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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:天皇の祖先はいつから日本で一番尊くなったんですか)

天皇の祖先とはいつから尊くなったのか

このQ&Aのポイント
  • 天皇の祖先が尊くなったのはいつか
  • 卑弥呼の存在と天皇の尊さについて
  • 神武天皇以前にも尊い人物は存在していたのか

質問者が選んだベストアンサー

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  • fujic-1990
  • ベストアンサー率55% (4505/8062)
回答No.7

> 旧石器時代にも・・・ 軍を率いたり政治を行ったりするような文化が人々には > あるわけがなく、皆が対等なので、当然天皇の祖先とて特別な存在では > なかったと思われます。  でしょうかねぇ?  私は、「あの人にくっついて行くとたくさん栗が拾える」とか、「あの人の言う通りしているとイノシシを簡単に捕まえられる」「あの人がいると、強盗が襲って来ない。来ても撃退してくれる」という類いのリーダーはいたと思います。  そのために、人間は寄り集まるのですから。  蓄えることができる米作りが始まれば、富める者と貧しい者の違いは拡大しただろうと思います。 > 卑弥呼が生きていたころは天皇とどっちが偉かったのかと思います。  鬼道によって国同士の争乱を未然に防いでいたのですから、卑弥呼が偉かった・・・ 崇拝されていた、だろうと思います。 > そして天皇が日本で一番尊い存在になったのはいつか。  私ダケが言っているわけではないですが、私も「崇神天皇」の時ではないか、と思います。  生年没年とも不明な人ですが、第10代天皇ですね。当時は天皇ではなく「大王」と呼ばれていたんじゃないかと思いますが、最高位の人だったのはこの人じゃないか、と思っています。  後世この人は「はつくにしらす すめらみこと」という称号を贈られ、事績の紹介が、突然それまでの天皇より具体的になっていますので。  例えば、4道に将軍を派遣して大和朝廷の領域を広げたとか、池溝を開いて農業の便宜をはかり、男女別に税制を確立して国家の財政制度を確立したとか。海外との交流もあったらしいです。  事実でないとしたら、ここまで具体的にはちょっと書きづらい。  人間、ウソをつくときは「話が曖昧になる」ものです。「智子ちゃんちへ言って来る」ではなくて「友達んとこ、行ってくる」てな具合。実は、彼氏の家に行って口には出せないことをやっていたり・・・ (^_^;\(^O^ )。  ちなみに、これも私ダケが言っていることじゃないのですが、第26代の今の福井?あたりから来て、なかなか都に入れないでウロウロしていた「継体天皇」の前(25代武烈天皇)で、正規の皇統は途切れたんではないか、と思います。  継体天皇は応神天皇の5世の孫だそうですが、5代も離れたら赤の他人です。一度も遭わないイトコだって珍しくないのに。  「あんまり近いと、まだ生きている人の中に『違う。応神天皇の孫じゃない』って証言する人がいるかもしれないので、ちょっと離して、応神天皇の5世の孫ということにしておこうね」という感じだったのではないか、と。

dorawii
質問者

お礼

もっと単純なリーダーが、どんどん発展していって、天皇へとつながっていくということですね。事績が具体的になったところに着目した説明も説得力があります。継体天皇のくだりも興味深く読ませていただきました。回答ありがとうございました。

その他の回答 (8)

  • cse_ri3
  • ベストアンサー率25% (165/640)
回答No.9

いわゆる記紀(古事記、日本書紀)の記述が正しいとすると、質問者さんの認識どおり神武天皇からで合っていると思います。 神武天皇も人間なので、当然親はいたはずですが、神として誤魔化さないといけない存在だったのでしょう。 もし神武天皇の親も天皇または王のような存在なら、それを素直に記録すれば良いだけです。 その場合、初代天皇は神武天皇ではなくなりますが。 神武天皇以降、天皇家は神武天皇の子孫でないといけないという合意が、日本国内でできたと思います。 継体天皇について触れた方もいますが、いくら五大前とはいえ、神武天皇の血筋であると思われる(本当かどうかわかりませんが、当時の人はそう思ったはずです)継体天皇を、即位させるわけがありません。 当時も異論はあったのでしょうが、史実が示すとおり、大勢を覆すことはできませんでした。

dorawii
質問者

お礼

神武天皇よりも遥か後に成立した歴史書に、なぜ神武という当時の大王よりも前の世代の人を「天皇」として記録しなかったのかということですね。具体的に記録するほどの功績や人徳がなかったから、神として誤魔化すというのはある意味で皮肉を感じます。

  • SPS700
  • ベストアンサー率46% (15297/33016)
回答No.8

 #5です。補足です。 >>「神武天皇の世代が境界」というのは神武天皇が生きていたとされる「年月」そのものを指していたのです。語弊がありました。 のちの回答者のために訂正しておきます。  ご訂正ありがとうございます。  ついでですが「卑弥呼自体が皇統上の存在」と考えれば、霊媒者のため目立つ存在だった血統が、明らかに男尊女卑に切りかえられた「国産み」の伝説でわかり、  白村江で百済とともに負けた日本が、戦勝国の唐の都市計画を真似て平城京、すなわち天皇の基盤を作った過程で日本の伝統が急速に唐化するのがわかります。  https://www.asuka-tobira.com/hakusonkou/hakusonkou.htm

dorawii
質問者

お礼

卑弥呼の周辺の代は女尊男卑だったが、戦争で負けた影響による唐化、儒教の流れ込みによって逆転したということでしょうか。補足ありがとうございました。

回答No.6

少なくとも飛鳥時代までは天皇は偉くなかったです 蘇我氏が居た頃は必ずしも豪族は天皇に従ってたわけでは無いですし 天智天皇が中央集権国家の体制を確立させて 「天皇」と言うものを明確に示した時が天皇の権威付けの始めだと思います かつての蘇我氏の様に 平安時代に藤原氏が台頭しますが さすがの道長も天皇を凌ぐ事は出来ませんでした なのでこの時代には既に天皇が頂点で有ることは確立していたと思います 神武天皇の頃は「豪族のトップ」と言うのが一番偉い存在で それが代々受け継がれて皇族になったのでは無いかと思います

dorawii
質問者

お礼

回答ありがとうございます。神武天皇の頃は豪族のトップの座に君臨する血縁集団はまちまちだったが、それが断続的ではあるがある特定の血縁集団がその地位を占めることが多くなる時期へと移行し、次第にそれは連続的になっていった。そうして特定の豪族がトップの地位を安定させる=天皇へとつながっていったというところでしょうか。

  • SPS700
  • ベストアンサー率46% (15297/33016)
回答No.5

1。たとえば卑弥呼が生きていたころは天皇とどっちが偉かったのかと思います。  三世紀の『魏志』に卑弥呼は出て来ますが天皇は記載されていません。天皇ゼロの時代です。 2。そして天皇が日本で一番尊い存在になったのはいつか。  「偉い」かどうかは知りませんが、権力者になったのは、奈良に 平城京を作った八世紀以前でしょう。 3。それこそ神武天皇の世代が境界なのでしょうか?  架空の人物は境界にはできません。 4。天皇が出現するのは上記三世紀と八世紀の間です。『古事記』のように天皇家の正当性を述べなければならなかったのはまだ全島を支配していなかったからでしょう。

dorawii
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 「神武天皇の世代が境界」というのは神武天皇が生きていたとされる「年月」そのものを指していたのです。語弊がありました。 のちの回答者のために訂正しておきます。

  • tzd78886
  • ベストアンサー率15% (2590/17104)
回答No.4

庶民にとって「偉い人」と言えば住む場所によりますが、地頭や同心などの役人であって、大名ですらほとんど関係のない存在、将軍など天の上の存在だったはずです。天皇の存在など庶民にはほぼ知られておらず、「年号」ですら知っている人は限られていました。 庶民が年代を記憶する手段は何かと言えば、「干支」です。これは60年で一周するので、よほど高齢の人を除けばそれで十分だったわけです。当時は虫垂炎などに罹るとそれで寿命を迎えてしまうので、60まで生きられるというのはよほど健康に恵まれた人だけでした。だからこそ還暦を祝ったりする風習が残っているのです。

dorawii
質問者

お礼

回答ありがとうございます。縁遠すぎて偉いと思う対象にすらならないということですね。勉強になりました。

  • eroero4649
  • ベストアンサー率32% (11203/34803)
回答No.3

>そして天皇が日本で一番尊い存在になったのはいつか。 質問者さんのいう「尊い」には「敬いの対象である」という意味が含まれていると思いますが、どうでしょうか。 もしそれで良いなら、天皇が敬いの対象となったのは、明治時代からです。明治時代に尋常小学校ができて、そこで「天皇は君たちのお父さん、皇后は君たちのお母さんのような存在なのだ」と教育しまして天皇が敬いの対象となりました。 それまでは天皇というのは征夷大将軍とか総理大臣とかと同じ役職名でありましたよ。もちろん中には高山彦九郎のように天皇を信仰していた人もいましたけど、全体としてはかなり少数派です。なんせこの時代を代表する「ヘンな人」ですからね。 質問者さんは天皇家というのが特別に尊い信仰の対象のような存在であると思っておられるようですが、その考え方は明治時代になってからできた考え方です。 歴史的に実在する最古の天皇は、26代の継体天皇が一番古いとされています。それ以前は本当に存在していたかどうかまだきちんと証明されていません。

dorawii
質問者

お礼

回答ありがとうございます。昔は単なる役職名だったわけですか。よく考えたら一般参賀も少なくとも明治時代以前はなかったはずですからね。あれは「尊い天皇」の象徴的プロパガンダなのかもしれません。

  • f272
  • ベストアンサー率46% (8621/18439)
回答No.2

日本に統一政権ができたときから天皇はその第一人者でした。それよりも古い時代は小国分立ですから,各地に偉い人がいました。天皇の祖先もその一人だったのでしょう。 だから日本で一番偉くなったのは日本が統一されたときですが,それがいつかを決めるのは難しいでしょう。だんだんと統一政権の支配地域が広がっていったのですから,いつときめるのは困難です。

dorawii
質問者

お礼

統一政権も最初は少数の豪族を従えていたまでですから、初期は政権全体としての長の権力よりも力を持っていた豪族が支配地域の彼方にいただろうことを考えれば、確かにいつときめるのは難しい問題ですね。回答ありがとうございました。

  • tzd78886
  • ベストアンサー率15% (2590/17104)
回答No.1

神武天皇が実在していたなんて信じている人はごく一部にすぎません。後から造り上げた伝説の人物です。「万世一系」なんて言うのも怪しいもので、何度もどこかですり替わっている可能性が非常に高いです。「それを言ったらおしまい」、というわけで、専門家も分かっていても口に出さないだけです。

dorawii
質問者

お礼

回答ありがとうございます。ということは神武天皇の生没年間に対応する期間の「天皇の祖先」は、日本で一番尊い存在というわけではなかったということでしょうか? つまり、尊かったのならば、それを天皇とか天帝とか呼んでも嘘にはあたらないと思うからです。念のため、神武天皇の非実在=天皇の祖先の非実在ではないことを強調しておきます。 天皇の祖先の非実在はありえませんよね。

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