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死後、天国に行ける方法を教えてください。

題名には書ききれませんが、題名&宗教についておしえてください。 私は、立派な善人だと思っていません。 けれども、死後は天国に行きたいとは思います。  でも、昔のことですが、学生時代、友達と喧嘩したり、いじめたりしたことがあります。 今では、ものすごく後悔しています。 けれども、人間は一度行った行動はパソコンのように戻すことは不可能です。 最近では、そのことを凄く反省し、友達や外出先でも、知らない人に親切にしたりと心がけています。  小さいころからは「嘘をついたら地獄に落ちるよ。 人の嫌なことすると自分に返ってくるよ」と教えられてきましたが、昔はなぜ、友達と喧嘩したり、いじめたりしたのかがわかりません。 私の場合は、相手と、少し食い違いが起きると、イラッとしてしまうタイプで、小さいころは、よく喧嘩したりしました。 その頃は、今のようなことを思っていなかったからこんな過ちをしてしまったのだと思います。 どうか、天国に行けるようにしたいです。 反省しています。 また、少し話は変わりますが、インターネットで調べていたら、基本的な嘘はもちろんですが、飲酒でも天国に行けないそうですが、本当ですか。 また、お酒って、大晦日などにお寺さんや神社へ行くと、お酒を貰い飲みますが、あのお酒は大丈夫なのでしょうか。 確かに、お酒は飲みすぎると、身体に影響しますが、少々は大人の楽しみだとも思いますが、これも駄目なんですよね。 ➁宗教について教えてください。 私は宗教についてあまり詳しくないのですが、日本では、団大宗教で、仏教・イスラム教・キリスト教がありますが、それぞれどう違うんですか。 最近、気になっています。 また、宗教とはどういう意味ですか。 馬鹿な質問だと思う方もいらっしゃると思いますが、教えてください。

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回答No.13

「死後、天国へ行ける方法?」まず、「死後の世界がある」という考え方、これは、貴方が生まれて今日まで見聞きした情報、(嘘をついたら地獄に落ちるよ。)から来ているもので一部の仏教宗派が死後の世界があるという考え方を吹聴し、人が亡くなる時には阿弥陀様が迎えに来て西方極楽浄土(極楽)に導いて下さる。これは法然や親鸞の考え方ですが、もっと端的に言えば、人は死んでこの世に生き帰って来た者は誰一人いないのですから、この阿弥陀様の話には今の現代人には無理があると思います。ですから地獄や極楽などという世界が実在する訳ではありませんが、死後の生命はそれまでに集積された業報によって、厳然と苦楽を感じ続けていくのです。そしてその死後の生命がまるで燃え盛る溶岩の中で身が焼き尽くされているような苦しみを感じていれば地獄であり、歓喜に満ちた楽しみの中に安息していれば成仏というのです。

回答No.12

あまりいい加減な情報には惑わされないでください。 嘘は良くはありませんが、仏法には「方便」というのがあります。人を正しく導くためのもの。例えば「牛にひかれて善光寺」というのがあります。信仰を嫌うおばあさんの着物が牛の角に引っかかり、それを追いかけていったおばあさんが、いつの間にやら善光寺に導かれたというお話。仏様の導きですが、着物を牛の角に引っ掛けておばあさんを歩かせるなんて事は善い事ではないですよね。よく京都ではそろそろ帰ってほしい時に「ぶぶづけ」を勧めると聞きます。遠回しの気づかいと言いますけど本当なら嘘ついていますよね。 真実では角が立つ、角を立てないための嘘、そんな場合の嘘もあります。 天国や極楽に行くためには、普通に生活することが一番なんです。聖書にもお経にも「善行を行なえ」なんて一言も掛かれてはいません。今の状況を受け止めてひたすら生き抜くことが天国(極楽)への道だと書いてあります。善行は+αにはなりますが、それが無ければ天国(極楽)に入れないわけではありません。 神社に参拝するときの手水は禊ぎです。禊ぎは約束や決まり事を破る穢れを祓う事。祓えとは私たちが意識的、無意識的にしている罪咎をリセットする方法です。神社では鈴を鳴らしますが、これは鈴祓いというお祓いです。ですから定期的に神社に参拝することも大切です。手水が無ければ神社近くの公園や施設のトイレで手を洗ってもいいし、参拝する前に風呂やシャワーを浴びるのも禊ぎです。鈴はアクセサリーの鈴でも十分です。これと同じことはクリスチャンでは告解、仏法では懺悔があります。反省したら二度と同じ過ちをしないように決心する。繰り返すからと甘んじる事より、反省する決意が大切です。 (2)宗教とは「宗=一つの中心となる」「教=教義、教え」という意味です。今では神仏が居るべきものと解釈されがちですが、本来関係ありません。だから無神論もそれを理解せずに信じれば宗教となります。科学では宇宙に存在する法則のごく一部しか解明されていません。全部に近いほとんどが仮説です。でも今存在する法則を信じ切れば宗教になります。真の科学者は相対性原理ですら鵜呑みで信じ切ってるわけじゃありません。疑問を持つことが科学の基本ですから。 また主義も同じです。例えば共産主義は理想ではありますが現実ではほど遠い独裁主義です。それを疑問も思わずに信じれば宗教でしかありません、自由主義も同じです。 「仏教」は人間の老病辛苦の原因は迷い・不安だと説いています。その迷いをなくすための人間の生き方を説くのが仏教です。日本の仏教は釈迦が説いたままではありません。そのことを踏まえて生き方を学ぶものです。 「イスラム教」は実はキリスト教徒兄弟です。親はユダヤ教です。「ユダヤ教」は創造主にすべてを任せ、耐え忍ぶことによって天国へと導かれます。しかしユダヤ教はローマに支配されていた時代にローマと癒着した司祭によって腐敗しました。イエスはその腐敗を正そうとしたのですが死刑になりました。イエスの弟子らが作ったのがキリスト教です。ユダヤ教では一定の資格を持った人だけが教えを人に説くことができます。やがて東方に偉大な指導者が現れました。それがムハンマドであり、彼が説いたのがイスラム教です。 イスラム教はローマ帝国と癒着したキリスト教に敵視され、さらにイギリスの二枚舌によって裏切られて以来、キリスト教を強く敵視しています。今のイスラム教過激派やテロリストは単なる政権欲しさですが、その発端はちがいます。 酒は多くの民族では祭の時しか飲みません。イスラムでは禁止です。やはり原因は善悪の判断ができなくなるからです。しかし江戸時代では酒の上というのはありません。本音が出るからしらふの約束より重要とされました。発明家で有名な平賀源内は酔って勘違いにより二人を殺しました。現代なら弁護士が酔っていたからと無罪を主張するのでしょうが、彼は投獄され、手鎖の刑を受け、その手錠の傷が元で死にました。 神社などで出されるのはお神酒、神様の下さりものですから酒じゃありません。 それと未成年の飲酒は罪ですけど、実際には呼気や血中にアルコールが検出されなければ罪にはできないんですよ。飲ませた方は証言だけで罪になりますけどね。神社などのお神酒は一応形式だけという事になっています。飲んで捕まるかどうかは本人の責任という事です。

回答No.11

>死後、天国に行ける方法を教えてください。 お釈迦様は真理を悟ると輪廻の輪から解脱すると説かれました。解りやすく言うと死後の世界も輪廻転生もありませんということです。仏教の救いは生きている間に悟りを開くことでまるで天国にいるような境地に至ることができることです。 >昔のことですが、学生時代、友達と喧嘩したり、いじめたりしたことがあります。今では、ものすごく後悔しています。 後悔し反省しているのであればもう大丈夫ですよ。 なぜ悪いことをしてはいけないのか? 答えは自分さえ良ければという考え方(我執)を強めてしまうからです。この我執が悟りへの道をふさいでしまうのです。逆に人に親切にすると我執が弱められて悟りに近付きます。 >飲酒でも天国に行けないそうですが、本当ですか。 仏教でも飲酒は良くないことになっています。 飲み過ぎないように適量を守っていれば大丈夫です。 私の知人で適量の飲酒をされる方が悟りの境地に至られました。 >宗教について教えてください。 いろいろな宗教がありますが、禅をおすすめします。 禅が一番悟りに至る可能性が高いからです。 古くは室町幕府の足利将軍から、茶道の千利休、剣道の柳生宗矩・山岡鉄舟、俳人の松尾芭蕉、小説家の夏目漱石、また最近の人では安倍首相、アップルのスティーブンジョブスなど一流の人は座禅をしている場合が多いですよ。それだけ禅はすばらしいということです。 座禅会情報を載せておきます。まずは気軽に参加されることをおすすめします。 http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n398198

回答No.10

イメージしてごらん 足元の下には地獄は無く 頭の上には青い空があるだけ… ジョン・レノンのImagineという曲です。 大切なのはあなた様がどんなに苦しみ懊悩しようが 今は人間という生物で日本という社会にて生きている 惰性でも嫌でも生きていかにゃならん という状況にともあれ… 選択の余地はない! のですな。極論 もののたとえですが、自分が死んでもいいから銃を持って戦争に行きたいと望み その意志通り紛争地に行く人も居り。社命により嫌々ブルガリアに農業指導と農産物研究に行ったら現地超美人と結婚して日本サラリーマンなんか馬鹿らしくて赴任地に根付いちゃった。なんて逆転覚醒な事が極稀ながらありますが。 あなた様の知るあるいは思う宗教は 超越により状況が望む理想境遇に一変する 天変地異的神がかり に頼タヨり縋スガる 御都合的シューキョー ではありませんか? そおんな くっだらない事 よか、いじめや悪事を本当に反省しているならば 今は弱い者を助けどんなに手の焼ける愚鈍に劣る人にも優しく接する事が出来るはずです。 そういった事をイメージしてみたら また いじめ や 蔑み イラつきひいては暴力から悪事に至る可能性は感じませんか?自分の甘っちょろいエゴ内象をよく観察して、 悪い事しない 善い事をする それを実行出来る人格を形成して 小さくともかけがえのない生涯を全うしなさい。 宗教は参考にはなれど神様や仏様は何もしないでアチコチの金殿玉楼~御殿に居らっしゃるだけ。 自分の良心を信じ自分の善い行動力を頼りとして過去の悪事を恥じ善行尽くせば、内象は神仏と共鳴し正しい勘や閃きが分かる様になります。 賢くリーダーシップを取り利潤を盗る者を羨むより 地道に貴いプライドを全うして下さい。

  • eroero4649
  • ベストアンサー率32% (11072/34514)
回答No.9

#3です。 イザナミに死なれたイザナギはショックでショックで、黄泉の国まで迎えに行って帰ってきてくれと懇願します。しかしイザナミは「私、黄泉の国の食べ物を食べちゃったから姿が変わってしまったから戻れない」といって断ったんです。 でもイザナギが「それでもいいから帰ってきてくれ」と泣いて懇願したので、イザナミは「じゃあ黄泉の国から出てくるまで決して振り返って私の姿を見ないこと」を条件に戻ることにしたのです。しかし、はやって思わず振り返ってしまったイザナギの目に写ったイザナミの姿はモロにゾンビのアレで、「みぃ~たぁ~なァ~」となってしまったんですね。 ですから黄泉の国に行くとゾンビみたいな見た目になってしまうようです。 日本神話には死後の世界は黄泉の国しかないので、天国も地獄もないみたいです。

okawarigohan
質問者

補足

ゾンビ・・・あの血だらけになってしまうんですか?

noname#224719
noname#224719
回答No.8

わたしは信仰心とは人に悪いことをしたら 反省する気持ちや自分を省みることだと 思っています。 それができればどちらの宗教かは関係ないと 思っています。 人間性が違うように同じ宗教だからといって 同じ考え方になるとは限らないですよね。 >少し話は変わりますが、 神様やご先祖様と会話ができると一番良いですけれどね。 死んでから誰かが私のとを 考えてくれたら嬉しいと思います。 私は無宗教ですが人を大事に思う気持ちは 一緒です。自分がしてきたことを 反省することもあります。 人間は完璧ではありません。 震災に心を痛め、テロを憎みます。 >私は、天国を信じています。  私の家庭は仏教ですが、 天国を作ってくださった イエス・キリスト様は素晴らしい人だなと 信用しています。 このような気持ちが本当の 信心ではないでしょうか?

noname#230940
noname#230940
回答No.7

キリスト教と、それより前からあるユダヤ教、それにイスラム教はいずれも一神教で、唯一神を信仰するものです。 その中で、キリスト教だけがイエスを救世主(キリスト)であり、神の子であるとするのが相違点です。 イスラム教の経典である「アル・クルアーン」(コーラン)にもしばしばイエスのことをイーサーと呼んで登場させてますが、あくまでも預言者の一人としています。

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7193/21843)
回答No.6

日本では、団大宗教で、仏教・イスラム教・キリスト教がありますが、 それぞれどう違うんですか。   ↑ 仏教は仏陀が始めた宗教で、我欲を捨てれば 幸せになれる、と諭しています。 仏陀は、天国地獄は語っていません。 それは、後世の人間が、布教のために 創ったものです。 ユダヤ教というのがありまして、それはユダヤ人だけの 宗教でしたが、それを全人類に広げたのが キリスト教です。 キリスト教から分派したのがイスラムです。 キリスト教には色々な派がありますが、中心となっている プロテスタントのカルバン派では、天国に行ける人間は初めから 決まっていることになっています。 宗教とはどういう意味ですか   ↑ 神とか仏とか、超人間的超自然的な存在を確信し これを畏敬崇拝する行為と心情。 というのが判例になっています。

okawarigohan
質問者

補足

ご回答ありがとうございます。 確かに、天国・地獄は昔の人が教育のために作ったとも言いますよね。 また、今回の質問では書いてありませんでしたが、教育上に昔の人が閻魔様も作ったともいう人が多いですが、私は、実際に存在すると思います。 確かに、昔の人がいうなら、そうかもしれませんが、インターネット上では、実際にあったことがあると書いてある人もいますからね。 でも、あったことあると書いてあるのは微妙なラインですが、霊能者がいうなら、まあ信用できますよね。

回答No.5

矢張り貴方の先祖を大切に供養する事が天国に行く近道と思う 今の貴方が居るのは先祖の御陰なのだし 1ヶ月に1度は墓参りに行くのも良いと思う

okawarigohan
質問者

補足

ご回答ありがとうございます。 私自身の場合は、ご先祖様に今、私がご先祖様から代々繋いで来られ、今、生きていることを代々感謝しております。 私の場合は、ご先祖様に感謝しておりますが、ご先祖様の仏壇は、わたしのおじぃさんの本家にあるため、頻繁にいけないことは非常に残念だと私自身は思っております。 お墓は、私の家からは離れた場所にあるため、お墓も頻繁には行けませんが、心よりご先祖様には、日々感謝と尊敬はしております。 でも、ご先祖様に伝えれているのかと思うと、少し不安はあります。 でも、ご先祖様は私も、もちろん、家族や従妹なども皆を守ってくださっていると思っていますので、ご先祖様にこの気持ち(考え?というか、思い)が伝われば、それだけでも、良いと思います。 もちろん、毎年のお盆などの行事は、お墓参りを必ずします。 もちろん、家が、ご先祖様が眠るお墓に近ければ、ご先祖様に、毎日・・・少なくとも、週に2~3回ぐらいはご先祖様に挨拶と、お墓周りの掃除などをしたいとは思っています。 あ、私の思っていることを書きすぎちゃいました。 ごめんなさい。 長々と書いて申し訳ないのはわかっていますが、これだけは教えてください。 教えほしいのは、今、上記にも書きましたが、ご先祖様に毎日心の中で感謝とご挨拶をしているだけでも、ご先祖様に伝わっているのか知りたいです。

noname#224719
noname#224719
回答No.4

(2)亡くなった人を追悼する気持ちがあるでしょう。 そこに宗教の違いがあるんでしょうか? 日本は法律があるので土葬はできません。 burn 燃やすことは人を屈辱するときに 使う表現。 遺体を焼却することに概念の違いは あっても人の気持ちは同じです。 死んでからはどうなるか分からないし、 死んだ人の話は誰も聞くことができません。 現世で悪いことをしたから地獄というのは 比喩的に使われていた言葉だと思います。 新興宗教が嫌われるのは一部の人たちが 弱みにつけこんで勧誘するといった アンフェアなやり方だと思います。 キリスト教、イスラム教、仏教、 本当に信仰深いひとは排他したり 悪口は言いません。人柄です。 ~教が戦争とか後づけして 他宗教を避難する愚かな人間性です。 そんな人から道徳的なことを説かれても 説得力の欠片もないので。

okawarigohan
質問者

補足

ご回答ありがとうございます。 少し話は変わりますが、神様やご先祖様と会話ができると一番良いですけれどね。 私は、天国を信じています。 私の家庭は仏教ですが、天国を作ってくださったイエス・キリスト様は素晴らしい人だなと信用しています。 もちろん、イエス様の誕生日は未だに現実はわかっていませんが、今の世間のクリスマスの日の12月25日は、世間上での誕生日だと思いますので、体ではお祝いはできませんが、心よりお誕生日をお祝いしたいと思います。