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同じ村に同じ名前
江戸時代、自分の住んでる村に同じ名前の人間がいた例はありますか? 例えば、組頭加兵衛(百姓)と郷士、〇〇加兵衛とか 百姓同士なら、まだいいのですが、郷士と名前が一緒とか百姓側は気まづいと思いますし
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#2です。補足です。 >>確かに郷士のかたは、屋号かは分かりませんが、どんがついた別名みたいので呼ばれてる地域はあります名前だけで、呼ぶことはないから気まづくないんですね 目上は肩書き、目下は名前、という法則が昔からあり今でもあるような気がします。 例えば、親は「お父さん」「お母さん」子供は名前、年上は兄さん、姉さん、弟妹は、名前。班長、係長、課長など「長」は肩書きで、部下は名前。 これと同じで上の人は、郷士殿のような肩書き、ヒラの人は名前、ということで同じ高さにないことが示されていますから、気まずいことはなかったのでしょう。
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- SPS700
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江戸時代、自分の住んでる村に同じ名前の人間がいた例はありますか? 僕はその頃どの村にも住んでいたことはありませんが、「名前」が下の名前はあるでしょう。上の名前はないのが普通で、〇〇村の嘉兵衛で通じたと思います。 一人しかない肩書きがあれば村の中では、「郷士」さん、村役どん、鳶役どん、と役職で通じたと思います。村の外では〇〇村の鳶役の嘉兵衛でしょう。 明治になってみんなが上の名を持つようになってからは、同じ名字が複数あるのは珍しくないし、そのため村の中では名字だけでは特定できません。 その場合同じ「宮園」という名字でも、苗床のそばに家がある宮園さんは「苗床」、東に住んでいれば「東」などと区別されます。 下の名前が「嘉兵衛」と同じ時も「苗床の」とか「東の」などをつけて今でも区別そうところがあるようです。
- tzd78886
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江戸時代にはあまり本名で呼び合う習慣はありません。庶民であれば屋号や住所など、武士であれば姓や役職で呼び合うのでそもそも本名などお互い知らないことがほとんどです。本名で呼ぶことがあるのは親くらいのものでしょう。
補足
確かに郷士のかたは、屋号かは分かりませんが、どんがついた別名みたいので呼ばれてる地域はあります 名前だけで、呼ぶことはないから気まづくないんですね