※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:日本国内の米国人捕虜への赤十字救恤品。)
米国人捕虜への赤十字救援品を日本国内の収容所に送る方法と経路は?
このQ&Aのポイント
米国から日本国内の収容所の米国人捕虜への救援品は、スイスにある国際赤十字を通じて送られてきました。
具体的な送り方や経路については明確な情報はありませんが、多分船便で送られていたと考えられます。
昭和19年11月には赤十字社から396個の援助品と5箱の救援品が受領され、主に食料品が含まれていました。
収容所宛あるいは捕虜個人宛に救援物資が届いたそうです。
米国から日本国内の収容所の米国人捕虜への救援品は、どんな手段・経路で送られてきたのですか。
スイスにある国際赤十字が仲介したようです。
荷物は、多分船便だと思いますが、下記例のように昭和19年11月という時期に無事届いたことが不思議で、質問しました。
よろしくお願いします。
参考:姫路広畑俘虜収容所が大阪俘虜収容所に提出した「昭和19年12月分月報」には、救援に関する事項として次のように報告しています。
11月18日 赤十字社援助品 396個(4個入り)受領
11月29日 赤十字社救援品 5箱(30組入り)受領
これらは主に食料品だったようで、12月25日降誕祭の食事は、3食とも驚くほど豪華です。
お礼
ご回答ありがとうございます。 よく分かりました。 1944年10月、日米間でそのような協定が結ばれていたのですね。 調べてみますと、白山丸が新潟からナホトカへ赴いていました。 そして、神戸へ入港していました。 ご教示に感謝申し上げます。