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太平洋戦争における日本軍の捕虜について
第二次世界大戦では、孤立した部隊が降伏し、高級将校が捕虜になった事例がいくつか見られます。(スターリングラードのパウルス独元帥、シンガポールのパーシバル英中将等) 日本軍は戦陣訓によって、捕虜になる人間は比較的少なかったわけですが、太平洋戦争中に捕虜になった日本軍人での最高位者はだれなのでしょうか。(将官はいたのでしょうか) 陸海軍それぞれの捕虜の最高位者について、捕虜になった際の階級と事情をご教示ください。
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- fukkatsu-biz
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沖縄戦の八原大佐は有名です。
http://wpedia.search.goo.ne.jp/search/%BB%B3%B2%BC%CA%F4%CA%B8/detail.html?from=websearch#.BB.B3.B2.BC.C2.E7.BE.AD.A4.CE.B0.E4.B8.C0 ご参考までに 山下 奉文(やました ともゆき) 大将 1943年(昭和18年)2月10日 - 大将に昇進。 その後、捕虜となり死刑判決を受けてます。
- aran62
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第四艦隊第四気象隊所属第二代気象隊長です。
- ecoshopQ
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ギャハ!!!! 山下奉文とまちがえた。 すまそ。 五十六の方は撃墜。有名な話よね。
- yatiyochan
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海軍の場合は、当時連合艦隊参謀長 福留 繁中将(海兵40期 海大24期)で、パラオ島からミンダナオ島へ飛行中の1944年(昭19)4月1日にセブ島沿岸沖に不時着し、アメリカ軍中佐クッシング率いるゲリラ部隊に捕われ機密文書(連合艦隊機密命令第73号)を奪われたのち、同島駐屯の日本陸軍独立歩兵第173大隊から救出されました。これを「海軍乙事件」といいます。福留中将は文書の件について黙秘したまま不問とされ、この後第2航空艦隊司令長官へ栄転となりました。 陸軍の場合は、第128師団長 水原義重中将(陸士20期予備役)。1945年(昭20)8月14~16日に満洲国(現中国東北部)間島省(現吉林省)樺皮甸子において師団司令部がソ連軍戦車部隊の急襲を受けた際に捕虜となりました。当時ソ連の記録フィルムに中将が捕虜となった後ソ連軍ジープに乗せられ連行されるシーンが映っています。
お礼
福留中将の場合は、一時的に捕虜になりましたがほどなく解放されていますので、今回教えていただきたい「捕虜収容所へ送られた」という観点からは少しニュアンスが違うのです。すみません。 水原中将や山下中将も、日本降伏後(水原中将はその前?)の捕虜ですので、別扱いとさせてください。
- aran62
- ベストアンサー率16% (485/2911)
海兵四十七期の現役海軍大佐 山賀守治大佐 昭和19年秋、グアム島で部下120名とともに捕虜となる。 これも含んでいいのかな? http://src-h.slav.hokudai.ac.jp/publictn/81/page_1319.pdf
お礼
>海兵四十七期の現役海軍大佐 山賀守治大佐 この方は知りませんでした。捕虜収容所に送られたようで、今のところ最高位者ですね。 ただ、グアムの戦史を読んでも出てこないのですが、役職はなんだったのでしょうか? http://yokohama.cool.ne.jp/esearch/sensi1/sensi-tyubu23.html
山本五十六 元帥 ↓ 昭和18年(1943年)4月18日、前線視察のため訪れていたブーゲンビル島上空で、米軍に通信文を傍受されたため乗機一式陸上攻撃機をアメリカ陸軍航空隊P-38戦闘機に撃墜され戦死した。 ※捕虜に、なってません。
- trajaa
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福留繁大佐 海軍乙事件 等で検索してね。 将官か?よりも、後への影響や事後の(官僚体質の典型的)処理等で、非常に印象に残っている。
終戦後ですが、山下奉文陸軍大将。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E4%B8%8B%E5%A5%89%E6%96%87 #1氏の回答の山元元帥はラバウル視察の際に撃墜死しましたので、捕虜になっていません。
補足
終戦前(昭和20年8月15日以前)の事例でお願いします。
- ecoshopQ
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山本五十六
補足
山下大将も日本降伏後の捕虜ですよね。 日本が降伏する前に捕虜になった将官はいないのでしょうか。