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吉宗の将軍権力
徳川吉宗は紀州家から宗家を継ぎましたが、 徳川吉宗の将軍権力は享保4年3月14日(1719年5月3日)頃までには、既に盤石なものになっていたのでしょうか? 徳川吉宗は紀州家から宗家を継ぎましたが、 徳川吉宗の将軍権力は享保4年3月14日(1719年5月3日)頃までには、既に盤石なものになっていたのかどうかを教えてください。
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>享保4年3月14日(1719年5月3日)頃までには、既に盤石なものになっていたのでしょうか 盤石とまでは、言えないでしようね。 吉宗が将軍になれたのは、幕府内の同意でなく「大奥の同意」です。 大奥から、幕閣へ「紀州殿が・・・」となった次第。 幕閣といえども、先の将軍御台所の意向には逆らう事が出来ませんからね。 そこで、吉宗は「紀州藩から、忍者(御庭番)」を連れてきたのです。 既に存在する忍者は、あまり信用していなかった様ですよ。 また、御三卿を創設したのも「現状の幕府体制」とそりが合わなかったのです。 まぁ、前例重視の幕閣と吉宗は「水と油」です。 最後は、江戸庶民を味方につけて幕閣支配を確立しました。
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