- ベストアンサー
寺子屋にて
江戸時代は、庶民も寺子屋などで読み書き算盤を習っていて識字率が高かったということですが、「読み」「書き」はどの程度できたのでしょうか? 「読み」は、漢文なども読みこなせたのでしょうか。論語や儒学系のものも読んでいたのでしょうか。 「書き」は、漢字も今でいう常用漢字程度は普通に書けるくらい寺子屋で鍛練していたのでしょうか。 勘定方や祐筆に就いた御家人クラスではない、数千石クラスの大身旗本や諸藩の上級武士も算盤の心得は一応あったのでしょうか?
- みんなの回答 (2)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
寺子屋でならうのはごく初歩的な読み書きだけで漢文などを読みこなすことは教えられません。かなやよく使われる漢字がよめるくらいでした。 書くほうもそれに相応した程度でした。 江戸時代には算盤など町人のやることだという考え方が多かったので算術については、一部の好事家、和算の好きなものをのぞいて高級の武士はほとんど習っていません。勘定奉行になっても詳細はほとんどわからず実務は勘定吟味役以下にまかせざるを得ませんでした。(前田利家が常に算盤を持ち歩いていたように戦国時代はそんなことはありきせんでしたが。)
その他の回答 (1)
- komes
- ベストアンサー率29% (147/494)
一概に寺子屋といっても色々でしょう。 先生の質、学識の程度により当然差があったと思います。 論語なども「論語読みの論語しらず」という言葉があるように聞きかじっていても理解していない程度の先生なら、現代のカナ言葉を乱発する人のように学識に博をつけるジェスチャーとして使うような事もあったでしょう。 読み書きの程度も大体他の回答者様の程度であったとおもいますが、名前によく使われる漢字や生活に必要な漢字など実用的な漢字は習得したと考えます。 学習の程度は教える側の熱意と教わる側の熱意によって決まるものです。 武士と算盤の関係も実務は下級武士の担当でしょうが、上級武士といえども経済担当となれば数字の意味が理解できなければお役がつとまりません。 算盤が使えなくとも数字の意味する事が理解できれば良いのではないでしょうか。
お礼
名前によく使われる漢字や生活に必要な漢字は習得したのですね。 熱意のある先生ならもっと深く教えていたかもしれないですね。 上級武士でも数字の意味するところは理解できていたのですね。 ありがとうございました!
お礼
寺子屋で教わるのは小学校低学年程度の漢字だったということでしょうか。 上級武士は算盤の心得はなかったのですね。 勘定奉行といっても、財務に明るい人間が拝命していた訳でなく、ポストの1つにすぎなかったのですね。 ありがとうございました!