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徴兵されない身分の人たち
被爆体験記を読んでいたら、 「我が家は父が教師で、徴兵されないこともあり」 という一文に行き当たりました。 成年男子で、徴兵検査に心身に不都合があり不合格な者以外で、 徴兵されない職業・身分には、どういうものがあったのでしょうか? 教師だけ? 納税額が高い者も?
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#6です。 前回は的外れの回答を差上げて、誠に失礼しました。 ネットで調べました。 ズバリの資料を見付けました。 関西学院大学社会学部紀要 119号(2014年10月) 「誰が兵士になったのか(1)」 https://www.kwansei.ac.jp/s_sociology/attached/0000094823.pdf#search='%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E5%85%B5%E5%BD%B9%E5%85%8D%E9%99%A4+%E6%9D%A1%E4%BB%B6' この資料の6-7ページ「3.兵士になることの不平等」の中の「(3)特定の職業に対する召集延期による不平等」に詳しいです。 召集を延期することにより兵役に就くことを猶予された職業は、飛行機の生産、交通、鉱山、特攻兵器製造従事者などだそうです。 しかし、戦争末期には、食料生産に支障が出てきたので、軍需産業だけでなく、 農林水産従事者も対象としたそうです。 さらに、「誰が兵士になったのか(2)」では、具体的な職業を列記しています。 以下、抜粋します。 延期制度によって召集が 延期された職業は、大きく分けて8つになる。 それは、(1)国家行政機関の官吏、(2)兵事事務関係者、(3)帝国議会議員、(4)警察官、(5)陸海軍の機関の職員、職工、(6)軍需産業で働く専門技術者と職工、(7)鉄道員と船員、(8)通信技術者、であった。 ただ制度があることと、実際にどれほど優遇され、不平等が存在したのかは、別の問題である。 「誰が兵士になったのか(2)」の中の「1.2 兵役と職業」 https://www.kwansei.ac.jp/s_sociology/attached/0000094824.pdf#search='%E5%8F%AC%E9%9B%86%E7%8C%B6%E4%BA%88%E8%80%85+%E5%85%B5%E5%BD%B9%E6%B3%95'
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- kouki-koureisya
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たった一つの事例ですが、ご参考までに。 澤地久枝 対話集『語りつぐべきこと』(岩波書店)の中に、作家・住井すゑとの対談があります。 10年ほど前に読んだのですが、興味深い話なので、私の読書ノートにかいつまんで書き残しています。 この対談で、住井すゑはこんなことを言っています。 「私(住井すゑ)の息子は、本当は高崎連隊に入営するはずだったが、軍に顔のきく、息子の大学の先生の計らいで外地へ行かない青森騎兵連隊へ。すぐ任官したが、刀も渡せないほど軍は物資が不足しているのか、そんな軍なら負けるに決まっている、そんなことで息子を死なせたら承知しないと連隊長に手紙。なんと元気な息子は伊香保で療養。」 文末が、途中で切れていますが、これは、要旨だけが分かればよいと、当時端折って書いたためです。 「伊香保で療養」は、軍の計らいで療養ということにしたとのことなので、これを読んで、”なんと”というのは当時の私の感想です。 『語りつぐべきこと』(岩波書店) https://www.iwanami.co.jp/book/b269995.html 時代を生きぬいた言葉は何と魅力にみちていることか.昭和にこだわり続ける作家が人生の先輩を訪ねる七つの対話.対話者=住井すえ・松本重治・丸岡秀子・伊達秋雄・山本安英・佐藤忠良・丸木位里/俊
お礼
回答をありがとうございます。 ただ、これは結局は徴兵された後の話です。 身分・職業ゆえに徴兵を免除された事例ではありません。
- eroero4649
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日本軍の徴兵検査の基準は「身長152センチ以上。身体頑健な者」と決められていました。152センチって今どきは女の子でも小さいじゃないかと思いますが、それでも明治の頃の徴兵合格率は10%か20%程度だったといわれています。 また戦前の大学進学率は、5%以上10%未満というところでした。ですから徴兵検査の合格率からいっても、大学進学者は平時ではわざわざ徴兵するほどではなかったのです。我々のイメージほど「国民皆兵」ではなかったんですね。 特に明治・大正の頃は軍隊に行ってバクチなどを覚えてきて帰ってきて「真面目で純朴な少年が、軍隊から帰ってきたらバクチ好きで働かないやつになって帰ってきた」なんてこともしばしばあって地方の農家でも徴兵は歓迎されざるものでした。何しろ貴重な働き手を奪われるわけですからね。 だから当時「兵隊になってお国のために働くことは名誉なことだ」っていうのは、そういうことにでもしないと出す家も出ていく本人も割り合わないったらありゃしなかったからなのです。 だけと戦局がいよいよ逼迫したらそんなこともいってられなくなっていきまして、それで「国民総根こそぎ動員」となったのがあの「学徒出陣」だったのです。今でいうなら東大生に鉄砲担がせてるようなものですね。そりゃ悲壮感漂うわけです。「こういう社会的エリートももう戦場で死ななきゃいけないんだ」って。 ではアメリカはどうだったのか。アメリカの戦場ドラマシリーズ「ザ・パシフィック」はユージン・スレッジの「ペリリュー・沖縄戦記」が元になっていますが、そのユージン・スレッジは大学生であったのを休学して海兵隊に志願入隊しました。これはかなり特殊な例だったようで、本の中でも戦友から「俺は大学に行っていたお前をいけすかないエリートだと思っていたが・・・」といわれる場面があります。海兵隊の中でも高学歴者だったユージンは、弾道計算の能力が求められる迫撃砲の担当になります。戦場でもやや後ろにいたので激戦でも生き残ることができて、インテリだったので記録を残して戦記が書けたのです。 朝鮮戦争のとき、アメリカ兵の給与受取のサインの半分は「〆」だったという記録があります。つまり半数は文盲だったんですね。識字率ではアメリカ兵より日本兵のほうが高かったかもしれません。 なお、三島由紀夫は学習院に進学するほどのお坊ちゃんだったので、軍隊には行っていません。いや行ったんですが当時の国民病だった結核だと診断されて追い出されたのです。Wikipediaでは「誤診だった」とか書いてありますけどね。 で、そういうコンプレックスもあったので戦後にボディビルをやって体を鍛えたのですが、当時の自衛官(戦争経験がある人もあり)だと「学習院出身の生っちろい坊やが戦争が終わったら愛国者ごっこをしている」にしか見えなかったんです。まあほら、当時は体育会系のノリがもっとキツい頃でしたからね。 なのであの最後の演説の映像って、私はてっきり「昔から映像は残っても音声は残っていなかった」のだと思っていたのですが、実はオリジナルは音声も残っているのですよね。で、そこの自衛官の罵声がひどいんです・笑。「ひっこめ、この野郎!」とかね。だからあの映像が紹介されるときは音声はカットされているんですね。
お礼
宣教悪化で岳とまで出されたなら、最後は男子皆兵になったのではないかと、矛盾を感じます。何しろ、初めは失格にしていた者も途中から合格にして出したという話もあるからです。 そして知的障碍者は弾除けとして隊の先頭を歩かせたりした、という話も残っています。地雷の多い所とか。
補足
誤:宣教悪化 正:戦況悪化
- japaneseman5963
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私の学校では 小学時代は復員兵と新人(男子)がいました 中学時代は自分で経歴をいう人はなかった 鬼軍曹のような教頭がいたけど軍歴は不明 多分軍歴はなかったと思う 高校時代は、戦闘機乗りの数学教師 復員して駐留軍の通訳をやってた英語教師 技術屋の数学教師、隻腕だったのは戦闘時の負傷かわ分からず 納税額が高い人は昇進が速かったように聞いてます。 教育期間が終わると上等兵になるとか 実家からの補給があるので饅頭を上納するとか(殴られずに済む)
お礼
すみませんが、質問に対する答えではないように思います。
- teppou
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「徴兵されなかった」などという文章には、表現の間違いが多く見られますので、その辺から説明します。 戦前・戦中は、昭和2年に制定された「兵役法」により、満20才になった男子は「徴兵検査」を受けなければなりませんでした。 この徴兵検査で、軍務に適すると認めれれたもの(甲種合格者)は、通常は陸軍で2年間、常備軍として軍務につかなければなりませんでした。2年間の現役軍務が終了すると予備役として日常生活を送りながら、有事の場合には「召集」をうけて再度軍務につきました。 検査で軍務に不適格とされたものは、補充兵役や国民兵役などに区分けされ状況により、いったん軍務についたり、つかなかったり、いろいろであったようです。 この徴兵検査の猶予を受けられたものは、学生と海外在住者ですが、あくまで猶予です。その他ある程度以上の罪で前科のあるものは、軍務につけなかったそうです。 いったん軍務についた者も、そうでない者も、有事の際は「召集令状」(いわゆる「赤紙」です。)により、「召集」され、軍務につくことがありました。 この「召集」が問題で、各市町村役場に担当者がいて、軍からの通知により召集する者を選んでいたそうです。 役所・役場の召集担当者は、市町村に有用な者を出したくないので、いきおい普通のおっさんのほうが収集される率が高くなり、高学歴者などは、あまり召集を受けなかったといった事情はあったようです。 戦時中、父の知人で身体は強健であったのですが視力が弱く特に右目が弱視といえる状態であったため、兵隊検査には不合格であったのですが、3回召集令状を受け取り、3回とも入隊検査で軍務不適格として返された人がいるそうですが、こういうことは非常に珍しく、地元の有力者ににらまれていたためだろうという事でした。こういうこともあったようです。
お礼
役所・役場の召集担当者が、市町村に有用な者を出したくないと判断すれば、 戦場に行かなかったのですか。驚きです。
- ithi
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gesui3さん、こんにちは。 兵器関係の会社の技術者。及び理工系の学生。兵器技術の開発が叫ばれる中この人たちを出征させたら、兵器が開発できないでしょう。
お礼
ジブリ映画『風立ちぬ』で主人公にされた、ゼロ戦を開発した技術者も 外征どころか、外遊して勉強していましたね。むごたらしい戦争には 行っていません。ありがとうございました。
- stss08n
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小説家 宗教家本尊 検察関係(警察機構) 帰国資本家
お礼
へえー、そうなんですか。目的は何でしょうね。 小説家 宗教家本尊 =戦意高揚を煽る精神的装置として国内に留め置いたのでしょうか。 検察関係(警察機構) =国民を取り締まる側だから、戦地にやるわけにはいかない? 帰国資本家 =外国に逃げられると、資金運用が立ち行かなくなる?
お礼
重ねての回答をありがとうございます。 まず、学術論文になるくらいの謎の多いテーマであることに驚きます。 職業と徴集・召集との関連の実態を調べようとしても、全国水準での史料は 残っていない(吉田 2002)とは、なんという体たらくかと思います。 (こんな国は負けて当然ですね。) 最後の一覧表を見ると、夥しい職業が延期になっていることに驚かされます。 逆に、戦場に行かされた人の不運を憐れに思います。 確かに「教員」が載っていますね。証言は間違いではなかった。 それにかねて不思議に思っていた向田邦子「字のない葉書」に出てくる父親 が出征していない不思議も分かりました。保険会社の支店長ですから、この 分類でいうと、販売サービス・店長あたりの処遇でしょうか。 理容師まで延期とは不思議です。(前線の将校たちは頭髪をどうしていたの でしょうか?)