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廃仏毀釈運動
廃仏毀釈運動は特に松本藩、薩摩藩、富山藩、苗木藩で激しかったそうですが、なぜそれらの地域で顕著だったんでしょうか??
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廃仏毀釈は挙げられている4藩以外にも激しい所はありました。 江戸時代からやっている長州、水戸、津和野がその代表ですが、これは藩が神道系の国学思想だったためです。 同じ理由なのが薩摩藩です。 松本藩:水戸学・国学の影響を受けた知事(旧藩主)の命令。 苗木藩:維新後、平田国学者(神道系)による藩政改革(維新後も少しの間、藩が続いています)があったため。 富山藩:国学者による煽動があったが、逼迫した藩財政に、寺院の財物を徴収できるメリットがあった。 もちろん、他の地域でも国学者や神官による煽動があったのですが、維新を主導した藩は王政復古と国家神道という思想的な理由があり、幕府側(水戸藩は特殊なので除く)は旧幕側ということで維新側の命令に対し、過剰反応してしまった背景があるようです。 細かく見て行くと、挙げられている4つの藩でも路傍の石仏まで破壊、寺院だけ破壊など個々の藩で対応が違います。