廃仏毀釈と歴史教育
現在、高校日本史ベース(検定教科書全て)において、廃仏毀釈は全てに記述されている
しかし、筆致そのものは、廃仏毀釈について事実のみを伝えるに留まり、主観的表現は少ないと言えるだろう
問題は、教科書ベースではなく、教師レベルで廃仏毀釈の歴史事実を主観的に展開する場合である。
廃仏毀釈そのものは、好意的に評論することは不健全であろう
(日本社会に跋扈する皇国史観の人間は、八百万の神々が破壊されたようとも、天皇陛下だけが尊崇されれば良いだろうから、否定的には言説しないだろうが)
問題は、廃仏毀釈の事実と天皇神道以外の宗教から見て、排他的な政策として表現する場合である
文化史・宗教史からすれば、廃仏毀釈は文化破壊であり、文化大革命であろう。
しかし、既得権益・特権階級という意味での宗教家の退廃を顧慮するに「政策的に理解されうるもの」という表現も可能であろう
つまり、政府レベルの問題ではなく、民衆レベルでも廃仏毀釈には好意的だった、という問題提起である
本件については、歴史学的なアプローチはあまりされず、皇国史観・講座派などには評論・研究の対象としては重視されなかったと言えるだろう
今後、廃仏毀釈の歴史事実を教科書レベルで記述するに、現在のように「歴史事実を粛然として記述する」に留めるのが適切だろうが
事態が教師レベルになれば、上記した文化破壊の側面・日本の近代化のための必要悪などの複眼的表現も可能だろう
果たして、歴史教師は廃仏毀釈をどう教える(伝える)べきか?というのが本件の質問である
これは、一定の主観性を求められる授業展開を前提にしているので、廃仏毀釈について掘り下げることを想定した話である
なお。本件の回答は、”こうあるべきだ”という主張ではなく、その理由が重要であり、主張だけの回答はご遠慮いただきたい
お礼
ご返答ありがとうございます。 自分の検索では見つけられなかったので大変助かりました。 北畠道龍という人は明治の宗教政争という面からも大変興味深い人のようですね。 本はすぐには見つけられませんでしたが、根気よく探すか取り寄せるつもりです。 「日本人の神」と「明治という国家」は早速読んでみました。 廃仏毀釈をめぐる各勢力の明確な立場の区別が出来、大変為になりました。