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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:日本国内の米国人捕虜への赤十字救恤品。)

米国人捕虜への赤十字救援品を日本国内の収容所に送る方法と経路は?

このQ&Aのポイント
  • 米国から日本国内の収容所の米国人捕虜への救援品は、スイスにある国際赤十字を通じて送られてきました。
  • 具体的な送り方や経路については明確な情報はありませんが、多分船便で送られていたと考えられます。
  • 昭和19年11月には赤十字社から396個の援助品と5箱の救援品が受領され、主に食料品が含まれていました。

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回答No.1

 戦時中真っ只中の1944年10月、赤十字社の仲介の元、日米間で捕虜や拘束されている民間人向けの救援物資を交換する協定が結ばれています。  物資は当時中立国だったソビエト連邦のナホトカで行われ、それぞれ船で持ち帰っています。この運搬船には、安導権と呼ばれる病院船並の保護が与えられています。この救援物資は日本国内だけでなく、香港やマレー半島・ジャワ等の南方にまで送られました。  この南方への物資輸送を担当した「阿波丸」という船がいるのですが、南方への物資輸送後、帰り際に通商破壊中だった米軍の潜水艦「クイーンフィッシュ」に撃沈されるという悲劇も起こっています。安導権は届ける時だけではなく、母国へ帰港するまで有効な権利でした。

kouki-koureisya
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 よく分かりました。 1944年10月、日米間でそのような協定が結ばれていたのですね。 調べてみますと、白山丸が新潟からナホトカへ赴いていました。 そして、神戸へ入港していました。 ご教示に感謝申し上げます。

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