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太平洋戦争中に街で見かける男性たち
テレビなどで太平洋戦争前後の映像を見ていて疑問に感じる時があるのですが、当時は日本国男子の全員がある年齢になると徴兵の義務が課せられていたように聞いています。 いわゆる赤紙というものですね。 もし拒否したり逃亡したりすると、非国民として厳罰が待っていたはずです。 ところが戦争末期になっても、当時の映像では普通のサラリーマン風の男性が街中を歩いたり、家族と買物や散歩したりしている光景を見る事があります。 おそらく年齢的には徴兵に取られておかしくないような世代かと思われます。 考えれば、あの戦争中でも男性が必要となる職場が多くあったように思います。 たとえば鉄道関係者、警察官、消防士、医師、自治体の公務員、電気・ガス会社の社員、あるいは建設関係 ・・・ などなど、女性だけでは運営出来ないと思うのですが、これらの男性たちには徴兵義務が免除されていたのでしょうか? それとも、形だけ一旦徴兵に取られてどこかの軍部に属し、その後に 「派遣」 という形でまた元の職場で以前同様の仕事を続ける、そして家から通う ・・・ こんな制度だったのでしょうか? たしか軍艦を建造する造船所の技師や職工はそんな身分になっていたと、どこかで聞いた覚えがあるのですが、ハッキリしません。 もしそうなら、そんなラッキーな職業には具体的にどんなものがあったのでしょうか? 健康上の問題で徴兵が免除された人は除くとします。
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高等文官試験に合格した官僚(今で言うキャリア)は基本的に徴兵免除だったそうです。また、軍といえども、徴兵関係は役所(陸・海軍省)の仕事ですから、本省勤務の人間は、他省庁でも、キャリア組でなくても「余人を持って代え難い」という名目で徴兵免除、或いは徴兵されて即日帰郷などの措置が取られたそうです。この時に、上司や同僚に嫌われているとその措置をしてくれない、なんてこともあったとか。これはコネの方ですね。 金の方ですが、まぁ、人間の世界ですから露骨な袖の下で徴兵名簿の書き換えなどということもあったでしょうが、45年には徴兵検査を受けた者の9割が実際に動員されたということですから、それほど多い事例ではなかったと思います。 むしろ、金持ちの子弟は、高学歴ですし、働く場所も親の力などで選べますから、軍属名目の勤務先に勤めたり軍関係の仕事に従事したり、満州国政府に勤めるとか、ということで結果的に徴兵逃れが出来たケースが多かったのではないでしょうか。 アメリカではこれが結構多くて、大統領選挙の時の経歴で問題になったりしますよね。徴兵逃れのため州兵の、しかも空軍(一番戦場に行かないポジション)に親の力で入隊するとか、カナダに移住しちゃうとか。
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- eroero1919
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基本的に、徴兵をされるのは20歳前後の若者が中心です。というのも、やっぱり人間30過ぎると兵隊としてはあまり役に立たないのです。まずは体力が劣ります。それに、30過ぎると「突撃ィ!」といってもなかなかやりません。死ぬのが惜しくなるんですね。 それと病気持ちや体力に劣った奴というのも徴兵の対象外です。 ちなみに私の祖父は小学校の教師をやっていたのですが、戦争終盤になると教師達も軍事訓練を受けなければならなかったそうです。ところが、やってきた軍人が祖父の教え子だった人だそうです・笑。相当やりづらかったみたいですよ。
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有難うございました。 当時、街でブラブラしていたのは30歳過ぎのサラリーマンだったんでしょうか。 たしかに家庭がある兵士なら、戦況が苦しくなったら早々にギブアップして捕虜になる道を選ぶ人が多くなって統率が取れなくなるでしょうね。
- sentatoku01
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近衛文麿の息子や北白川宮の戦病死の話はよく引き合いに出されますが、“皇族だって戦場へ行くんだ”という庶民の戦意高揚のために出兵させられ“ババを引いた”とする見方が一般的です。庶民が出兵させられた状況とは全く異なります。 昭和になってからも“金の力”は同じでした。氏族、家族、皇族が庶民と同じレベルで赤紙を受け取ったなどと思っている人は、少なくとも当時の徴兵状況を研究をしている人には誰もいないでしょう。
お礼
有難うございました。 太平洋戦争中でも金の力で徴兵を免除される人たちがいたんですねえ。 こういう人たちは非国民と非難される事はなかったんでしょうか。 お隣の韓国では親のコネを使って兵役から逃げる人がいて、随分マスコミなんかで叩かれていると聞きました。 やはり戦場に送り込まれたのは、貧乏所帯で若い世代の次男以下の男性ばかりという事になるんでしょうか。 そうだとすると、地獄の沙汰も金しだいという諺どおりになると思います。
- Yelm
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そもそも日本の動員率は参戦主要国の中では低い数字ですよ。 学徒動員後の1944年の段階でもドイツ18%、ソ連25%、アメリカ8%に対し日本は6%でしかありません。 (延べ率にするとアメリカ以上になりますが、これは本土決戦に備えたいわゆる「根こそぎ動員」によって終戦間際に急激に増えたからです) つまり動員されてない男性の方がずっと多いのです。 日本は原則的に戦場は海外であり、多数の兵員を動員しても補給に使える船舶がありませんし、装備する武器の生産も足りていません。 だから普通のサラリーマン風の男性が町中を歩いているのは何でもない当たり前のことなのです。
お礼
有難うございました。 お話のとおりだと、徴兵に該当する年齢の人でも戦場に行かず、街で普通に仕事をしていたサラリーマンたちも結構いた事になるんですねえ。 となると、どんな人が不本意ながら赤紙一枚で引っ張られていた事になるんでしょうね。 気になるところです。 今では何となく日本男子全員が戦場に送り込まれていたようなイメージで捉えられているように思います。
- pri_tama
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竹槍事件を除けば、大正期以前(30代後半以降)に徴兵検査を受けた人たちは徴兵されていませんから、街中にサラリーマンがたくさんいてもおかしくないと思いますが…。 あと、No1さんがのお金で徴兵を免れるのは、大正期には廃止されてます。(華族、氏族は殆ど徴兵されていないと仰りますが、近衛文麿(元首相にして藤原氏以来の最高位の貴族)の息子は、ちゃんと満州へ出征しそこで捕虜になってシベリア抑留中に死亡しています。皇族にも中国で戦病死された北白川宮もいらっしゃいます。)
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有難うございました。 大正期以前に徴兵検査を受けた人は戦場に行かなくてもよかったんですね。 太平洋戦争中は年齢が30台後半以降になっていた人たちですね。 この人たちが戦争中でも街で普通に生活をしていた事になるんですねえ。 竹槍事件を Wikipedia で調べてみたのですが、陸軍は無茶苦茶な事をしていたようです。 日本は負けるわけです。
- aburakuni
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軍隊と言うものは金や資源を浪費するものです。従って徴兵制による国民皆兵と言っても、男子を全て軍人にしてしまったら国が成り立ちません。 例えば韓国で現在行なわれている様に、徴兵年齢に達したら健康検査を受け、健常者は通常一定期間の兵役に付き、兵器の取り扱い等の技術を身につける。 兵役期間終了後は社会復帰するが、兵役に適さない年齢に達するまでは予備役となり、国の指令があれば軍に復帰する。 と言うのが一般的な徴兵制度です。 戦時下で幾らでも軍人数が欲しい時でも、食料・兵器・軍装等が無制限にある訳ではないですから、基本的にはその用意がある人数分を予備役から選択し、赤紙が発行されました。 その選択については、様々な公式・非公式の基準があり、必ずしも「美しく」無かったのは#1さんの言う通りです。
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有難うございました。 > 男子を全て軍人にしてしまったら国が成り立たない ・・ そこなんです、不思議に思っていたのは。 戦争中といっても、内地は内地で普通どおりの社会生活をしているわけですから、男性がひとりもいないという事は考えられないし ・・ やはり徴兵を免除される人たち、あるいは職業というものがあったんでしょうね。 この辺、当時でも公平・不公平と指摘されるケースもあったのでしょうね。
全員が徴兵にとられたわけではありません。同年代のある割合が徴兵されたのです。 つまりお金を払うと免除されたのです。当時のお金で300円程度(今の価値では600-1000万円であったとされます)であったはずです。写真などに写っているのは「お金持ち」というわけです。そのため、財閥や華族、氏族には徴兵された人はほとんどいません。 貧乏人はお国のために死んで、金持ちは国を利用して儲ける。これは昔も今も日本では同じ状況です。 いやー、日本は美しい国ですね。
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有難うございました。 お金があれば戦場に行く事はなかったんですか ・・ 初めて知りました。 「国民一丸となって ・・」 とかスローガンがあったようですが、この事実を知っている貧乏人の気持ちは複雑だったでしょうね。
お礼
有難うございました。 なるほど、あの悲惨な戦争の最中でも金とコネのある人とない人と、随分と扱いが違っていたんですね。 同じ国民なのにと思いますね。 徴兵制を導入している国では古今東西問わず、どこも同じような状況になるようですね。 勉強になりました。