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人は、最も正しいと思った行動を、必ずする?
人は必ず、その時持っている情報、状態によって、その時に意識、無意識限らず、最も正しいと思った行動を、例外なく選択する? 情報、状態は、フィジカル、メンタルの両者を考える。 それらは、環境によって生じた状態も含むとする。 また、消去法によって、残ったものも、最も正しい選択(多くのマイナスの中で、まだマイナスが少ない選択)とする。 また、後になって、「こうすればよかった」「違う選択できたはずだ」というのは、あとから更新された情報、または状態によって生じるもので、「違う選択ができた」という可能性は、幻想である?
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- 36028393
- ベストアンサー率0% (0/3)
正しいと思わず行動する場合もあります 疑いながら、迷いながら、不安を抱きながら 行き当たりばったり、時には不正義の行動もします 正とは逆の方向へ挑戦する人もいます 正か不正かより 「信ずる」から行動できるのです 人間の行動は 哲学宗教理性道徳による人と 本能により、正、不正の思考力のない人と 損得、好き嫌い、周りを見ての人がいます
- hiodraiu
- ベストアンサー率15% (451/2846)
No.4です > その感性は、脳の中の機能や経験から生まれた状態、もしくは情報ではないですか? 脳の機能が、そうさせた行動って、本人の意志とは別のところにあるように思うのですが、どうなのでしょう。本能は、その人の意思だと思いますか? お腹が空いたら、何か食べたいって思うのは、生まれ持ったものであり、食べないでいたら餓死するって知識は関係ないと思います。また、どれだけ考え方を改めようとも、本能に坑がうことは出来ないと思います。 ※この手の話って、「本能は本人の意思なのか」みたいな、基底になる考え方を統一しておかないと、話が散らばりませんか?
お礼
>情報、状態は、フィジカル、メンタルの両者を考える。 と、質問で書いたとおり。 ありがとうございました
- 1buthi
- ベストアンサー率16% (194/1187)
自分がしたことを顧みた時に、まあいいかとか、無難な方にしようとか、ああすればよかったとかそういうことばかりです。 道を横切りたかった歩行者に道をゆずらなかった、親と口喧嘩して激しくののしったのは正しいことであるはずがありません。自分の感情のままにくちばしったのですから。あんなこと言うべきでなかったとか、こういうことをして親を喜ばせることができたのにとか、そんな後悔ばかりです。
お礼
ありがとうございました。 後悔することは無いです。 後悔するのは、失敗したあとの情報が加わったからで、それがなければ、選択は起こり得なかったのです。 あなたの選択は、常にあなたにとって、正しい選択をしているということです。 勇気をもらえるでしょ?
- 畑 茂夫(@Flareon)
- ベストアンサー率28% (459/1605)
人は、最も正しいと思った行動を、必ずする? はて、それには資質が必要だよ。 言い換えてみよう。 人は、「自らが」最も正しいと思った行動を、必ずする? それが他者や世の中でも正義として全うできる資質だけでも少ない。 どちらかというと、 人は、最も利益になると思った行動を、必ずする? 難しいことに挑戦しないで、たいていはこちらの方に熱心だ。 この利益に関しても、自分だけの利益なのか、共有できる利益なのかまちまちだ。
お礼
>人は、「自らが」最も正しいと思った行動を、必ずする? >それが他者や世の中でも正義として全うできる資質だけでも少ない。 自分が正しいと思っているが、世間的には否定されそうなので、行動を起こさないという行動こそ、その人にとっての正しさではないですか? 人によって、世間体を気にせずに、行動を起こすことが、ただしさとも言える。 人は、”その人にとって”の正しい行動を知っている。 資質は、個々の正しさを無視して、社会的な正しさだと思います。 ありがとうございました
- tiltilmitil
- ベストアンサー率22% (1871/8250)
料理をするときはきっちり計量して味付けするのが正しい。けど、実際作るときは目分量。というようなことは多いでしょう。
お礼
目分量の方がただしと思う人もいるということ。 ありがとうございました
補足
目分量で作る方が、楽という得を得ているので、たとえ料理が失敗する可能性が高くても、きっちり作るという選択は起こり得たのか?という事です。
- eroero4649
- ベストアンサー率32% (11074/34518)
「人間は必ず最も合理的な選択をするはずだ」というのは、行動経済学というやつでいくつも否定されています。 例えば有名な実験で、高級トリュフチョコを半額の15セントで、キスチョコを1セントで「おひとりさま1つに限り」で売ると73%の客は高級チョコを洗濯するのに、高級トリュフチョコを14セントで、キスチョコを無料にすると、なんと69%の客はキスチョコを選択するという結果があります。合理的に選択するなら、どう考えても高級トリュフチョコなのですが、無料という誘惑に抗いがたいのです。 これは「囚人のジレンマ」という思考実験でも明らかになっています。詳しい説明は「囚人のジレンマ」で検索して頂くとして、この場合双方にとって最も合理的な選択は「黙秘する」であるにもかかわらず、自分だけが裏切り行為をして出し抜くという誘惑に抗えず、双方が裏切りを選んで最も不利益な結果を招いてしまうということがあります。
お礼
囚人のジレンマに耐える人が、経済学での人であるが、耐えられない人が、行動経済学での人という事だと考えますが。 ありがとうございました
補足
それは、社会的に合理的な判断というか、決断ではないですか? 囚人のジレンマは、自分の不安を解消させるという意味では、客観的や俯瞰としてみて、合理的ではありませんが、主観的には合理的と考えるものだと思いますが、どうでしょうか? 行動経済は、経済学での合理的な選択をする人間を、からなずしもそうではないと考えると思いますが、人の心理を含めてその人にとって合理的な行動をすると言うのが、行動経済の趣旨だと感じます。 囚人のジレンマに耐える人が、経済学での人であるが、耐えられない人が、行動経済学での人という事だと考えますが。
- hiodraiu
- ベストアンサー率15% (451/2846)
それは無いと思います。正しいってのが何目線なのかでも色々あると思います。 大体において、理性で判断して正しいことと、感性で判断して正しいことは、相反することが多々あるように思います。 ダイエット中に、夜中に小腹が・・・なんて場合、我慢しないで食べちゃう人って、それを正しい行動なんて思っていないんじゃないでしょうか。
お礼
ありがとうございました
補足
その感性は、脳の中の機能や経験から生まれた状態、もしくは情報ではないですか?
- kappa1zoku
- ベストアンサー率29% (334/1137)
「最も正しい」ということは、ベストの選択をするということですか。 常にそう思って行動するのは、自信過剰か傲慢な人間のような気がします。 僕の行動の判断は、その時点でのベターな選択をするという考え方です。 ネコなどの動物は、反射的なというか本能的というのか、動物としての生き方の優先順位があるんでしょうね。 生命維持のために食べる、種族保存のために生殖をするというのがあるのでしょうが、遊びもたまにはあるんでしょうかね。 人間の優先順位って、なんでしょうかね。 生命維持?そうでもないね、だって死ぬことを厭わずなんてことが、自発的強制的に行われていたからね。 生殖活動?これは人間はまじめではないね。生殖活動を遊びに変えてしまったのは、動物としての余裕かな。それとも脳の発達のせいかな。 言葉が人間を動物から遠ざけ、また人間を縛り始めたともいえるのかな。
お礼
ありがとうございました
補足
最も正しいが、社会的やその人の理想や理念ではなく、その瞬間最も正しくという意味ならそうです。 ずっと勉強しなければと思っていても、その瞬間ゲーム機を手に取ったのは、勉強したくないという気持ちや不安から逃れる手近な方法が、ゲーム機であり、その瞬間において、その人の最善の行動だった。 後から悔やむのは、遊びたいという気持ちが満足してしまったからであり、ゲームをする前には、それを手に取る選択がその瞬間では最善の行動だったという事です。
- mon205
- ベストアンサー率31% (139/441)
世の中は、案外単純で、人間なんて結局「欲の塊」。 多くの知っている言語をどう操り、 如何に他人に言い聞かせるか・・・ 如何に自分の行動の後付けをするか・・・ ただ、それだけの事。 どんな偉人でも、未来予想はデキナイ。 どんな凡人でも、過去の言い訳は出来る。 生きていれば、毎日が選択。 選んだ自分を信じなさい^^。 何を選ぼうとも「間違い」なんてないんだよ^^。
お礼
ありがとうございました
- saltmax
- ベストアンサー率39% (2997/7599)
決断する時には (自分にとって)正しいと思う選択をするのではないですかね。 それが社会的には正しくないかもしれませんし、 楽だとか安価だとか早いとかだけで 結果がべストになる選択ではないかもしれません。 どういう要素を選択の基準として重く見るかによって 選ぶ道は異なるでしょうし、結果が同じになるとは限りませんから わかっていても結果が望むレベルに達しない時は悔やむかもしれません。 辛くても、費用がかかっても時間がかかっても 常にベストな結果を得るのにこれしかないってことを 様々な選択肢のなかから選び、 かつ、目標に対して進捗度であったり、品質であったり 厳しく自らを査定し、計画に変更を加え求める所まで もって行く努力をするものですから 最初に決めたことを失敗するまでやるとは限らないでしょう。
お礼
ありがとうございました
お礼
「正とは逆の方向へ挑戦する」ことが、その人にとって、正しいと思ったということなんですけどね。 ありがとうございました