- 締切済み
1.哲学とは処世術?文学とは文芸批評の為に学ぶ学問
1.哲学とは処世術?文学とは文芸批評の為に学ぶ学問なのだろうか? 2.哲学、文学、教養とはそもそもどの様なものなのだろうか? 3.皆さまにとって哲学、文学、教養とは? 哲学カテゴリー皆さんの ご回答のほど、 お待ちしております
- みんなの回答 (4)
- 専門家の回答
みんなの回答
- nagata2017
- ベストアンサー率33% (6888/20370)
進化論が登場するまでは 宗教が絶対的力を持っていて その教義により人々を統べていた。 進化論により 聖書が嘘だということになって 宗教の力が失われていき 善悪の概念も 確たる基盤がなくなってしまった。 そこで新しい価値観を考えて 宗教の代わりになるものを産みだそうとしているのが現代の哲学。 「人はいかに生きるべきか」
- Nakay702
- ベストアンサー率79% (10007/12518)
>1.哲学とは処世術?文学とは文芸批評の為に学ぶ学問なのだろうか? ⇒そう言える面がなくはないと思います。確かに、哲学は処世術の問題に関ることもあるし、文学は、学問対象として見れば、まず頭に浮かぶのが文芸の批評でしょうから。とはいえ、これらは哲学や文学のほんの一部分に過ぎない、ということもまた確かでしょうね。 >2.哲学、文学、教養とはそもそもどの様なものなのだろうか? ⇒哲学については、政治哲学・科学哲学といった術語もあるように、例えば、かけがえのない地球を守るために、それを支配する人間に「指針」を与えてくれるものだと思います。文学、それは芸術のひとつのジャンルですので、それを求める者・読み手に「感動・娯楽・心の糧」を与えてくれる存在だと思います。 >3.皆さまにとって哲学、文学、教養とは? ⇒「哲学」という訳語のもとになった語philosophyの原義は、philo「愛」+sophy「知」だそうです。つまり、哲学とは「知を愛する」ことで、その名に違わず、私にとってもそれは「好奇心」を満たしてくれる頼もしい存在です。一方、文学からは「精神的快楽」を与えてもらい、「情操」を育んでもらった気がします。時には、「カタルシス」を経験することもあります。 以上の1~3のすべてが、いわゆる「教養」と言われるもののうちに含まれると考えます。それは、ひと言で言えば、「人間力」の涵養と言えるかも知れません。大げさに言えば、そのすべてが、「己」を知り、自前の「世界観」を持ち、「宇宙の理法」や「人間世界の哲理」を模索する心的態度につながる事柄に違いありません。
お礼
ご回答のほど、 ありがとうございます。
- alterd
- ベストアンサー率23% (137/595)
哲学を処世術と言ってしまうと凄く下世話な感じがしますね。 私的には、哲学とは世界をどう解釈するかであり それに伴う生への態度だと思っています。 後、文学とは、著者の感じ方を共有し自分の世界を豊かにし拡げることだと思っています。 一方、学問は、考え方の共有であり、別の面から自分の世界を豊かにし拡げることだと思います。 そして、これらの総合が教養の核心だと思ってます。
お礼
ご回答のほど、 ありがとうございます。
哲学とは処世術?文学とは文芸批評の為に学ぶ学問なのだろうか? 違う 何か?知りたきゃ哲学でも文学でも、そのキーワードで検索すればいいだけの話。
お礼
ご回答のほど、 ありがとうございます。
お礼
ご回答のほど、 ありがとうございます。