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宮沢賢治の文章「北守将軍と三人兄弟の医者」です。教えていただきたいと思います。

私は外国人です。今童話を読んでいます。これは童話の一部分です。 「どうかね、馬は大丈夫かね。」「もうじきです。」とパー先生は、つづけてじゃぶじゃぶ洗っている。雫がだんだん茶いろになって、それからうすい黄いろになった。それからとうとうもう色もなく、ソン将軍の白髪は、熊より白く輝いた。そこでリンパー先生は、布巾を捨てて両手を洗い、弟子は頭と顔を拭く。将軍はぶるっと身ぶるいして、馬にきちんと起きあがる。 「どうです、せいせいしたでしょう。ところで百と百とをたすと、答はいくらになりますか。」 「もちろんそれは二百だろう。」 「それはもちろん二十じゃな。」さっきのことは忘れた風で、ソン将軍はけろりと云う。 「すっかりおなおりなりました。つまり頭の目がふさがって、一割いけなかったのですな。」 「いやいや、わしは勘定などの、十や二十はどうでもいいんじゃ。それは算師がやるでのう。わしは早速この馬と、わしをはなしてもらいたいんじゃ。」 質問(1)「頭の目」は頭の一部品ですか。ほかの言葉でなんと言ったらいいですか。 質問(2)「一割いけなかったのです。」何の意味ですか。

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  • toko0503
  • ベストアンサー率36% (886/2437)
回答No.1

こんばんは。 質問(1)「頭の目」→ これは、宮沢賢治の独特の表現だと思います。実際に「頭の目」という所はないので、つまり、「脳の中の計算をする部分」と解釈したらいいのではないでしょうか。 質問(2)「一割いけなかったのです。」→ 将軍はこの前に「百と百をたすと、百八十」「十の二倍は十八」と答えていたので、一割分(10%)だけ答えが少なくて間違っていたわけですね。「いけなかった」とは「間違っていた」ということです。

aifen
質問者

お礼

早い回答ありがとうございました。何となく分かりました。特別な言い方ですね。

その他の回答 (1)

noname#231526
noname#231526
回答No.2

 「頭の目」について、私は、「ふるい(篩)(sieve ?)の目」という表現を連想しました。篩の目がつまって通りが1割悪くなっていた、というような感じで、「頭の目」と言っているのだと感じました。いずれにしても、他ではまず聞かないような、独特な表現だと思います。

aifen
質問者

お礼

たいへんありがとうございました。たいへん役にたちましたよ。