸時代をおおむね通してと明治初期は政治はやはり頑張ったのではと思います。逆にそれ以降、結構方向を見失うことが多くなっていっているように思えます。最近の平成の不況など見ても、物質はよくなって政治が悪くなっているのかもしれないです。 隣国を侮らずなど大切ですね。 私は欧米をモデルに近代化すればいいというそういう一つのサイクルも終わりに感じます。 フラットに世界のさまざまな国の特に都市圏では豊かになっていきました。 最先端にいけば栄える事態から、国際分業で先進国は軒並み低賃金で仕事を取られてます。また科学の進展はまだまだ途上であるにしてもIT化や物質的にはさまざまな性能のいい製品など便利な社会も到来してます。 ですので、明治から始まったサイクルが何か終わりつつあり、また何か始まる、そのような中で前のサイクルの始まりから次は何を始めたらいいのだろうということを考えるための材料ととらえるものではないかと思ってます。

koiprin
質問者

お礼

ありがとうございます。 明治維新を近代化ととらえているところにきな臭さを感じています。 国体護持の体制を取り戻したとか、そういった表現ではありませんので、あくまでも西洋の歴史観に立っている評価に対しての疑問です。

回答No.3

時の政権は、自己の正当性を主張するために、時には歴史をねじ曲げます。 日米同盟に関わる密約なども、自民党政権は公表を避け、全てを正当化しています。 原発に関しても、政府が安全神話吹聴の音頭取りをしましたが、批判的言論は封殺されてきました。それが政治というもののようです。 薩摩藩にも強烈な攘夷論者は居ましたが、薩摩は沖縄を通じて外国と通商し、莫大な利益を得ていましたから、藩としては開国主義でした。 薩長連合の成立で討幕派が圧倒的となり、その力が明治維新への道を開きました。 薩長連合政府(維新政権)にとっては、自己の正当化と幕藩体制の腐敗や時代遅れを非難することで、自らの権威を高めようとしたようです。 お説の様に、幕藩体制下でも資本主義的経済の萌芽はありました。しかし、維新に成功したのは、幕藩体制が経済発展の妨げに成っていた事実も、見逃すことが出来ません。西洋諸国も似た様な変革過程を経て、王権を排除したり、立憲議会制を取り入れています。 その過程で、日本には日本の独自性があったわけですが、全ての国でその権力機構が自己弁護するために、歴史を書き換えることはよく有ることと思えます。 古代・中世史を見れば、その事は歴然としています。

koiprin
質問者

お礼

ありがとうございます。 歴史は権力者の意向を反映しているということは、その通りですが、明治維新の取り上げ方にきな臭さを感じています。

noname#194996
noname#194996
回答No.2

良くも悪くも産業革命後の西欧社会が世界を仕切っているという現状の中、西欧各国以外のアジア、アメリカ、アフリカ諸国は彼らの武力と知力になされるままにされて血肉を吸い取られてしまいました。 その中で唯一日本国だけがまがりなりにも(紆余曲折はあっても)独立を保ってそれなりの繁栄を続けてきたわけで、その決定的な出発点が明治維新であり、時のひとたちの力量と身じまいにあったということだろうと思われます。 当然ながらその原因のひとつが江戸時代までに独自の近代化をなしとげた日本国の科学的先見性があったのは一般的な見方になっています。 貴方の日本評価はヒジョウに辛い、いはば被虐的歴史評価に近いものだと私には思えます。

koiprin
質問者

お礼

ありがとうございます。 わたしは江戸をはじめそれまでの歴史的経緯が明治維新に比べて評価されていない点を知りたいと考えています。

  • 1paku
  • ベストアンサー率21% (344/1575)
回答No.1

歴史は、勝者によって創られるケースでしょう。 薩長を中心にした明治政府視線の歴史です。 まさかという感じですが、司馬遼太郎氏が竜馬のあとがきで、 日露戦争の頃、天皇の夢に龍馬が出てきて海戦に勝たせると言った逸話(側近の創作っぽい)が発表されるまで、坂本龍馬はほとんど忘れられていたと書いてます。 今でも完全に忘れ去られてる人が、他にもたくさん居そうですね。

koiprin
質問者

お礼

ありがとうございます。 織田信長も忘れられていた存在でしたね。

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