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徳川幕府が城壁の白塗りを強制しなかった理由は?
一般的に戦国時代に築城された城のうち 織田ー豊臣時代の城は城壁が黒 徳川時代の城は城壁が白です 徳川にとっては黒塗りの壁の城は豊臣政権の象徴みたいな感じだから 白塗りに改めなさい みたいな事は命令しなかったのでしょうか? 熊本城は加藤家改易後細川家の城になりましたが 徳川政権下でも城壁は黒のままだったし
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徳川家だから城は、「白漆喰でなければならない」という決まり無かったようですよ。 例)江戸城天守の経緯 家康時代(慶長度天守): 白漆喰 秀忠時代(元和度天守): 武州豊嶋郡江戸庄図だと黒い天守。 ただし白い天守だとの説もあり。 家光時代(寛永度天守): 錆止め銅板で壁を覆い、黒い天守 (絵図や設計書が残っており、ほぼ確実に白く無い) なお明暦の大火で焼失して以降、再建されず。 (ただし、新井白石が再建計画を立てた際には、銅張壁で再建を検討した事から、白い城ではなかった可能性が高い)
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- jkpawapuro
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回答No.1
塗るも何も城壁は漆喰ですので、素材に直接墨なり貝殻なりを練りこんで色を出してます。ですので塗ってどうにかなるものじゃありません、丸ごと作り直さないといけないのでそりゃちょっと無理ですよ。
質問者
お礼
ありがとうございます
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