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文芸翻訳には語学力より教養が必要なんですか?
小説を訳すには外国語力より日本語力や教養のほうが大事と、文芸の翻訳家が書いてるんですが… 日本語が大事だというのはわかりますが、教養が大事というのはどういった考えなんですか?? そこでいう教養は、哲学文学歴史美術音楽など昔ながらの伝統学芸のことみたいです。
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初めまして。 おそらく、「その国の文化や思想などをよくよく理解している必要がある」ということだと思います。 海外の人々が書いた文章を完全に理解して翻訳するには、日本人の常識の中だけでは不可能でしょう。 例えば、すごく簡単な例をあげると、日本の事をよく知らない欧米の人が日本の小説を自分で訳して読んだ時、「ここで彼女が玄関で靴の脱ぐのは何故?」「知り合いに出会って頭を下げたのは何故?(会釈)」と思うかもしれません。 日本の古典だって、その時代の文化を知らないと、訳文を読んでも「?」となることがあるでしょう。 同じことが言えるのです。 海外の作者が「この国では当たり前の常識」を持って書きあげた小説でも、その「当たり前の常識」を持たない日本人は理解できません。 アメリカではサマータイムという夏時間の仕組みがあります。 フランスでは公務員でもストライキなど日常茶飯事です。 ドイツでは年越しに夜の街で花火をやりまくります。普段は法律で禁止されているそうです。 イタリアでは列に割り込むことなど普通です。 スペインの人は昼寝をするシエスタの時間があります。 キリスト教の人はミサへ行きます。 イスラム教の人は日に5回、お祈りをします。 全て、その人たちにとっては「当たり前」のことです。 その国に古くから根付いている伝統と文化と思想と宗教を理解することが、小説の翻訳に多いに役立ち、また不可欠なのでしょう。 なので、翻訳業には「教養」が重要なのです。