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村どうしの争い
江戸時代、農業用水や入会地などの権利争いなどで、村どうしが大きく争い、武力紛争に至ったといったケースは結構あったのでしょうか?
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質問者が選んだベストアンサー
日本の場合、農業用具や利水施設の整備に伴い耕作地が増大し、いわゆる川の上流と下流、用水路の上流と下流で争いがありました。 普段はそうでもなく、互いに相談して施設整備に当たる等していたのですが、渇水が続いたときなど、激しい争いが起こったようです。 各県や市町村の歴史の記録を見ると、そのような事例があります。
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- suicyo
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回答No.2
ご参考まで。 中世~近世の転換期の専門の歴史学者である、藤木久志の講演記録です↓ http://cner.law.hit-u.ac.jp/lectureseries/001Fujiki/fullTextFile 中世惣村などでの農民間の武力衝突が、豊臣・徳川へと時代が移り変わ るなかでどのように変容していったかを、真ん中へんで述べられています。
質問者
お礼
ご紹介いただきありがとうございます。 結構長文なので時間のある時にじっくり拝見させて頂きます。 ありがとうございました!
- hazu01_01
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回答No.1
どのくらいあったのかわかりませんが、あったのでしょうね。 なお、当時の村は現在の町村ではなく、その中の「字」単位ですので構成人員も多くの場合30~100件くらいです。 明治期でも水利権の分流地を挟んで双方の子供たちが川原の石を投げあう行事があったところもあるようです。これなんかは双方の土地の武力紛争のな残りなんでしょうかね。
質問者
お礼
明治期でも双方の子ども達が石を投げ合う行事があったのですね。面白いですね。 そういった武力紛争もあったのでしょうね。 ありがとうございました!
お礼
渇水が続くと、それこそ死活問題だったのでしょうね。 各地の郷土史のような史料に散見されるのですね。 ありがとうございました!