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江戸時代の医者
江戸時代、医者になる人はどんな階層の人なのでしょうか。 医者の子弟が医者になる以外の場合です。 武士でしょうか?
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江戸時代は標榜医ですから、医者の看板を掲げれば誰でも医者になれます。 医者にもいろいろあり、現在のような保険もなく自由診療ですから、庶民はなかなか医者に罹る事も出来ませんし、奉公人などはお金があっても主人の許可がなければ医者が呼べません。 町医者でも往診が普通で、1回頼めば薬料ともに現在の感覚では10万円近い料金がかかります。 そこで「鍼灸医」というものが活躍し、これは今で言う健康食品のようなあいまいな扱いで、現在の鍼灸医と違い、守備範囲はかなり広く、料金もリーズナブルで、奉公人も主人の許可を受けなくても通えるので、通常はこういった鍼灸医が庶民の健康を支えることになります。 劇画の藤枝梅安も鍼灸医ですが、外科の領分である怪我の治療から内科的な治療まで引き受け、現代なら医師法違反になりそうですけど、江戸時代は問題なかったのですね。 こういう医者と医者に近いものにより江戸の健康は保たれており、誰でもなれる反面、腕が悪ければ誰も罹りませんから、淘汰されていきます。 医者の身分ですけど、概ね儒学者など学者より下と見られますから、比較的いろいろな身分から入ることが多く、武士の次男以下が食い扶持を稼ぐために医者になったり、地方のお金持ちの子弟がなる場合が多いようです。
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- komes
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だれでも医者になれたのは事実ですが、少なくとも医学書を読める必要はあり、薬草の効用、それらの区別などを修得する学力の素養は必要です。 従って武士か僧侶からでなければ、それらが修得する事が可能な医学塾に弟子入りする必要がありました。 それが可能な資産が必要で塾の雑用を引き受けて苦学する人もいました。 さらに蘭方医を志す場合はその上に蘭学、オランダ語を修得する必要がありそれが可能な大阪の適塾とか、長崎に留学しました。
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確かに基本的な素養は必要ですね。 回答ありがとうございます。
- ffffffff
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司馬遼太郎の「花神」によると、江戸時代には、医師の免許制度は無く、共の者に薬箱を担がせて歩けば、立派な医者として通ったそうです。後は、世間が審判し、腕がよければ、繁盛したということです。つまり、修行をしなくても、誰でもなれたということです。 ただし、これは、町医者の話です。幕府や大名に抱えられた官医は、立派な士分(武士)だそうです。非常に腕が良い場合、町医から官医に登用があった場合もあったそうです。官医は「坊主頭」、町医は「クワイ頭」だそうです。例えば、「適塾」の緒方洪庵が、それです。 「花神」は、町医・村田蔵六の話、「胡蝶の舞」は、官医・松本良順の話です。興味があれば読んでください。
お礼
町医から官医になる道があったのですね。 回答ありがとうございます。
- tatsumi01
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誰でもなれたと思います。 開業にも免許なんて不要です。 ただ、腕のある医者のところに弟子入りして修行しないと実力は付きませんから、授業料相当(束修?)を払える境遇の子でないと無理だったでしょう。
お礼
回答ありがとうございます。
お礼
鍼灸医ついてのご教授、大変興味深いです。 いろいろな身分から医者になったのですね。 回答ありがとうございます。