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日本の城は石がないから城壁が作られなかったというの
日本の城は石がないから城壁が作られなかったというのは本当ですか。
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ちなみに、日本の城に大陸のような城壁が無いのは、戦争の方式が違うからです。 大陸の戦争は、敵国を攻めれば、相手国の王様や軍隊だけでなく、その都市の住民も殺戮の対象になりました。 だから、城壁を築いて、住民全体を守る必要があったのです。 日本は違います。戦争の時に殺すのは、相手の領主と軍隊だけ。 だから、領主と兵士だけ守れる城となったのです。 農民や都市の住民は、殺しませんでした。まあ、略奪の対象にはなりましたが。
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- fujic-1990
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石はたくさんありますよ、日本にだって。 日本に足りなかったのは、人間です。中国などに比べて圧倒的に人数が少ない。 しかも、みんな農民です。信長以前は、農民=兵隊でした。農閑期になると出兵し、雪が降れば撤退したんです。 石を使った城造りに人手を割けば、収獲が減るのです。防衛力が減るのです。土を積み重ねる程度の仕事ならともかく、巨岩を運んできて石垣を作るというような手間暇のかかることをやっていられなかった。 なので、巨石を使った城壁は作られなかったと考えるべきです。 戦国末期から安土桃山時代になって、ある程度時間をかけて石を切り出して運搬できる余力が出てから石を使った城壁が登場することになります。
- jkpawapuro
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総構えでお調べください。 材質が石ではないだけで日本も少なからず都市を丸ごと囲う城壁があります。 そして日本で城郭都市が増えた戦術的理由が鉄砲の普及です。 そのため石の壁より堀と木の壁や漆喰の壁や多聞櫓等のほうが射撃に便利で相性が良いです。木の壁を使う場合は二重にして間に石を積め敵の弾丸の貫通を防止します。
- cse_ri3
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私の記憶では、当時の日本に小さい石を積み上げる技術が無かったからだと覚えています。 よって、他の方の回答にあるように、巨石を積んで石垣としました。 築城技術が発達したのは、秀吉の朝鮮征服からですね。 大陸には、その技術があったのです。 よって、秀吉後、熊本城、名古屋城、江戸城などの建築ラッシュが始まります。 まあ、江戸城の石垣には、相変わらず巨石が使われていたようなのですが。
日本の気候に合わないからが一番大きいと思う。
- SPS700
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- もこ猫ミクにゃん(@miku-chi)
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嘘です。 では城の石垣は何ですか? 石ではないのですか? また、日本の城に城壁が無いというのも誤りかと。 石垣や塀を「城壁」と認識しても良いでしょう。