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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:岩倉具視のちょんまげ)
岩倉具視のちょんまげ
このQ&Aのポイント
- 明治時代の岩倉遣外使節団の有名な写真には、岩倉具視が他のメンバーと異なるちょんまげと着物姿で写っています。
- 岩倉具視がちょんまげと着物を着用していた理由には、公家出身であることや自身のプライドが関係している可能性が考えられます。
- 岩倉具視は元・公武合体推進派であり、そのためメンバーの中では微妙な立場にありました。
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noname#113260
回答No.1
この時は征韓論に敗れた西郷隆盛の 「大使は、烏帽子(えぼし)、直垂(ひたたれ)を着し、礼を厚うし、威儀を正して行くべきでごわす。」 という言葉が残るように、正装としては烏帽子・直垂と考えたのではないでしょうか。 ただ岩倉の場合、途中の船内でもこの格好をしてたようですから、彼自身は公家の伝統的服装に愛着があり、彼なりに威儀を正していたと考えます。 そんな彼もグラント大統領に謁見した後のパーティーではデンネルコート(礼服)に着替えてますから、TPOは弁えていたのでしょう。
お礼
jacksparowさん、kamieroさん、98Kinさん、ご回答ありがとうございます。いつものように「質問する」を1回クリックしただけなのに、同じ質問が2つも行ってびっくりしてしまいましたが、ご回答が寄せられ感謝しております。 私も、NHK「その時歴史は動いた」を見ました。いつもはトリビアを見ているのですが、この日は裏のNHKを見ました。岩倉の公家としてのプライドだったのですね! 一言ではうまく言えないですけど。