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外国語の習得って骨折り損ではありませんか?

私は小さい頃、といっても7歳からですね、今18になりましたが、英語を勉強し続けてきました。NOVAにも3年間ほど通い(今も続いています)高校生の時に一ヶ月間の短期留学や1年間アメリカに留学もして今に至ります。ここまでお金と努力を費やしてきて最近つくづく思うのです。やっぱり所詮帰国子女でもあるまいし、ネイティブみたいにぺらぺらと話せるくらいの英語を習得するのは無理なのではないかと。多くの方が映画や街中でみる外国人に憧れ英語を習います。しかし結局無理なんです。私には英語を取ったら何も残りません、たとえどんなに低レベルの英語でもわたしにはそれしかありません。 英語、その他外国語に関して、私の考えは間違っていますか?みなさんの意見を聞かせていただけませんか?

みんなの回答

回答No.9

しゃらっぷきっずはん、こんにちは。 お名前は、黙れ、このガキ等!の意味でっか? おっちゃんも、そおいってやりたいガキやら、おっさんやらがぎょうさんいて困ってます。 えらい贅沢な悩みでんなぁ。会話学校やら、短期・長期の留学やら、おっちゃんみたいに、日本にいたままシコシコ英語やるよりなかった貧乏人には、羨ましい境遇でんがな。さぞええとこのボンボンなんやろ。 まあええ、贅沢できる人はすればええ。贅沢が悪いゆうつもりはあらしまへん。手段の問題やない、望みは叶わんよりは、叶うほおがええ。 実は、おっちゃんも同じや。今年の夏は、とくにしゃらっぷはんと似た思いに駆られることが多い夏やった。オリンピックの選手たち、いくらみんなに褒められても、出世しても、ええパトロンが付いて生活の面倒見てくれても、あないなこと(走ったり、飛んだり、泳いだり、て)に地道をあげて、なにが張り合いなんやろと思うてしまうのんは、おっちゃんだけやろか。 おっちゃん、断言できるで。なんぼ速うに走れても泳げても、オリンピックはその人たちだけの思い込み以外の何者でもあらしまへん。 はたでわいわい騒ぐのは、自分で思いつめて感動するだけのことをよお思いつかん、よおやれん有象無象の人間や。ゲームのルールも知らん競技を徹夜して見て、感動した、たいしたもんや言うて翌日職場で居眠りこいてけつかる。人生も、努力も、感動も他人に丸投げしけつかる腑抜けでんがな。そんなんがいくらお神輿担いだかて、価値の証明にはならしまへんがな。 汗流してはる選手には敬意を表しまっせ。そやけど、彼らを突き動かす価値観には、よお共感しへん。 高度選択社会、ゆう言い方がされるよおなって久しい今日この頃やが、生存にかかわる不可欠な価値の実現にはよおかかわらんで、あとはその人まかせの任意の価値を選択せなあかん世の中になってしもうた。そのことを自覚せんと、オリンピックひとつ付き合いきれへん。 英語の学習も似たよおなとこがあらしまへんか。要は語学力がつくことを価値があると感じられるような価値観を持ってへんと、語学力をいくら付けてもくたびれ儲けになるよおに思います。 その価値観をよお受け入れへんなら、早よ英語止めなはれ。もっとやりがいがある思えるものをやりなはれ。ええ若いもんが、ぶつぶつボヤいてナンもせんと、恵まれた境遇へただの恩知らずや。 ほな。

shutupkids
質問者

補足

人それぞれの価値観ではあるとは思いますが、オリンピックでいくら早く走ったり記録を伸ばしたりしてもそれはそれだけ。とは私は思いません。社会にでてしまうとなにごとも現実を見なくてはならないのですね、悲しい。英語に関しての価値観は私の場合たぶんNOVAで他の日本人よりもいろんなスラングを使いこなせてうまく話せる、そしてみんなからちやほやされる、これが私の英語に対する思いです。

回答No.8

アメリカに36年住んでいる者です。  私なりに書かせてくださいね。 自己暗示という単語を知っていますね. 自分で自分をどのように思うことで自分を台無しにする人もいるし、また、モチベーションを使って自分の弱点を認め(誰にでもあるわけですから)、前向きに自分を持っていくことが一つの自分をいかす方法にもなっているのです. また、人間って何かの理由で「落ち込むと」自分には何もできない、と思いこんでしまう物です. モチベーションを教える私でも一ヶ月に一度は必ずと言って、自分の無力さを感じます. だからといって無力だとは私は信じません. しかし、これはあくまでも自分が感じるだけの事であって、事実ではないのです.  あなたの質問である人を「物の見方」と言う物を感じ取らせました. ご存知ではないでしょうが、大変立派な事を言っています. その人にはそれを書くことによって、つまり、あなたの質問によって、その人自身に言い聞かせている事になっているのです. そういうことが正しいんだと思えるようになったからです. 英語を取ったあなたでも、ほかの人のために知らずして「いいこと」をしているのです. 英語をぺらぺら喋るネイティブでもはじめはしゃべれませんでした. ここで回答してくださっている方々でも、私を含めて、はじめはゼロであったし、わからないことやしゃべれない日があったのです.  でも、ぺらぺらしゃべれないと言う事は結果ではないのです. 単なる過程です. たしかに人それぞれに得て不得手があるでしょう. また遺伝的なものもあるでしょう. センスと呼ばれる物もあるでしょう. でも、あなたは日本語を問題なくしゃべっていますね. 作家になれるほどの表現力は一般人と同じようにないかもしれません. でも、一般人として日本語をしゃべる事ができますね. 英語だって同じです. 英語を勉強してうまくなれない理由(勉強の仕方とかで)もあるでしょう. でも、100%に近い確率で、やればできるようになるものです. 人間だからです. 諦めたら終わりですね.  でも、視点を変えてみれば、英語を全く必要としない人生もないとはいえませんね. それでいいのであれば、ほかの事をやる事も考えられますね. しかし、今までやってきた事に対し、目に見える結果を求めるのは無理な事だと言う事も知ってください. 病気が治るにも時間はかかります. 物事を習うのも時間がかかります. また、言語のように、終わりがない物もあります. 今まで日本では「骨折り損」と思わせるような英語教育をしてきました. 6年も学校で「習った」はずなのに実際には使えないと言う事ですね. つかえるようになるにはたくさんの「無駄」ともいえることをしてきたのです. しかし、使える英語と言う視点で勉強をすることによって、より効率よく英語を使えるようになる、目に見えて分かる様になる、  ここに来て質問している人たち、回答している人たち多くが英語というものに対しての姿勢を変えただけで毎日のようにうまくなっていく自分がわかるのです. ぺらぺらになるまでは英語を使えるなんていってはいけないなんて誰も言いませんよね. 要は向上すればいいのです. 分かる様になるように自分を生かしていけばいいのです. 昨日よりも今日、今日よりも明日、と前向きに自分を引っ張っていくことがいつもまにか聞き取れるようになったと急に感じ、単語・文章がすらすらと出て来るわけです. 出来るようになる過程にいつも自分がいる、と言うことを忘れないでください. やらなくては決してできるようにはなりません. そして、決して、ローマは一日にしてならずです. 継続はちからなり、です.  Believe in youself! Believe in "I can!!!". です。 このことを心底から感じ取れるようになれば、何をやっても「骨折り損」にはなりません、英語に限らず. 大切なのは、自分が自分のやる事に対してどのように感じるかです. そしてもっと大切なのは、自分がやっている事に対しいつも「より有意義な」「意味のある」やり方を見つけすることなんですね. 自分を引っ張る力をつけることで自分が作りたい結果と言う物に近付く事ができるわけです. 秋に植えた球根は春まで地面から芽を出しませんね. だからといって、植えたのは骨折り損じゃないですよね. 地面の下ではちゃんと発育しているのです. あなたの場合もそうだと信じますよ. と言う事で、「骨折り損」は単にネガティブな自己暗示であり捨てるべき、と言うことです. 頑張る事でできるようになる、と言うことですね. これでいかがでしょうか。 分かりにくい点がありましたら、補足質問してください。

shutupkids
質問者

お礼

Gさん、ありがとうございます。 あなたのおっしゃる事はもっともだと思います。 そんな風に一日一日を生きていけたらどんなに生活が生き生きとするでしょうか。 日本語にはいい言葉がありますね、継続は力なり。どんな目的があるかでどこまで継続できるかも変わってきますよね。 ここのサイトのGさんの回答をいつも拝見させてもらっていますがGさんは超人的存在に思えてきてしまいます。アメリカ在住がGさんをそうさせるのでしょうか。 Gさんはアメリカで仕事をされていることを前提に書き込みしますが、その場合必要に迫られるということもあり英語は後からついてきますよね?でも仕事で使う必要もない人が独学で学ぶって意思の問題もあるしどこまで自分で成果が出せるとお思いでしょうか?

回答No.7

価値観は人それぞれなんで絶対的なものなんてないんですね。でも一度冷静に自分を評価してみたらどうでしょうか。言葉である外国語を習得するのに勉強はもちろん欠かせないのですが、学習者側にも相性の問題があります。つまり人によって言語能力のセンスがあるかと言うことですね。少なくとも発音を良くするには良い耳を持っていないと無理です。耳が悪い人は上達が遅いです。だからある意味では頑張りとは関係ないところで(自分の脳の構造上)英語が簡単に身につく人と身につかない人が居るのです。母国語以外の言語習得にはこのような事実があるんですね。 それで、あまりセンスがよくないとの事であっても諦める必要性は全くないんですね。でも自分のレベルが分かって、納得して、またそれが自分の頑張りとは違う次元でレベルの差がでてしまう事を先ず正しく受け入れることですね。 自分の状態が分かればしめたもんですね。だから何年やっていても、海外留学しても皆自然に同じレベルに達しないこともあるんですね。それを気にしていたらきりがないし、自滅します。 自分が満足できるレベルで英語を楽しめればいいと信じます。別に仕事で使うとかは別の考えですね。あまりうまくないけど(ならないけど)ずーとピアノを何年も独学で練習する人っているじゃないですか。下手でも自分で楽しんで曲をひいている、ひこうとしている、この過程が大切で結果じゃないんですね。 自分が幸せになれば良いのです。その中で自分の英語との付き合い方を感じ取れば失敗はないと信じます。 また聞いてくださいね。

shutupkids
質問者

お礼

英語を目的にするかほかの事を目的とするかで留学の成果もだいぶちがってきますよね。 気づきました、やっぱり自分の中の目的。どうしてじぶんは英語でなきゃだめなのか、そこまで英語にのめりこめる部分はあるのかどうか、自分に問いたいと思います。ありがとうございました。

回答No.6

『外国語を話せるかどうか』 これはある程度のステータスになりますね。 (特に日本国内では) けれど、話せるかどうかより、それを何に役立てるか、自分の将来や趣味や夢とどう繋げるかが重要だと思います。 折角に労力とお金と時間を費やされたのですから、無駄になさらないようにご自身で努力されては如何でしょうか? 少なくともお仕事の選択においても、ご友人を作られる際の人脈の幅も広がったはずです。 高校生でいらっしゃる頃でしたら、恐らくその経費はご両親が捻出して下さったものですよね? でしたら恩返し(大袈裟でしょうか)の意味でもご両親を海外旅行へ連れて行って差し上げたりされるのもいいかも知れませんね^^ スキルを向上したいとお考えでしたら、再渡航されても、英語を使うお仕事に携われても、いつでも何処でも勉強することは出来ます。 英語を取ったら何も残らない、とまで書いていらっしゃるのですから、英語とリンクさせたご自身の夢が見つかるといいですね!

shutupkids
質問者

お礼

見抜かれていますね。今まさに就職や自分の進路の選択の岐路に立たされています。すこしネガティブになっていました、留学中はそこそこ話せていましたが、最近じゃどんどん衰えていくんです。まさにパニック状態ですね。どこまで英語に振り回されていくのかな。それこそ私が依存しちゃってるみたいな。外資系にいけるようになりたいので無謀だけどやれるとこまでやってみる。人生は一回だしね。ありがとうございました。

noname#27172
noname#27172
回答No.5

これを言ったら終わりですよ。何も趣味や特技を持たず、ダラダラ生活しているよりは よっぽどマシじゃないですか? 私は小3で英語、中2でフランス語を始めまして、一応 使えるレベルまでは習得しましたが、ネーティブには 程遠いですね。私も語学には相当の労力と時間を費やしまして、特に部活動で思いっきり、汗を流して、力をぶつけ合った青春の思い出がないのです。部活動で青春を謳歌した人も沢山おります。でも、これも骨折り損ということはないでしょう。青春の貴重な思い出になり、これから社会に出て行く上での自信にも繋がるでしょう。私も、中学、高校と語学にかけた情熱を 後悔はしません。 そうですね、もっと前向きに考えてください。もし、 shutupkidsさんが これほど英語に労力や時間を費やさなかったら 代わりに何をして何が残っていたでしょうか? ただ、何となくボーっとして 何も残っていなかったかもしれませんね。

回答No.4

「私にはそれしかありません」とおっしゃいますが、英語をまったく話せない、素養すらない同世代の18才に比べれば質問者さまには多くの可能性が拓かれているのではないでしょうか? そのまま、勉強を続けて翻訳や通訳など英語のスペシャリストになることもできるでしょうし、海外の大学に入って他の学問を納めることもできるでしょう。 語学の修得ってものすごい地道な努力が必要なので「所詮は骨折り損」と思われる気持ちもわからなくはないですが、それは途中であきらめてしまうからでは?あきらめないためには、やっぱり是が非でもモノにする、という強い目的意識が必要なんですよね。 確かに、海外では「外国語を学ぶためだけに外国語を学ぶ」人はいないそうです。つまり、フランス料理を学びたい、だからフランス語を学ぶ、というふうに目的とやりたいことがはっきりしているので、漠然と「英語を学ぶ」日本人は奇異にうつるようなんです。 質問者さまも「英語を話せるって、かっこいいかも」ということで学んでいた時代を過ぎて(きっかけとしてはそれで全然構わないと思います)、勉強を続けるにおいて次の新たな目標を見つける時期にきたということではないでしょうか。

noname#19193
noname#19193
回答No.3

世界の多くの人とコミュニケーションをとるには、現在のところ英語を習得するのが、一番の近道だと思いますよ。 世界中で一番スピーカーが多いのは中国語だという話ですが(なにしろ人口が多いから)、国際的な面からみると英語がもっとも意思疎通の手段として使われている言語ですから。 外国のかたがたにも英語が苦手な方は大勢います。ネイティブみたいに話せなくても、おたがいに意思の疎通ができたら、それが一番よいのではないでしょうか。 英語圏の中にも、アメリカなまり、オーストラリアなまり、フィリピンなまり、フランス語風英語から、クイーンイングリッシュまで、英語を使う人がみんな、自分のなまりが日本語で言うところの標準語といった様子で臆面もなく話しているのをみます。 なんのために自分が英語を話したいのか(あるいは読み書きができればいいのか)、その目的を明確にすることですね。

回答No.2

以前海外に住んでいました。 私はその国の言葉を正式に習ったことはありませんでしたが私より日本で学んで来た方々の方が言葉はうまくてびっくりした覚えがあります。しかし言葉が使えるからと言って全てがうまく行くということでも無いようでした。言葉はわかってもその本当の意味はなかなかわかりません。言語の習得だけが目的ならそれは本当に骨折り損のように感じます。あなたの場合はもうあるレベルまで行っているのでしょうからそれを使う事を考えてみてはいかがでしょうか。私が接した欧米人も決して英語がうまい人ばかりではありませんでしたよ。

回答No.1

こんばんは。 私も外国語とは縁がありますので(決して得意という意味ではないですよ……笑)、ちょっと一言失礼します。。。 英語に限らずどんな外国語にしてもそうですが、結局、何のために習得するか、という目的の問題だと思います。つまり、その言葉を活かして何をするのか、ということ。同時通訳になるのならともかく、翻訳者として必要なのか、ビジネスユースとして必要なのか、はたまた趣味のために必要なのか……それによっても、求められるレベルなり質なりが違ってくると思うんですね。だから、何がなんでもネイティブみたいに話せなきゃいけないと思うと、もう強迫観念にもなるけど(笑)、自分なりに達成すべき具体的なラインが見えていれば、そんなに悲観視されることないのではないでしょうか。 shutupukidsさんの考えが間違っているなんて思いません。それだけ努力されてきて立派ですよ。英語を取ったら何も残らないなんて、きっとそんなことないはず。その得意の英語を活かして、きっとshutupukidsさんしかできないことがあると思いますよ!

shutupkids
質問者

補足

目的....そうなんです。私には英語という目的しかありませんでした。私がステイしていたホストファミリーのところに去年きていた日本からの留学生 リカちゃん(仮名)はとにかく音楽が大好きで。日本にはないのですがアメリカにはマーチングバンドっていうのがありフットボールのゲームの休憩時間にパフォーマンスをするというものでとても盛んに行われているんです。彼女はそのための留学だったらしいです。だからまぁ英語は二の次というか。なのにリカちゃんの英語は日本人とは思えないほど流暢な俗に言うぺらぺらというかんじでした。わたしもそうなりたかったけど、そもそも留学の理由が‘憧れ’みたいなところからあったんで自業自得かなあと。 そうですね、まずは目的を探さずにはなにも始まらないと。私の英語を始めた理由が理由なんであまり伸びないのかな。なんて思います。

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