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代官の家来
江戸時代の1660年頃の大身旗本で在地代官を置くことがありましたが、家来には自分の子弟ではなく、付き合いがある家や仕事ができる人を選んだってことがあったみたいですが、そういうことも実際は、あったのでしょうか?
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>江戸時代の1660年頃の大身旗本で在地代官を置くことがありました 今でも、地方に行くと「この周辺を支配していた旗本屋敷」が残っていますよね。 本人は、江戸に屋敷を構えて将軍に奉公しています。 >家来には自分の子弟ではなく、付き合いがある家や仕事ができる人を選んだってことがあったみたいです その通りです。 時代劇では「悪代官」が多いですが、実際は「年貢の確保=善政・計算できる」など優秀な部下を派遣する必要がありました。 親族・部下だけでは、どうしても人材確保は出来ません。 年貢の安定徴収=収入の安定確保を意味します。 江戸時代を通じて、案外私腹を肥やした悪代官は少ないのです。 百姓一揆の場合は、豊作不作に関係なく決まった年貢を徴収したので怒りが爆発した場合が多いのです。 百姓も、「無い袖は振れない」。 旗本派遣の代官に限らず、幕府(天領)・諸藩(飛び地)の代官も同様です。
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- stss08n
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回答No.1
旗本とは、”歴代将軍の護衛を、目的とした”直系の、武士団でしょう。 さすれば”家来を増やすとしても、代官に任命をされた”上司の方々からの、許可 承認が、必要なのが、当然でしょう。・・・ まれには、その旗本の方_俸給しだいな事でしょう。 単純に、付き合いのある”家とか、仕事が出来る?;具体的には、どんな事が出来るかが重要ですから”そんな安直・思い付きな事は、許可が、おりない事が、 あるものでしょう。 ***********************************
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