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武士でもお墓ないかたがいましたか?
決して貧しいわけでもなく、むしろ暮らしに余裕のある郷士(武士)でも 江戸時代中期ぐらいまで、お墓を建てなかった郷士のかたがいたみたいですが 江戸時代の武士は江戸時代初期から、みんなお墓は建てると思ってましたが、そうではないのですか?
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水呑百姓でも墓はありましたからねぇ。 ご存じとは思いますが、江戸時代は「寺請制度」というのがありました。誰もがどこかの寺に属して、自分がキリシタンではないことを証明してもらったわけです。「寺請状」がないと、庶民は婚姻、旅行、奉公など、できなかったのです。 郷士となれば、この制度がダイレクトに適用されたかどうかまでは知りませんが、それほど寺との関係が強固である時代に、郷士が墓を持たず、当時の仏教の流儀に反して「樹木葬をしました」とか「川で散骨しました」とか、「キリシタンかも」と疑われかねない行動をしたとは、とうてい信じることができません。 吉原遊郭の遊女やヤクザなどの半端者は「人別帳」からはずされており、病死したり刃傷事件で死ぬと、正式名は忘れましたが「投げ込み寺」と呼ばれる寺の墓地に穴を掘って放り込まれたとも聞いていますので、墓ない人生だったのでしょうが、「自称郷士」ではなく、本物の郷士の話でしょ? 郷士も武士の端くれで、先祖の働きによって(殿様公認の)郷士としての立場があるからには、家を大切にして、先祖を大切にし、自分の生き死によりも家の存続を大切にしていたはずだと思います。 なので、墓がないなどとは信じられません。 ただ、江戸幕府から睨まれた家系というのがあり、その家系の人が本来の姓とはちょっと違う姓の墓を建てるということはあったようです。 NHKのお名前番組だったかと思いますが、そういう本姓とはちょっと違った姓の墓を山中に作っていたケースを紹介していました。 幕府が倒れ明治になると、もとの姓に戻そうということで、新たに墓を建てた・・・ その結果、子孫である現代人には「違った姓の墓」を探し出せない、ということはありそうに思います。 なので、どこかに墓はあると思います、子孫の人誰もが知らないだけで。