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可算名詞の総称表現についての意見と条件
- 可算名詞の総称表現においては、上位カテゴリーを明示すれば問題なく使用できると考えられる。
- 特定のカテゴリーを表す総称表現は、動植物や発明品などの複雑な機能や枢要部分を表すことができる。
- 総称表現においては、bookやobjectなどの具体的で差異が判断しにくい名詞でも上位概念を明示することで使用できる。
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以下のとおりお答えします。 @the+名詞を使った総称表現に使われやすいものと使われにくいものがあります。解説書などには動植物とか発明品とか楽器とか職業などだと使われやすいと書いてあったりします。それ以外の名詞だと使われにくいとのことです。 ⇒おっしゃるとおり、the+名詞を使った総称表現には、使われやすいものと使われにくいものがあることは確かでしょうね。動植物、発明品、楽器、職業などだと使われやすいという具体例は初耳でしたが、言われてみればそのとおりかも知れません。 @the lionの典型・代表たるゆえんは差異を捨象して後に残った共通点を持つことにあります。だったら、共通点は複雑で高度な仕組みや枢要部分といったような大げさなものだけでなく、速く走れることとか、どう猛であることとか鋭い爪や牙を持っていることなども当てはまります。The lion is a wild animal. と言う時、この文からイメージされるのは、高度で複雑な機能より野生的な外見だと思います。よって、典型・代表であるための絶対条件として複雑で高度な仕組みや枢要部分が特に言及されることには違和感があります。 ⇒お説のとおりだと私も思います。ある個物A1、A2、A3…を総称Aたらしめているもの、それは大なり小なり内包に近いものでしょう。おっしゃるようにライオンの総称の要素はほとんど視覚的に特定できるものことで済みそうですね。ということは、総称を簡単に確定できる場合は内包に肉薄しなくても済むことになり、逆に要素を確定しにくいものほど、内包に肉薄しなければ総称の指標が得られない、ということになりますか。 @When it comes to tools for developing culture, enlightening people and bringing entertainment to life, the book is more easily accessible one than the play and the cinema. といったふうに、上位カテゴリーをa tool for developing culture, enlightening people and bringing entertainment to lifeだと明示して、おまけにbookと同レベルのカテゴリーの他の要素まで並べてしまえば、この文を容認しない人はいないと思います。 @the bookを使った総称表現の文を実際に作ることができたということは、booksが持つ個別の差異が捨象されて共通部分が取り出されたことになります。総称表現のthe 名詞は特定のカテゴリーを表し、同時に上位カテゴリーの成員でもあることを表すためのものであるとすれば、上位概念さえ明示すれば問題なく総称表現として使えるはずです。非常に単純なアメーバやチリや埃などについても上位概念さえ明示すればOKということになります。この考えでよいのでしょうか? ⇒まずもって、When it comes to tools for developing culture, enlightening people and bringing entertainment to life, the book is more easily accessible one than the play and the cinema.の例文は面白いですね。この種の問題考察にとってまたとない好例でした。 さて、条件の質を吟味しておきましょう。総称表現として使うためには、上位概念を求めるのと同時に、その所属成員間の異同を、少なくとも異同の存在を確認しておく必要がありますね。むしろこのことが優先事項で、上位概念を求めることは総称表現にとって有用ですが、必須事項ではないと思います。他方、その所属成員間の違いの存在を確認することは必須でしょうね。そして、他の所属成員に対する当該成員の「アイデンティー」を確定することは、横の関係だけでなく、たての関係、すなわち上位概念や下位概念と組み合わさって構成する「立体構造の体系化」に役立つことでしょう。 @私の結論は、動植物とか発明品とか楽器とか職業のようなものが総称表現に使われやすいのは、それらが複雑な仕組みや統合的機能を持っているからではなくて、単に、具体的や特定物「その~」と解釈されるおそれが少ないからではないかと思います。いかがでしょうか? ⇒考えてみたことはありませんが、なるほど、具体的特定物、「その~」と解釈されるおそれが少ないから総称表現に使われやすい、ということは大いにあり得ると思います。別の例としては、例えば「駅」の場合、通常の駅には固有名がついていることによって、「細菌」の場合は、一般に個々の細菌名などほとんど知られていない、というようなことによって総称表現に使われやすい、と言えるかも知れませんね。いかがでしょうか。 @数えられるものであればどんなものでも、原則的に総称表現として使うことができるはずです。それができないのは、原理的に上位カテゴリーを想定できないものの場合です。例えば、objectやthingやcreatureです。 Objects exist in time and space. はOKでもThe object exists in time and space. とは言えません。実際、様々なobjectやthingやcreatureは漠然としすぎて、個別の差異がどこにあるのかわかりづらいように思います。おそらくそれらのものは全体で一つの統一的なものなので差異に言及することに意味がないのだと思われます。この考えでいいのでしょうか? ⇒確かに、「様々なobjectやthingやcreatureは漠然としすぎて、個別の差異がどこにあるのかわかりづらい」ですね。また、「それらのものは全体で一つの統一的なものなので差異に言及することに意味がない」ということも誠にお説のとおりと思います。例えば、thingなる語は、個々の事物の個性を捨象して、いわばその「残滓」を集めたものにつけられた名前である、と言えるかも知れません。別の角度から見れば、これは、意味論的パラダイムにおいて、同位レベルで対立するものがない、対立関係を持たないとも言えるでしょう。したがってそれは、あらゆる個々の事物を外延とする内包に相当するような存在であって、それゆえにそれは、すでにして「ある種の総称なので、屋上屋を張る必要が生じない」というように説明できるかも知れません。 @5つ目の問題提起に移ります。4つ目と関連しています。 objectやthingやcreatureに上位概念を想定できないということは、これら自らが上位概念であって、これ以上の上位カテゴリーが存在しないということだと思いますが、そもそも最上位の概念は何なのでしょうか。ひとつだけ存在するのでしょうか。それとも複数の基幹上位概念が存在すると考えるべきなのでしょうか。 ⇒いや、難しい問題ですね。ない頭をしぼって、あえて「基幹上位概念」あるいは仮想上位カテゴリーについて考えてみましょうか。例えば、thing「事物」とcreature「生物」を傘下に持つ上位概念は何でしょうか。それはおそらく、being / entity「存在(するもの)」というような名辞を考えることが可能かも知れません。いかがでしょうか。 しかし、こうなるともはや、哲学の存在論とか哲学的意味論などの領域に足を踏み入れた感がありますね。したがって、結論が出ないことはさほど落胆すべきことでなく、大事なのはむしろ探索のプロセスや取り組みの精神的スタンスではないでしょうか。その意味で、feedersさんの自問自答の姿勢は心底敬服すべきものと、感じ入っています。かのマハトマ・ガンジーは言ったそうです。「報酬は結果でなく努力にある。全き努力は、完全なる栄光である」、と。
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- Nakay702
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「質問者からの補足」を拝見しました。 (もっぱら後半についてご返信申しあげます。) @前置詞in, for, duringの後とかの位置環境との共起関係によって拘束される{spring, summer, autumn, winter}という枠組みがあります。他に{morning, afternoon, evening} {day, night}もそうです。こうした枠組み内の要素間の対立から類別・限定されるのではないということですね。 ⇒もしも、「異なる次元の問題を同一次元で扱えば」仰せのとおりですね。「これは定冠詞のもっとも基本的な機能(限定)による意味規定なので、前置詞in, for, duringの後とかの位置環境との共起関係によって拘束されることはないと思います」と私が申したのは、「冠詞論・語議論レベルでは」という条件下でそう申したつもりです。この点、舌足らずをお詫びします。 @2種類の「類別」パターンが存在することを明示するか、あるいは(B)の「典型」/ 「代表」の説明の中に、その延長上にある下位カテゴリー同志(→同士)の間における類別というパターンが存在することを言うかどちらかだと思います。どちらでもいいと思います。いかがでしょうか。 ⇒「冠詞論・語議論レベル」(paradigmatic) での類別パターンと、「形態論・統語論レベル」(syntagmatic) での類別パターンという分け方ではいかがでしょうか。 @私としては指導しやすいのがどちらなのかという問題がありますが、これくらいのレベルの議論になると(煩雑すぎて)ついてこれる生徒はたぶんいません。 Nakayさんとの議論の途中で2種類の「類別」パターンを混同して、とんちんかんな反論をしてしまいました。どうか悪しからず。 ⇒まずは、より基本的な「冠詞論・語議論レベル」での類別パターンを説明されたらいかがでしょう。それというのも、「形態論・統語論レベル」での類別パターンは、以前私がmodal auxiliaryに倣って、勝手に名づけた"modal phrase"、すなわち、「話者の意図を測る手がかりになる語句」の類に当たりそうですので、いわば基本編対応用編の観もあるようにも思いますので。 以上、ご返信かまで。 今回もまた楽しい頭の体操の材料をご提供くださり、ありがとうございました
お礼
ありがとうございました。
補足
⇒「冠詞論・語議論レベル」(paradigmatic) での類別パターンと、「形態論・統語論レベル」(syntagmatic) での類別パターンという分け方ではいかがでしょうか。 ーーなるほどわかりました。
お礼
ありがとうございました。
補足
回答ありがとうございました。 <さて、条件の質を吟味しておきましょう。総称表現として使うためには、上位概念を求めるのと同時に、その所属成員間の異同を、少なくとも異同の存在を確認しておく必要がありますね。むしろこのことが優先事項で、上位概念を求めることは総称表現にとって有用ですが、必須事項ではないと思います。他方、その所属成員間の違いの存在を確認することは必須でしょうね。> -たしかにそうですね。肝心なことを言い忘れていました。ご指摘ありがとうございました。 <別の角度から見れば、これは、意味論的パラダイムにおいて、同位レベルで対立するものがない、対立関係を持たないとも言えるでしょう。> --そういうことですね。 <「基幹上位概念」あるいは仮想上位カテゴリーについて考えてみましょうか。例えば、thing「事物」とcreature「生物」を傘下に持つ上位概念は何でしょうか。それはおそらく、being / entity「存在(するもの)」というような名辞を考えることが可能かも知れません。> ---being / entityですか。なるほど、これ以上は考えつきませんね。この問題の追及はこれくらいにしておきます。私自身の個人的な関心によるものでしかありませんから。ありがとうございました。 ---ところで、今頃になって遅すぎるとは思いますが、前々回の<in the summerは総称表現か>と<the summerは総称表現か他季節からの類別か>において最後にもう一つだけ、補足というか提案したいことがあったのですが、言い忘れてしまいました。 以下に記しますが、もう終わった議論なので無視して頂いてもかまいません。 I like the summer best of all animals. において、Nakayさんは、<the summerは「すべての季節のなかで夏が一番好きだ」とわざわざ枠組み元を明示して、その中から1つを指定する内容ですので、これほど明快に他の季節からの類別・限定を表す言表はないとさえ言えるのではありませんか? また、これは定冠詞のもっとも基本的な機能(限定)による意味規定なので、前置詞in, for, duringの後とかの位置環境との共起関係によって拘束されることはないと思います。>と言っておられました。 前置詞in, for, duringの後とかの位置環境との共起関係によって拘束される{spring, summer, autumn, winter}という枠組みがあります。他に{morning, afternoon, evening} {day, night}もそうです。こうした枠組み内の要素間の対立から類別・限定されるのではないということですね。 では他の季節からの類別・限定がどのようにして可能になったかということですが、自説を繰り返します。総称文であるThe lion is a wild animal. においては、ライオンと他の野生動物との対立を見て取ることは困難です。季節の場合は要素は4つでしたが、野生動物の場合は要素が多すぎて対立の構図がぼやけます。 それが、The lion preys on the zebra. とかThe lion is strongest of all animals. だと対立の図式が明確になります。つまり、対立による限定は、前置詞in, for, duringの後とかの位置環境との共起関係によって拘束される概念枠組み(1年や1日を分割して四季や朝昼晩などの生活条件を構成するもの)においてだけでなく、総称表現の延長上にある下位カテゴリー同志の対立においても存在することになります。 だとすると、The lion is strongest of all animals. は総称表現と言えないのかということですが、strongest of all animalsはライオンの属性だとも考えられますから総称表現だと言っても間違いとは言えないはずです。 結局、<他の季節からの類別・限定>のパターンは2種類存在することになります。一つは、 1年や1日を分割して四季や朝昼晩などの生活条件を構成する概念枠組における類別・限定です。各要素は下位カテゴリーというより全体を構成する部分というべきものです。 もう一つは、総称表現の延長上にある下位カテゴリー同志の間における類別・限定です。2つのパターンは成り立ちが全く異なるものです。 だとすると、Nakayさんのおっしゃったことを少し補強した方が良さそうに思います。 <それに対して、総称とは「差異の捨象などでなく、それ(=異なるものすべて)を含む」という意味ではありませんか?したがって、あり得る解釈をまとめると以下のとおりです。 (A)このthe summerは「類別」(限定1)を表す:spring, summer, autumn, winterの枠組みからの選択を表す「(春・秋・冬でなく)夏」と解釈する。 (B)このthe summerは「典型」(限定2)を表す:「差異を捨象して、最もよく夏の本質(内包=全外延の共通項)を表す(夏らしい夏)」と解釈する。> --(A)「類別」(限定1)を表す:spring, summer, autumn, winterの枠組みからの選択を表す「(春・秋・冬でなく)夏」と解釈する。--という記述に関してですが、ここには2種類の「類別」パターンが存在することを明示するか、あるいは(B)の「典型」/ 「代表」の説明の中に、その延長上にある下位カテゴリー同志の間における類別というパターンが存在することを言うかどちらかだと思います。どちらでもいいと思います。いかがでしょうか。 私としては指導しやすいのがどちらなのかという問題がありますが、これくらいのレベルの議論になると(煩雑すぎて)ついてこれる生徒はたぶんいません。 Nakayさんとの議論の途中で2種類の「類別」パターンを混同して、とんちんかんな反論をしてしまいました。どうか悪しからず。