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明治初期の電信料金

モールス信号による電信は、驚くべきことに、既に明治4年頃には世界の主な地域を繋いでいたそうなのですが、1871年11月に欧州へと出発した岩倉使節団が、不平等条約の改正交渉の経過報告を、この出来たばかりの回線を使い行った際、電信代は、いくらくらいかかったのでしょうか?

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回答No.2

 参考までに >1872年1月1日、長崎-ロンドン間の電信サービスが始まった。料金は20語あたり4ポンド6シリングで、長崎から国内の宛先までの配達料は無料であった。  なる記述が https://www.ituaj.jp/wp-content/uploads/2016/07/2016_07-07-spotMakuake1.pdf にあります。   ではでは

参考URL:
https://www.ituaj.jp/wp-content/uploads/2016/07/2016_07-07-spotMakuake1.pdf
tahhzan
質問者

お礼

デンマークの会社が海底ケーブルを敷設したのは幕末ではなく、1870年だったんですね。それと、料金ですが、4ポンド6シリングということは、4.3ポンドであり、現在では、当時の1ポンドが5万円ということらしいので、約21万円、1語につき1万円……やはり、かなり高額だったようですね。ま、当時では、内容によっては、それだけの価値はあったでしょうね。PDFありがとうございました。保存致します(^-^)

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その他の回答 (1)

  • SPS700
  • ベストアンサー率46% (15297/33016)
回答No.1

 1871年11月に欧州へと出発した岩倉使節団が、不平等条約の改正交渉の経過報告を、この出来たばかりの回線を使い行った際、電信代は、いくらくらいかかったのでしょうか?  これは、「経過報告」が下記のどの部分かはっきりしませんが。膨大な量の全部を電信で送ったとは思えません。  https://www.jacar.go.jp/iwakura/record.html  岩倉は政府の使節、電信を扱った逓信省の電信局は政府の一部ですから「電信代」はかからなかったと思います。

tahhzan
質問者

お礼

そうなんですか。実際は、海底ケーブルの敷設料金などを考えると、膨大な費用はかかるんでしょうが……それにしても、幕末にデンマークの会社がロシアのウラジオストクから日本まで、既に海底ケーブルを敷設したとかで、欧米の技術力には、ただ、驚くほかないですね。ありがとうございました。

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