- 締切済み
日本史 村
日本史の教科書で出てくる代表的な村は、鎌倉時代後期の惣(惣村)と、江戸時代の村方三役や本百姓らによって運営された村くらいでしょうか?
- みんなの回答 (1)
- 専門家の回答
みんなの回答
>日本史の教科書で出てくる代表的な村 ??? 現在の村、町、都市を基準としてイメージされておられませんか。 現代の農村=村ではありませんでした。 現代のように県庁所在地の他に商工業を中核とする都市がある、という状態はありませんでした 村が本百姓によって構成される村方三役によって運営されていたということです。 この自治組織を持たない村というのはありませんでした。 惣村は荘園制度が解体していく過程で生まれた制度です。 江戸時代の村落の形態の原型です。 鎌倉時代以降の為政者である武家というのは人口の1割以下でした。 江戸時代には2~5%程度でした。 宿場町というのも村の中の街道に面した地域に宿場(旅館)が複数あっただけです。 門前町というのも村の中に大きな寺社があって参拝者が周辺を往来していただけということです。 この参拝客相手に飲食店や宿屋が複数あっただけです。 城下町というのは信長が武家の居住地を城の周辺に集約した結果生まれたものです。 江戸時代には武家が城下町以外の地域に居住することを禁じていました。 例外は薩摩藩だけです、 武家が無駄で城下町の外へ出ることを禁止していた藩もあります。 つまり国民の大半が村で生活していたということです。 武家と町人の比率が!:1の江戸の街というのは極めて特異な例外です。 大阪は大阪城を中心とする城下町で町人の人口が他の城下町よりも多かっただけです。 京都は朝廷がありましたので例外中の例外です。 蛇足 百姓というのは農耕従事者だけではなく漁労従事者もの農漁業従事者が必要とする用具を作っていた職人もそれを売買していた商家も全部含んだ身分呼称です。 平たく言えば、城下町以外の地域に居住して居た人と言えます。 江戸時代には士農工商などという職業別の身分制度はありませんでした。