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旗本の領地
江戸時代の旗本には、領地を持っている人と領地を持たずに米で禄をもらっていた人がいると聞いていますが、実施には、どのくらいの割合の人が実際に領地を持っていたのでしょうか? また、大名の領地の支配機構を「藩」と言いますが、旗本の領地の支配機構には、「藩」と同様の呼び名はあるのでしょうか?
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>旗本の領地の支配機構には、「藩」と同様の呼び名はあるのでしょうか? No1の方の書き込みのように、知行所、というようです (エンカルタ総合大百科「知行地」で検索)。ただ、土佐藩という言い方はしますが、吉良知行地とは言わず、「知行地は吉良にある」と言うようです。 >どのくらいの割合の人が実際に領地を持っていたのでしょうか? 小川恭一氏の「江戸の旗本事典」(講談社文庫)の304ページに「旗本の500石以上の家は、90パーセント以上は知行どりで・・・」という記述はありますが、500石以上の旗本が何家あったかは、記憶にありません。
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- totan
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回答No.3
2番の方の >500石以上の旗本が何家あったかは、記憶にありません。 これについては、参考URLに出ています。 やはり大半が500石以下だったようです。
- kouzukenosuke
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回答No.1
米と領地を持っている人の割合については、ちょっとわかりませんが、 多くの旗本が多かれ少なかれ領地は持っていたと思います。 旗本の領地の事を一般に「知行所」といいます。 しかし、交代寄合という特殊な旗本(旗本なのに参勤交代がある)は 自分の領地の事を万石以下なのに藩と称しています。