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日本国内で収容されていた連合軍の捕虜の私信の扱い。
捕虜は、母国との通信(私信)が可能だったそうです。 発信はかなり制限されていたようですが、受信は、驚くほど多くあった例もあります。 質問です。 1.通信を取り扱ったのは民間ですか、公的機関ですか。その名称を教えてください。 2.日本政府も軍部も捕虜に関する通信には寛容であった、ということですか。 通信には、ヒト、カネ、モノが要りますが‥。 よろしくお願いします。 参考:姫路広畑俘虜収容所が大阪俘虜収容所所長に提出した「昭和19年11月分月報」には、受信の件として次のように報告しています。 10月30日 家族より通信文部数901通 受領、検閲後受け渡す。 (当時の俘虜は500人ほどで、英、豪計3人以外は米人です) 11月12日 同 1005通 受領、検閲後受け渡す。 また、発信の件として10月28日 俘虜発信文452通とあります。
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1.普通に郵便局。まあ公的機関ですね。郵便物の消印は後世の実効支配の証であり当時の実効支配の象徴です。戦地・植民地の区別なく可能な限り配達がなされます。連合国から日本の場合だいたい中立のロシア経由です。 2.届けたという事実が必要なだけで通信させたいわけではないのでもちろんがっつり検閲してるはずです。
お礼
ご回答ありがとうございます。 無線かと思っていたのですが、郵便とは意外でした。 「捕虜郵便」をキーワードで調べてみますと、確かに郵便もありました。 無線か郵便か、どちらが多かったのかは分かりませんが、私の疑問は解けました。