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英単語の概念についての質問
- 英単語における概念について知りたいことがあります。
- The lion is a wild animal. ---総称文
- The lion I saw in the zoo was very cute. ---個別のライオン
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質問者が選んだベストアンサー
「補足」にお答えします。 >ところで、Aの頭痛を治療する能力を備えた医者がその病院に複数いたとしたらどうなるの ですか。One of the doctors will cure you. となるわけでしょうか。 ⇒そうですね。One of the doctors will cure you.で十分でしょう。あるいは、実際に治療に当たる医師が一人であっても、いきなり複数形を使って、The doctors (of that hospital) will cure you.でしても差し支えないと思います。
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- Nakay702
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再々々度の「補足」を拝見しました。 >最後にもう一つだけ。何度もすみません。 ⇒いやいや、久しぶりに回答を考えながら楽しませていただきました。こちらこそ、ありがとうございました。 >B-2 : "Oh don't mind. There's the hospital down the road. The doctor will cure you." the hospitalにいる医者たちを表現するのがthe doctor であると言えると思うのですが、いかがでしょうか。 「部分的総称」と勝手に名づけたのですが、これは時間または空間的な制約を与えられた(外延の数も少なくなる)総称用法であると定義してよいのでしょうか。 当初のBではthe doctorは空間的に無制約でしたが、B-2ではthe hospital に勤務する医者たちを表すことになるので外延の数も減るのだと思います。 ⇒なるほど、ご趣旨はよく分かります。 しかし、この場合のThe doctor(のThe)は、「その」を意味する定冠詞の「限定用法」ということになります。もしも、「いや、そうではなくて、これは総称のTheのつもりだ」と反発するとしても、「文脈がそれを許さない」構造ですよね。 ということで、The doctorの意味するところは、総称とは無縁の「限定修飾」による典型的な外延「(その病院の)医師」ということになってしまいます。 念を押すようですみませんが、 《… There's the hospital down the road. The doctor (of the/that hospital) will cure you.》 と、暗に含意されている(しかし省略されている)語句of the/that hospitalを補ってみれば、明白になることを納得していただけるものと思います。
補足
何度もすみません。 <しかし、この場合のThe doctor(のThe)は、「その」を意味する定冠詞の「限定用法」ということになります。もしも、「いや、そうではなくて、これは総称のTheのつもりだ」と反発するとしても、「文脈がそれを許さない」構造ですよね。ということで、The doctorの意味するところは、総称とは無縁の「限定修飾」による典型的な外延「(その病院の)医師」ということになってしまいます。 --結局、「部分的総称」といったようなものを想定することに意味がないことがわかりました。 ご教授ありがとうございました。 --ところで、Aの頭痛を治療する能力を備えた医者がその病院に複数いたとしたらどうなるの ですか。One of the doctors will cure you. となるわけでしょうか。
- Nakay702
- ベストアンサー率79% (10004/12512)
再々度の「補足」拝見しました。 >総称文ではないのに、一見、総称文に見える文があります。 例えば、A: "I have a bad headache these days". B: "Oh don't mind. The doctor will cure you." において、Aにかかりつけ医がいない状況で、しかも医者と言われてもAには具体的な心当たりが全くない状況だとします。もしそうした状況だとすれば、the doctorは個別の具体的な医者を表しているのではなく、総称的に使われていることになります。ただし、状況的にかなりの制限がありますから総称文ではありません。部分的(局地的)な総称文というべきかもしれません。 たぶんこの例文はそういう意味合いで成立すると思うのですがいかがでしょうか。 ⇒仰せのような「医者と言われても、具体的な心当たりが全くない状況」であるという条件下なら、これは「部分的(局地的)」というような限定辞をかぶせるまでもなく、純粋な総称文と言えます。 定冠詞の用法を細かく数えれば十指に上りますが、そのうちの一つとして「同じ種類のものを代表して表す」という機能があります。この場合はまさしくそれに相当し、例えば、The whale is not a fish.「鯨(と言われるもの)は魚ではない」と同じような用法でしょう。つまり、The doctor will cure you.「医者(と言われるもの)が治してくれるでしょう」と、「医師という職種に携わる者という集団を一括して指す」ための言い回しと考えられます。 >この文の場合も、the doctorは意味論的には外延ではあるが語用論的には内包を表しているように見えると言ってもいいのでしょうか。 外延は治療行為を行うかもしれない現実の医者で、内包を表しているかに見えるのが総称的なdoctorということなのでしょうか。 ⇒仰せのとおり、この場合も確かに、「the doctorは意味論的には外延ではあるが語用論的には内包を表している」と言えるだろうと思います。ただし、前便で申しあげたように、このthe doctorは、「語用論的には限りなく内包に近い意味を表しているように見えるが、決して内包(doctor)そのものではなく、厳然たる外延である」ということは意識に留めておきましょう。 総称文の話が出たついでに、前便で挙げておられた例文を使って一般総称の用法を振り返っておきましょうか。 A lion is a wild animal. The lion is a wild animal.のA lion, The lion は、確かにどちらも総称用法ですね。A ~は、「いかなる~も」(≒Any ~)という感じで、「個の総当り算入」という形で、The ~は、「すべての~」(≒All the ~)というニュアンスで、「全体の一括算入」という格好で、それぞれ総称するわけですね。 つまり、これは、前便で見た冠詞の「限定・非限定」用法とは別の、「全体・部分」を弁別する機能の応用ですね。A ~は、「部分を集めて全体とする」手法であり、The ~は、「最初から存在する全体を一括する」という手法ですよね。A とThe は、ある意味「対極関係にあるように見えますが、その両者が同じような総称用法を持つ」のは面白い現象ですね。「言語の柔軟性のなせるわざ」というところでしょうか。
お礼
ありがとうございました。
補足
--- よくわかりました。最後にもう一つだけ。何度もすみません。 例文Bを「部分的総称」を表す文として作ったつもりだったのですが、たしかにおっしゃる通り普通の総称文ですね。 これならどうでしょうか。 B-2 : "Oh don't mind. There's the hospital down the road. The doctor will cure you." the hospitalにいる医者たちを表現するのがthe doctor であると言えると思うのですが、いかがでしょうか。 「部分的総称」と勝手に名づけたのですが、これは時間または空間的な制約を与えられた(外延の数も少なくなる)総称用法であると定義してよいのでしょうか。 当初のBではthe doctorは空間的に無制約でしたが、B-2ではthe hospital に勤務する医者たちを表すことになるので外延の数も減るのだと思います。 よろしくおご教示お願いします。
- Nakay702
- ベストアンサー率79% (10004/12512)
再度の「補足」を拝見ました。 >まだ釈然としない点があります。 A lion is a wild animal. The lion is a wild animal. Lions are wild animals. これら総称文において、a lionとthe lionとlionsは外延であるにもかかわらず内包を表しているかに見えます。 ⇒まさに、おっしゃるとおり、「a lionとthe lionとlionsは外延であるにもかかわらず内包を表しているかに見えます」ね。確かにそれは、紛れもない実感です。 >ということは、a lionとthe lionは文脈や状況次第では内包的用法を持つし、また、lionsは常に内包的用法を持つ、と言うしかないのでしょうか。 語彙意味論的には外延でしかなくても、語用論的には内包を表すということなのでしょうか。 語彙意味論的な用法がデフォルト用法であって、語用論的用法は拡張用法に過ぎないということなのでしょうか。 ⇒ご所説は、素晴らしいご慧眼と考察から生まれた洞察とお見受けします。それは99.9(のあとに9が無量大数個続く)パーセント正しいと言えるかも知れません! ただ一つ、補足すべきことがあるとすれば、それは以下のとおりです。 すなわち、a lion, the lion, lionsなどが、語彙意味論的には外延でしかないにもかかわらず、語用論的にはあたかも内包を表しているように見えるのは、一にかかって「a, the, -sなどの意味的機能(示唆的特徴)の希薄化」のゆえに他ならない、ということです。 例えば、定冠詞の主要な機能は「限定・非限定」の区別ですが、独立の意味をもつ実詞(名詞・形容詞・副詞)に比べtheはその意味的実体が希薄です。それで、俗語では、例えばThe summer has come.とすべきところを、Summer has come.のように定冠詞を取り除いた言い方が聞かれることもあります。この定冠詞脱落の要因は、「theの情報量が少ないこと」に由来したと説明されます。このことから、定冠詞theの「限定」という機能は、有り体に言えば薄く伸びたベールの如く、あるかないか分からないほどに透明で、対象語にボヤ~っとかかっている、というような状況なんですね。 数的意味区分の場合も似たような状況があります。例えば、aが「1つの」を示す語として存在の影が薄いと懸念される場合は、ご存知のとおりaでなくoneが使われます。逆に「2つ(以上)」であることを明示したいが、-sだけでは心もとない場合は、someやmore than oneなどの語句を付け足したりしますね。 補足が長くなりましたが、ことほどさように、a, the, -sなどの意味的示唆機能が希薄化して、lion, a lion, the lion, lionsなどのすべてが同じように意識される現象は日常茶飯です。しかし、とはいえ、ここではっきり確認しておきたいことは、「内包を表しているように見える」ことと「内包そのものである」こととを混同してはならない、ということです。a lion, the lion, lionsなどは、語用論的には限りなく内包に近い意味を表しているように見えるが、決して内包lionそのものではなく、すべからく、厳とした外延なのである、ということを「学術的に」しっかり峻別しておくことにしましょう。
お礼
ありがとうございました。
補足
---非常によくわかりました。おかげですっきりしました。ところで、お願いついでにあと一つだけお願いします。総称文ではないのに、一見、総称文に見える文があります。 例えば、A: "I have a bad headache these days". B: "Oh don't mind. The doctor will cure you." において、Aにかかりつけ医がいない状況で、しかも医者と言われてもAには具体的な心当たりが全くない状況だとします。もしそうした状況だとすれば、the doctorは個別の具体的な医者を表しているのではなく、総称的に使われていることになります。ただし、状況的にかなりの制限がありますから総称文ではありません。部分的(局地的)な総称文というべきかもしれません。 たぶんこの例文はそういう意味合いで成立すると思うのですがいかがでしょうか。 この文の場合も、the doctorは意味論的には外延ではあるが語用論的には内包を表しているように見えると言ってもいいのでしょうか。 外延は治療行為を行うかもしれない現実の医者で、内包を表しているかに見えるのが総称的なdoctorということなのでしょうか。よろしくお願いします。
- koncha108
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追加質問拝見しました。なるほど。知見が無いゆえ、言葉と概念と言うことに対してあまり深堀をしたく無く、前の回答でも例をあげてヒントになればと思ったのですが足りなかったようです。少しだけ概念について触れると、ライオンと言う概念は必ずしもライオンに属するものがライオンと認識される要素を全て包含している必要は無いだろうと言うこと。例えば例文ではライオンは野生動物であることになっていますが、動物園で生まれ育ったライオンもいます。怪我をして足を失ったものも、耳を失ったものもライオンです。ジャングル大帝レオのように白いライオンもいるかも知れません。 で、前の回答の繰り返し・補足になるのですが、 the lionを総称表現で用いた時のthe lionは、人々がライオンと認識する全体の集団の中から、その構成要素となる特徴を持った一頭を思い描いて代表させる表現。この定冠詞の使い方は、普通の定冠詞の使い方と基本変わらず、ただ文脈の中で前に出てきたライオンの個体のことを言っているのではなく、話者、著者の頭の中に思い描いたライオンと言う物のことを言っています。そしてその頭の中では、アフリカのサバンナで狩をしたり日向ぼっこをする姿を思い描いているのかも知れないのですが、それは言わなくてもlionと言う野生動物としての共通概念が聞き手、読み手に共有されていて、だからこそthe をつけて、”あの”ライオンと言う表現をする。みんな頭の中で同じでは無いけれど似たような情景を浮かべているから"あの”で共有できるのだと思います。日本語に訳す時には"あの”じゃおかしいので、ライオン"と言うもの"としたりします。lionと言う概念が先にあって、それに関連して何かを語る時に表現方法としてtheをつけたと言うことだと思います。ここで注意すべき事は、theで”あの"と言っている事は、聞き手、読み手が同じイメージを思い浮かべることを期待しているので、動物園で生まれ育ったライオンのことを思い描いてもらっては困るわけです。でも動物園の飼育員だって、話手が"あの"ライオンと言った時に、一般的に言ってこの人はおそらくアフリカのサバンナにいるライオンのことを言っているだろうなと想定するから会話が成り立つのだと思います。 では A lion is a wild animal. はどうでしょう。実はこの文、前の回答で表現がおかしいかどうかは別として、と書いたように、おかしいんです。a lionは一頭のライオンであることに変わりはないのですが、この文の総称表現としては、地球上にいる任意の一頭をサンプリングして、話者の頭の中に連れてきているので、事実上anyの意味で、その一頭で他のライオン全てを代表させなければいけない。話そうとしている特徴の共通性がtheよりもずっと厳しいんです。a lionと言ったら、動物園に住んでいるライオンもサンプリングの対象になり得ます。だからそれが野生動物だと言い切ったらおかしいのです。変わりに、 A lion is dangerous. としたらどうでしょう? 動物園にいるライオンだって危険で気をつけないといけないのだから良さそうですね。ここで、麻酔で眠らされているライオンまで想像力を巡らせる事は想定されず、そんな人がいたら屁理屈の応酬で世の中会話ができなくなります。何れにしてもlionはライオンと同じであって、それがどう言うものかは、100%共通の要素が組み合わさって定義されるものではなく、曖昧さを伴っていても何のことを言っているのかほぼ他人と共通イメージがもてるものなのだと思います。言語ってコンピューターのプログラムと違って、曖昧だけど共通のイメージがもてるのが経験的にわかっているものだと思います。 the, a, -s は、lionと言うものに対して細かい定義を一つ一つリストアップしなくても人が共通で思い浮かべることができるもの、いわば概念の中からある特徴や状態を話題にして表現するための、方法に過ぎないのではないかと思います。その方法が日本語では曖昧で、どうしてもと言う時には、「ライオンと言うもの」「あのライオン」「いかなるライオンも」「一頭のライオン」「複数のライオン」「ライオンの群」などと言い分けなければならず、概念の違いではなく表現法の違いかと思います。 trainは、いくつかの車両がお互いに1列につながったもの。日本語の列車に相当します。列車と言った時に、客車一両を想像する人はいないように、trainと言った時にa carriageを想像する人はいません。いくつかのものが連結して細長く一両になっていて、線路の上を走ると言う特殊性はあってもそれがtrain。lionの話と同じです。 ただ、上の話と少し異なるかも知れませんが、複数、単数で概念が変わるように思われる場合もあります。イワシの群 a school of sardines やガンの群 a flock of geese などはあります。無数の個体が集まって、一匹、一羽ずつの個体の特徴とは違う行動を見せます。基本的には日本語と同じく、何の群であるかを示すような単語と組み合わされますが、人々が思い浮かべるものは必ずしも各個体の集合体では無いのでは無いかと思います。漁師に取ってはイワシの大群はたくさんのイワシに過ぎないかも知れませんが。 解決になっていないと思いますが、考える上での参考になれば。
お礼
ありがとうございました。
補足
少しだけつけ加えさせていただきます。 <では A lion is a wild animal. はどうでしょう。実はこの文、前の回答で表現がおかしいかどうかは別として、と書いたように、おかしいんです。a lionは一頭のライオンであることに変わりはないのですが、この文の総称表現としては、地球上にいる任意の一頭をサンプリングして、話者の頭の中に連れてきているので、事実上anyの意味で、その一頭で他のライオン全てを代表させなければいけない。話そうとしている特徴の共通性がtheよりもずっと厳しいんです。a lionと言ったら、動物園に住んでいるライオンもサンプリングの対象になり得ます。だからそれが野生動物だと言い切ったらおかしいのです。変わりに、 A lion is dangerous. としたらどうでしょう?> ---おっしゃることはよくわかります。でも、総称文におけるa名詞はそのものの基本的かつ根本的な事柄を示そうとすることにその真骨頂があるのではないかと思います。ですから、ライオンが野生動物であることは、ライオンのプロトタイプ的な性質として認められるのではないかと思います。たぶん、問題はないと思います。A lion is dangerous. ですが、私だったらA lion is a dangerous animal. としたいですね。ともあれ、いろいろありがとうございました。
- Nakay702
- ベストアンサー率79% (10004/12512)
前便で舌足らずの部分がありましたので、これを補充して再送いたします。 (再送分) 「補足」を拝見しました。 必ずしもお説に添わなくてすみませんが、以下のとおりお答えします。 この問題は、「にわとりと卵」の議論のような感じもありますが、明確に言えることもあります。中世ヨーロッパのスコラ学で「普遍論争」というのがありました。「普遍は個物に先立って存在する」(実在論)と「普遍は個物の後に人間がつくった名前にすぎない」(唯名論)が争いましたが、結局「普遍は個物に形相として内在する」(緩和実在論)が多勢を占めるに至りました。 ところで、言語学の方法には通時言語学(主に時系列的変化を研究)と共時言語学(一定の時期、特に現代の言語体系を研究)とがあります。後者では、一応時系列的変化は(参考にすることはあるが)無視して、その時の状態を説明するための文法的体系化を目指します。そこで本件は、もっぱら共時言語学上の問題であって、史的変化などとは直接に関わりを持ちません。文法は現行の言語体系を説明ためのものですから、現有の材料だけで解析しなければならないことになるわけです。 語彙の「パラダイム」(辞書の見出し語の集合体)は、上の「普遍論争」で緩和実在論の言う「個物に形相として内在する普遍」にも似て、全ての限定辞を捨象した、現実には存在しない抽象概念です。つまり、辞書の見出しにある語は、意味のマーカーを持つだけで、具体的な意味は持ちません。パラダイムとしての語彙を、シンタクスに組み入れた時、すなわち、発話者が文としてそれを発話した時にはじめて具体的な意味を持つわけです。 簡単のために、将棋の駒を考えてください。1つの駒(例えば「金」)が、箱の中に入っている時、それは「金」というマークのついた単なる木片に過ぎません。これが盤上に並べられて対局が開始されてはじめて、それが「金」の働きをします。 この駒と言葉とを相応する存在形式や機能で括れば、「箱に入っている駒」=「辞書に収録されている語彙」(=「集合体の一要素」)、「対局中の盤上にある駒」=「構文内に用いられている語」(=「統合体の一要素」)という図式化ができます。語彙は、シンタクティックなあり方をして、つまり、構文内の一要員となってはじめて、具体的な意味が割り当てられるわけですね。そして、その時、各要員(語句)が一体となって構文として一つの体系を構成していることになります。 以上から次のことが言えると思います。基本的に辞書項目(見出し)にある語が、その語の系列に属するもの全ての基底にあって、それらを代表する概念であるとみなすことができるだろう。ゆえに、「英語関係でこの問題に答えるなら、lionなる語が基本概念(内包)であり、a/the lion, these/many lions, the lion I saw / that jumps at a zebraなどはすべてその外延である」、となります。
お礼
ありがとうございました。
補足
---おっしゃることはよくわかりました。lionが概念であって、かつ内包でもある。a lion / the lionは外延に過ぎないということですね。でも、まだ釈然としない点があります。 A lion is a wild animal. The lion is a wild animal. Lions are wild animals. これら総称文において、a lionとthe lionとlionsは外延であるにもかかわらず内包を表しているかに見えます。ということは、a lionとthe lionは文脈や状況次第では内包的用法を持つし、また、lionsは常に内包的用法を持つ、と言うしかないのでしょうか。 語彙意味論的には外延でしかなくても、語用論的には内包を表すということなのでしょうか。 語彙意味論的な用法がデフォルト用法であって、語用論的用法は拡張用法に過ぎないということなのでしょうか。ご教示頂けるとありがたいです。
- Nakay702
- ベストアンサー率79% (10004/12512)
「補足」を拝見しました。 必ずしもお説に添わなくてすみませんが、以下のとおりお答えします。 この問題は、「にわとりと卵」の議論のような感じもありますが、明確に言えることもあります。中世ヨーロッパのスコラ学で「普遍論争」というのがありました。「普遍は個物に先立って存在する」(実在論)と「普遍は個物の後に人間がつくった名前にすぎない」(唯名論)が争いましたが、結局「普遍は個物に形相として内在する」(緩和実在論)が多勢を占めるに至りました。 ところで、言語学の方法には通時言語学(主に時系列的変化を研究)と共時言語学(一定の時期、特に現代の言語体系を研究)とがあります。後者では、一応時系列的変化は(参考にすることはあるが)無視して、その時の状態を説明するための文法的体系化を目指します。そこで本件は、もっぱら共時言語学上の問題であって、史的変化などとは直接に関わりを持ちません。文法は現行の言語体系を説明ためのものですから、現有の材料だけで解析しなければならないことになるわけです。 語彙の「パラダイム」(辞書の見出し語の集合体)は、上の「普遍論争」で緩和実在論の言う「個物に形相として内在する普遍」にも似て、全ての限定辞を捨象した、現実には存在しない抽象概念です。つまり、辞書の見出しにある語は、意味のマーカーを持つだけで、具体的な意味は持ちません。パラダイムとしての語彙を、シンタクスに組み入れた時、すなわち、発話者が文としてそれを発話した時にはじめて具体的な意味を持つわけです。 簡単のために、将棋の駒を考えてください。1つの駒(例えば「金」)が、箱の中に入っている時、それは「金」というマークのついた単なる木片に過ぎません。これが盤上に並べられて対局が開始されてはじめて、それが「金」の働きをします。 この駒と言葉とを相応する存在形式や機能で括れば、「箱に入っている駒」=「辞書に収録されている語彙」(=「集合体」)、「対局中の盤上にある駒」=「構文内に用いられている語」(=「統合体」)という図式化ができます。語彙は、シンタクティックなあり方をして、つまり、構文内の一要員となってはじめて、具体的な意味が割り当てられるわけですね。そして、その時、各要員(語句)が一体となって構文として一つの体系を構成していることになります。 以上からつぎのことが言えると思います。基本的に辞書項目(見出し)にある語が、その語の系列に属するもの全ての基底にあって、それらを代表する概念であるとみなすことができるだろう。ゆえに、「英語では、lionなる語は基本概念(内包)であり、a/the lion, these/many lions, the lion I saw / that jumps at a zebraなどはすべてその外延である」、と。
- Nakay702
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>英単語における概念について知りたいことがあります。 ⇒以下のとおりお答えします。(面白い問題ですね。) 確かに、総称としての「およそライオンというもの」の方が、ただの「ライオン」よりも一見上位の概念のように見えますね。しかし、よく考えてみると、これは間違えやすいといいますか、かなり難解な問題ですね。論理学や集合論の知識を応用しながら考えないと、盲点に陥りそうな気がします。そこで、ちょっと遠回りになりますが、まずは基本となる術語の定義を辞書で確認しておきましょう。 ・「概念」とは、「多くの観念から抽出した共通の観念」をいう(『広辞典』集英社刊)。 ・「内包」とは、「概念の適用される範囲(外延)に属する諸事物が共通に有する徴表(性質)の全体」をいう(『広辞苑』岩波書店刊)。 この定義から、内包とは外延の所属要素すべてが共有する共通項であり、本件の問題を考えるに当たって、概念と内包とは、ほぼ同意であると見なしていいらしいことが分かりました。 さて、ここで本題に入りますが、このような解釈に立つと、次のように言うことができると思います。すなわち、《「限定語つきのライオン」は、「裸の(限定語のつかない)ライオン」の下位にある概念である》ということです。つまり、「およそライオンというもの」や「動物園で私が見たライオン」は、例えば、「多数のライオン、数頭のライオン、アフリカのライオン、親子のライオン、孤独のライオン…」などとともに、単なる「ライオン」の下位概念であり、外延である。そして、これらの外延が共有すること、すなわち、内包に相当するものがくだんの「(限定語のつかない)ライオン」である、ということになります。 お尋ねの文に即して言えば、A: The lion is a wild animal.のthe lion「ライオンというもの」も、B: The lion I saw in the zoo was very cute.の the lion「そのライオン」も、lion「ライオン」の外延であり、このlionこそA・B両方における外延としてのthe lionに対する内包(≒概念)である、という結論になる、と思います。 なお、定冠詞theには、交錯する二重の意味機能があり、「指示範囲としては全体を、指示方法としては特定・既知」を表します。これに対し、不定冠詞a, anは「指示範囲としては部分を、指示方法としては不特定・未知」を表します。 それはともかく、このことによって、一見同じに見えるthe lionも、Aにおいては「全体」を、Bにおいては「特定」を表していることがよく納得できると思います。
お礼
ありがとうございました。
補足
---早速の回答ありがとうございました。回答者のお二人に対して共通する再質問があります。 NO 1の回答者に対する補足の欄に私の再質問を記入しておきました。ご覧になって、返答をいただけるとありがたいです。よろしくお願いします。
- koncha108
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ライオンの概念はA, B, ともにlionじゃ無いですか? 日本語でライオンの概念がライオンであって、あのライオンでも、任意の一頭のライオンでも、いわゆるライオンでも、ライオンたちでも無いのと同じ。 A:は表現のおかしさは置いておいて文法的には、 A lion is a wild animal. The lion is a wild animal. Lions are wild animals. のいずれも総称表現として成り立ちますが、ニュアンスが少しずつ違います。a lion は、any lionと同じで、地球上全てのライオンのどの一頭をサンプリングして持ってきてもa wild animalなので、a lionで総称させます。the lion は、ライオンと言う生物種が共通で動物であることをどれか一頭を想定して総称しているので、ニュアンス的には、「およそライオンと言うものは全て野生動物である」と言う感じになります。 lionsは、限定なしで複数のライオンたちを言っているので、ひょっとしたら野生動物で無いライオンがいるかも知れないけれど、特に断りがなければ、野生動物であるライオンたちについて触れていると考えます。 共通しているのはlionで、総称表現でもa, the -s で修飾をしているだけで、概念としてはlionでしょう。 B: はlionと言う概念があって、その中でI saw in the zoo と言っているので、ある言い方をすればthe lionが代表できるものが特定の一匹しかいないと言う話かと思います。 ちなみに、Aでも、もしある特定の個体の話がこの文の前に出てきていれば、「そのライオンは一頭の野生動物です。」となり、総称表現ではなくなります。
お礼
ありがとうございました。
補足
--- ご説明はよくわかりました。ただ、一つ気になることがあります。 仮に例えば、昔の人が<シマウマを食することを好み、雄はたてがみを持つそういう4本足の猛獣>に対して概念を作り、それにlionと名づけたとします。外延はlion A, lion B, lion C ---です。 概念であるlionが文中で使われれば自動的に語彙化されることになるので、たぶん、Lion is wild animal. といったような文が使われたと想定できます。総称文ではなく、個別のlionを表すのであれば、Lion is running towards us. といったような文が想定できます。 ところが、ある時、数えられるものと数えられないものの区別が強く意識されるようになり、数えられるものに不定冠詞がつくようになったとのことです。A lion is a wild animal. とかA lion is running towards us. というような文が使われるようになっていったはずです。 その結果、概念である無冠詞のlionは、現在は<シマウマを食することを好み、雄はたてがみを持つそういう4本足の猛獣>を意味することはありません。そうすると、外延であるlion A, lion B, lion C ---に対応する内包はlionではないと考えた方がいいのではないかと思います。 現在はlionの概念はlionmeatまたはlionheartの意味で使われているようです。では、<シマウマを食することを好み、雄はたてがみを持つそういう4本足の猛獣>に対する概念は何なのでしょうか。lionmeatでもなくlionheartでもなく、<シマウマを食することを好み、雄はたてがみを持つそういう4本足の猛獣>を意味するものとしての概念および内包に対してlionではなく、a lionと名づけたのではないかという気がします。 別の例、例えばtrainをとりあげて説明します。 日本語では、<動力源に電力を用いる鉄道車両(電気車)のうち、それ自身に旅客や貨物を載せる設備を持つ車両---from Wiki>という概念を持つ電車が、英語で使われる場合、現在では数えられるものとしてa trainと表記されます。かつてはそのような車両の意味での概念は無冠詞のtrainだったはずです。ところが現在では、昔の概念(無冠詞train)が持っていた属性である輸送手段(trainの機能や働き)を意味するものなっています。だとすると、train A, train B, train C ---に対応する内包あるいは概念はa trainだとするしかないように思います。 概念は人があるものに対して持つ観念です。<シマウマを食することを好み、雄はたてがみを持つそういう4本足の猛獣>の概念をlionとした後、lionmeatやlionheartと区別するために、または既存概念に、さらに数えられるものだということを強調しようとする意図をこめるためにa lionとしたのではないかと思います。もちろん、日本語ではあり得ないことです。 つまり、私が言おうとしていることは、a名詞やthe名詞の総称表現が登場するようになってから、概念というものを、例えばライオンの場合、無冠詞lion, a lion, the lionの3つを想定しなければならないのではないかということです。 では、the lionの件ですが、lionA, lion B, lion C---をまとめてlion族という一つのカテゴリーをつくり、それをthe lionと名づけたのではないかと思います。この場合は、上位カテゴリーのa wild animalの下に下位カテゴリーとしてlion, tiger, elephant ---などの種族を表すカテゴリーが置かれるわけですが、それらが構成要素としてdefault要素であること、または、互いにコントラストをなすことから必然的にtheがつきます。 おそらく、<シマウマを食することを好み、雄はたてがみを持つそういう4本足の猛獣の種族>を表す概念としてthe lionと名づけたのではないかと思います。 それで行くと、Bのthe lion I saw in the zoo におけるthe lionの概念、つまり内包は何かということですが、私の考えでは次のようになります。 a lionという概念(内包)に対応する外延はlion A, lion B, lion C ---(外延を固有名詞としてとらえた場合)ですが、これはこうも言えます。a lionという概念(内包)に対応する外延はa lion, a lion, a lion --- -(外延を普通名詞としてとらえた場合) 例文Bにおけるthe lion I saw in the zoo は外延としての個別のlion達の中の特定の一つです。だとすると、その内包つまり概念はa lionということになるのでしょうか。 そうなると、<Bにおいてライオンの概念を表すのはthe lionでしょうかそれともlionでしょうか。私自身は、たぶんlion だと思います。>という私の発言は誤っていたことになります。よく考えずに質問してすみませんでした。 日本語と違って英語の概念については自分でもよくわかっていないという気がしているのですが、ご意見を伺えるとありがたいです。
お礼
---実は私も第1感ではtheyでした。今回の投稿では大変有益な回答をいろいろいただきました。ありがとうございました。