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「天国」での年齢
宗教(特に仏教)でのお坊さま、または宗教に詳しい方に伺います: 父は比較的若い頃他界し、自分はとうに父の享年を超えました。もし自分も他界し、天国(というところ)で会う場合、父の方が若い、子供の方が年寄りという矛盾を、宗教ではどのように整合化しているのですか?(またはそれらしく説明しているのですか?) 余談:自分は何の宗教も信じていないのに、日頃から「天国に行けるよう」に心掛けています。・・・自分でも「何か変?=自己矛盾」と思っています^^;
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>父は比較的若い頃他界し、自分はとうに父の享年を超えました。 私も、まもなく父親の享年に近くなります。 >天国(というところ)で会う場合 仏教でも、宗派によって天国・極楽が存在する場合も存在しない場合もあります。 多くの宗派では「死後は、極楽往生する」と、説いていますね。 ただ、為政者の都合で「宗教=道徳教育」と看做されたので「悪い事をすると、地獄に落ちる」と説法をする場合もあります。 >父の方が若い、子供の方が年寄りという矛盾を、宗教ではどのように整合化しているのですか? 先ず、死者には「水子」「童子・童女」「成人」の区分があるようです。 墓石の戒名・法名でも、故人の享年が分かります。 黄泉の世界では、歳をとらない!と聞いた事があります。 (誰も見た事がないので、有無は分かりませんが)天国・極楽で親子の再会があった場合。 当然、早く亡くなった親は亡くなった年齢でストップ。 質問者さまの方が、父親よりも爺さんになっているかもね? 余談ですが・・・。 京都の本山での説法です。 坊主「あの世の事は、心配する必要はない」 信者「何故ですか?」 坊主「私も含めて、誰もあの世を見た人は居ない」 信者「歴代の法主・管長もですか?」 坊主「そうです。そもそも、自分がいつ死ぬのかも分からないですから」 要は、誰にも分からない。^^;
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- 畑 茂夫(@Flareon)
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死の世界というのは、現実と違ってすべての時間が凝縮していると考えてみたまえ。 君の父の前では、君はその時だけ、自分の人生経験中で父親と接した子供時代になる、そして大人になってからの友人の前では、自分の姿がその友人と親睦をかわした大人の姿になるとかだよ。 そうした人間としての姿の前提に、君自身の魂の本質とでもいうべき何かがあるだろう。 観念に昇華する、「涅槃に入る」とはそうした自己の本質に到達することだ。 どちらかというと生きている人の前に死後化けて出るときに生前の姿をとる。
お礼
コメントありがとうございみたまえ。(造語^^) いずれにしてもフィクションの域を出ませんね。ただし質問者はそれでいいと思っています。 最終的には死後の世界を完全に否定する人は少ないことがわかりました。
仏教では、少なくとも輪廻、生まれ変わっているでしょ。 お父様が、悟りを開いていなければ。 少なくとも私は、悟りを開いていない人間が、極楽に行けるわけがない(かりに極楽に行ったとしても、悟りを開いていない者は、そこもまた地獄と同じ)と言うものだと信じています。 一部の「即極楽にいけます」というのは、仏の道にいさなうための方便か、極楽に行くための修行場を仏が用意してくれている、という解釈だと考えています。 親鸞の弟子もそう書いていると聞いています。 キリスト教だと諸説ありますが、肉体を捨てて、天使のような姿(魂だけの存在)になるという考え方もあるようです。 ただ、地上の楽園とか、肉体も復活するという考えも根強いので、そのへんは比較的に曖昧だと思います。 神道だと、祖霊となるので、死んだままの姿か、やはり、魂だけの存在なのか。 念の為に、聖書関連の宗教は天国で、仏教では極楽です。 神道では、天国、極楽というものはなく、祖霊になり、末は自然の一部となるものだと思います。
お礼
ご意見ありがとうございました。 生きている間に、人に迷惑をかけぬよう、なるべく良いことをし、人に憎まれないよう過ごしましょうというのが、宗教の教義です。そうしないと死んでからひどい目あいますよという。・・・敢えていえば死後の世界をネタに勧善懲悪を勧めるのが宗教の存在理由。=表現はご自由にどうぞ。
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
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天国というか、死後の世界というものでしょうかね。 私はそこでは年齢という概念や付き合い方が無くなっている状況世界だと思います。そしてまた、私たちのこの世界に生まれる。そうすると、この世界では年齢の観念が開始して0歳から開始する。というものだと実感しています。 父は67歳で身罷りました。39歳年。今82歳ですから、親の年は一応越えています。じゃぁ今どうか。彼はある所にいます。この世では私より若い。 母は18年前に95でなくなりました。あるところで一歳。あの世ではそういう概念はありません。
お礼
書き込みありがとうございました。 死後の世界に関する年齢や付き合い方の議論も無駄かも知れません。本当は死後の世界も含めて、空前絶後、何もないのかも知れません。宗教は所詮生きた人間が相互に便宜的に生きていくための処世術の集大成かも知れません。(自信なし)
- SPS700
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僕が持っている父の印象は、僕が生まれた時から、父が亡くなるまで、半世紀以上に渡る長いものです。しかし享年は、その最後の年でしかありません。 一口にいえば、父の一生が「父」で、いわば「年齢を超えた」存在です。父の目にも僕は同じような存在になり、お互い、年齢とは無関係だと思います。
お礼
コメントありがとうございました。 死んだ時の一瞬ではなく、接してきた時間全部がその人として存在するという考え方ですね。賛成です。 小生には他界した友人、過去の恋人、家族などがいますが、確かに思い出としては死んだ時点だけではないですね。共に過ごした時間すべてがその人の存在と考えると、かなり「宗教的」な考え方になりますね^^;
- tzd78886
- ベストアンサー率15% (2590/17104)
個人的には「天国(極楽、あの世)を含む」を信じていません。 親が死んだときの年齢で止まってしまうという書き込みがありましたが、私の母の場合は祖母より先に他界しました。祖母が死んだ年齢ということになれば、あの世で年を取っていかなければ成立しなくなります。祖母は他界した時完全にボケていましたから、ボケた状態で母と会ったところで誰だか分からないかもしれません(実際に母のきょうだいのことも理解して無かったと聞いている)。このようにあの世の存在を認めてしまうと様々な矛盾点が出てきてしまうので、完全にシャットダウンしてしまうと考えた方がすっきりします。
お礼
ご意見ありがとうございました。 「人間死んだら終わり。あの世も精神活動もない。」多分科学的にはそうなのでしょう。ただ自分が不思議なのは本当にそれだけなら、法隆寺もノートルダム寺院もサクレクール寺院も、その他世の見上げるような宗教的建築物を生み出す、人間の精神的エネルギーはどこから来るのかということなのです。 「天国も地獄もない」と考えると、どこかに違和感を覚えるのです。何故なのか? それを「ある」と考える側からだと、あの世の設定・詳細はどうなのかという疑問が今回の質問です。
- g27anato
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No2、 天国における親子の関係、 年齢は現世における年齢であって、 親子の関係は死別の時点で停止してます。 天国で再開しても、その関係は死別した時点から再び始まります。 親と死別後の記憶は、貴方自身の現世での記憶にすぎません。 天国は現世とは別の世界であり、 天国での人間関係は、二人の間で一致する最後の記憶から再開すると考えてよいだろうと思います。 つまり、 現世では死別した二人の最後の関係が停止したまま、 天国では常に二人の最後の記憶から再開する。 現世での年齢は現世での概念であり、 天国では概念そのものが自在に変化する。 …そう捉えて構わないのではないでしょうか。
お礼
書き込みありがとうございました。 現存の宗教に就いては無知なので、賛成も反対の感慨はありません。 自分の考えを披瀝するのは、このサイトの規約違反なのですが: 宗教は人間を誕生させた異星人(=「神」)が、人間に自分達の想念を本能のプログラムに残していったものと考えています。その想念を人間たちが宗教として形成したものと言うわけです。
- tzd78886
- ベストアンサー率15% (2590/17104)
仏教に「天国」という概念はありません。この概念はキリスト教およびそれと同じ神を概念として持つ、ユダヤ教、イスラム教のものです。この三つは同じ神を崇めながら、その解釈の違いで対立しています。
お礼
ご意見ありがとうございました。 何処からの引用ですか?
- eroero4649
- ベストアンサー率32% (11074/34518)
丹波哲郎さんは「みんなハタチになる」っておっしゃっていましたね。「自分が行ってきて、この目で見たから間違いない」っておっしゃっていました。「見たんだから、しょうがない」って。
お礼
「丹波さん、いい着想ですね。」・・・と思いました。
- kappa1zoku
- ベストアンサー率29% (334/1137)
あの~、僕は仏教に詳しいものではありませんが、釈迦の毒矢の話は聞いたことがあります。 あなたも一度は聞いたことがあると思います。 また、仏教はインドから中国に渡り朝鮮を経て日本に伝わりましたので、途中でとんでもないねじ曲げがなされているかも知れません。 特に、中国では道教や儒教のエッセンスが振り掛けれていることは疑いがないので、仏教はと単純に尋ねることが難しいようです。 あなたの考えも仏教というものと違うような気がします。 だって、極楽浄土を天国と言い換えたら、キリスト教との区別もつかなくなります。ちなみにキリスト教では天国をパラダイスと呼ぶそうです。 なんかハワイの別名かと勘違いしそうです。 まあ、天国がハワイでもいいでしょうかね。 とすると、あなたは死んだら若い父親がいるハワイに行くんですね。 死んだら天国に行くという感覚は、プリミティブな感覚で宗教というジャンルに入らないものだと思います。 アイヌの古老の話を読んだことがありますが、死者は自分のそばに常にいるという感覚があり、死者はあの世とこの世を行ったり来たりしているのだそうです。 日本人のなかにも、あの世とこの世がどこかで繋がっているという感覚は特別不思議なものではないような気がします。 そして、それは宗教以前というか、もともと日本人の中にあるものかも知れません。 それが仏教が入ってきて、神道も手を上げ、キリスト教も名乗りを上げて、それらがどこかごちゃ混ぜになったのではないでしょうか。
お礼
ご意見ありがとうございました。
- g27anato
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自分の知識の範囲では、 天国には年齢の概念が無かったように記憶してます。 年齢は現世での概念だと思いますが…。 例えば輪廻転生においても、 現世に生まれた時点で0歳から始まります。 何度生まれ変わっても、現世に生まれ降りた時から年を数えます。 それは、年齢が現世においての概念…だからなのではないでしょうか。
お礼
ご教示ありがとうございました。なるほど、「年齢という概念」がないわけですか。なければ考えようなないですね。 「うまく言い逃れたな」という気持ちが5%ほど湧きました^^:
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お礼
ご意見ありがとうございました。 そのようないい加減な(?)理由で世界でこれだけの人間が仏教(宗教)を信じているのが不思議といえば不思議なのですが、自分的には人間の本能に根ざした行為だと理解しています。 本能には種(しゅ)の維持・発展を志向する以外にも、「世に善行を施しべし」という意志が含まれているのだと思います。・・・このサイトもその種の本能の一例ですね^^ 再度の意見表明、ごめん下さい。