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城壁の堀について教えてください
城壁の堀について教えてください こんにちは。 突然ですが、ヨーロッパの城壁って大体2重、3重と囲まれてるのが多いと思うのですが、あの城壁間のスペースって今では何かに活用されてたりするんでしょうか。というのも知人に城壁間で美術館を開いている町があると聞いてふと疑問に思ったものですから。 今どんな風に使われているのか、そして実例をご存知の方、もしいましたら教えていただけると幸いです。また日本でも結構です。
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城壁間のスペースって、本来は「そこに敵軍を引きつけ、 城壁上から攻撃する」ためのスペースですから、見通し がよくて隠れるものが無いのが本当、何かあっちゃ困る んです。 ですので、その城が有効に機能している時点では、何も 無いスペースだった筈です。あっても「畑」程度ですね。 ですが、「城」が「役所」としても機能し出すと(江戸時代 などがそうですね)、役所としての機能を果たす施設や、 そこに勤務すべき人の住居になったりします。で、一旦 緩急あるときは、ぶっ壊して平地にするんですな。 「城」が何も役目を果たさなくなった時点で、濠を埋めたり、 そういう「バラック」をぶっ壊したりして、ある程度大きな 施設を立てることが多いです。日本だと、明治期以降 よく学校が建ってたり、軍施設があったり(更にその跡が 公民館だったり公園だったり)するんですが、海外だと、 城壁内はそのまま都市になってることが多いと聞いて ます。
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NO1です。 スイスの城は、シャモニーから電車を乗り継いで、ツェルマットに向かう 途中の急行の中で見たんで、、 あー城壁が見えた、、、あたり一面ブドウ畑だなぁ。。 というそんな感じです。 うちの近所のお城は大和郡山城です。 豊臣秀長が整備して現在の形となりました。 内堀の外側に高校が二つありましたが、最近合併して一つになりました。 高校の外側に外堀(鷺池)があります。 http://homepage2.nifty.com/yogo1394/nara/kooriyamasi.htm この図の北側にはさらに堀があり、明治維新に金魚の養殖で生計を 立てるように、配下の武家に払い下げられ、今も金魚池が残っています。 東側にも堀の後の水路が残っています。 これらの堀は都市化が進んでいますので、堀と堀の間には 市役所や住宅が立ち並び、道路や近鉄電車などが走っています。 城壁や門のあとが今も一部残っています。
- red-melon
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城壁間のスペースは、今では大抵普通の町並みになってますね。 ドイツのロマンチック街道にあるローテンブルクは、今残っている城壁が作られる以前にもっと内側に城壁があったんですが、町が大きくなるにしたがって拡張し、古い城壁は取り壊して堀は道路にしました。 今も名前にその名残があります。アルター・シュタットグラーベンと言う通りがあるんですが、「古い市壁の堀」という意味です。 フランクフルトも今では大都会ですが、旧市街にはやはり城壁を取り壊し堀を埋めて作った道路、ヒルシュグラーベン(鹿掘)というのがあります。 オーストリアの首都、ウィーンにも城壁がありましたが、今はなく、その跡地はリンクという環状道路になっていて、トラムも走ってます。 また、以前朝一番で行ったロンドン塔の城壁の間(そんなに広くない)では鹿を散歩させてました・・・ 戦時中は畑にしていたそうです。
- itou2618
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昔、姫路市民をしていました。 姫路城は外堀、中堀、内堀とあって外堀と中堀の間は、民家とかビルとか普通の町ですよ。 中堀と内堀の間は、公園、学校、神社、教会、博物館、美術館などですね。 内堀のなかにも、動物園があったりします。
スイスで見た城はぶどう畑だったような。 うちの近所のお城は高校になってたり、 公園になってたりしてます。
お礼
さっそくの回答ありがとうございます。 お城に高校があるということは彦根城のことでしょうか? スイスのどの地方だったか、城の名前とか分かりますでしょうか?