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個人的難問

 あまり人と関わって来なかった自分としては、哲学的難問なんですが、「他人を理解する」とはどういうことですか?   ここの質問でも、付き合っているけど、相手の気持ちがわからないという人を多々みかけます。  例えば、ここでも、質問と回答で「お久しぶりです。」と関わりあっているのをよく見ますが、お互いどれくらい理解しあっているのでしょうか?そういうのが乏しい自分は、ちょっと不思議です。

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  • Dr_Hyper
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回答No.5

ある人を理解するというのは、その人の脳または心にその人の引き出しがあり書類がそこに入ってる状態を想像すればいいと思います。 人にかかわらなければ、その引き出しの数自体が少ないでしょう。 一方外交の仕事などをしたりすれば、仕事関係というラベルのついた引き出しがものすごく多くなります。 さてその引き出しを開けたときに、いろいろな書類が入っているわけです。 例えばこの掲示板での「久しぶり」と言った人には、この掲示板の付箋がある書類に、こんな質問をしていて、あんな答えに、こういった反応をした。と書いてあります。 この状態を、どれくらい理解しているの?という質問に対して、ざっくり答えるとすれば、この書類が一枚入っている程度としての理解と思っていいのではないでしょうか。 そして周りの人も、おそらくはその程度の理解でお互い話しているのだろう。と予想しているのだと思います。 逆に家族であれば、その書類の数は膨大で、極秘書類もあれば、どうでもいいメモもたくさん入っています。時間や経験など知れば知るほど、そのデーター量は多くなっていくわけです。質が高まる可能性もあれば量だけ増える可能性もありますし、整理して精査することができればより良いものになる可能性があります。ここで言う精査は、話し合いとか語り合い、恋人で言えば電話などで語り尽くせば、そのお互いのデーターは整理されしかも詳細になります。紙切れのメモ程度だったのが、書類の束ではすまなくて、むしろ電子化されて言葉の先々のリンク先まで細かくアサインされる状態さえなるでしょう。 そして引き出しなので引き出しを作った本人でもちゃんとのぞいてみないと、どの程度データーがつまっているのか実はよくわからないんですよ。 例えば、奥さんという引き出しならそれ相応のものが詰まっていると普通は考えますが、離婚してみて、以外にデーターが少なかったとか、逆に引き出しをひっくり返してみれば自分が思っていた以上に重要なデーターだらけだったなんて場合もあるでしょう。 あなたが他人の引き出し事情を理解できないのはある意味当たり前ですが、 引き出しを作ろうとしないのは、それなりに問題があるとも言えますね。 自分のいろいろなデーターの蓄積を拒否しているのと同じですから。

nobound
質問者

お礼

 ちょっと素晴らしいですね。確かに「お久しぶりです」と言われる人は、お礼でもすごくていねいなので、(私と違って) いろんな書類をお配りしているのかなとちょっと思いました。  データ量の理解というと確かにそうですが、例えばですが、外交でいうと、日本はもしかすると、仲の悪い北朝鮮や韓国よりももっと仲のいいはずのアメリカのことを知らないような気もします。たぶん膨大な書類をアメリカは持っていると思いますが、日本には教えてくれないという。データ量もそうですが、何か力関係で理解できないことも多そうです。

nobound
質問者

補足

 自分以外にも感動する人がいるということでも、BAですね。皆さんありがとうございました。

その他の回答 (10)

  • wadrimps
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回答No.11

どういった意味合いでの質問なのかがいまいちピンときていないところがありますが、哲学的な命題というよりは、もっと卑近な、生活の中での話なんだろうと推測して回答してみます。 他者を理解するということは、その原理を知ろうとすることに近いと思います。 例えば、この人はこういうことを言われるとこう言う、とか、○○を見るとこんな表情をする、とか。 その人がどんな感覚でどんな考えなのかを直接体験することはできないので、完全な理解はできませんが、自分の経験に照らし合わせたりすることで、ある程度想像することはできます。 この人はこれが好きだろう、これは嫌がるだろう、とかもわかるようになってきます。 本当のところはわからないのですが、言葉や表情から、おそらくそうだろうということは推測できます。 一方で、ある人についての情報がたくさん蓄積されれば、それが理解していることになっているかと言うとちょっと微妙です。 例えばびっしりと書かれたアンケートを読んで覚えてもその人のことを理解したとは言い難いですね。 できればさらに踏み込んで、まだ知らないことも推測できるくらいになると深い理解といえるのではないかと。 先の例で言うと、こういうのは嫌いだろう、とわかるのはある程度理解しているからわかることですね。 推測ができる、というのは相手に、理解してくれている、と思わせる大きな要素と思います。 知識の蓄積の量はそこまで大切ではないかもしれません。 かえってわかりにくいかもしれませんが、初等数学で言いますと、y=2xという関係性を理解せずに、「1を入れたら2が出る」「2を入れたら4が出る」「5を入れたら10が出る」・・・、という知識がたくさんある人よりも、y=2xだとわかっている人のほうが、応用も利くだろうし、理解しているといえそうです。 相手が何を感じて考えているかは実際にはわかりませんので、言葉や表情からそれを推し量っていく、それにある程度の法則性を見出していく、というのが他者を理解していくということなのかなと。 手っ取り早いのはその人と直接話をすることです。一緒に色んな経験をすることです。 自分が人を理解している、と強く思えるのは、自分の持つ経験・感覚と同じような経験・感覚を相手も持っているときです。 逆にこれがないと理屈はわかるけど、理解はできないといった感覚になります。 極端な話、生まれつき目が見えない人に、目が見える人のことを理解しろといっても限界がある気がしますよね。 もし生まれつき痛みを感じない人がいたら、誰かが小指をタンスにぶつけて苦痛に顔を歪めても、どうしてそんな表情をするのかわかりませんよね。 共感できる、というのは理解において非常に重要なことです。 色んな経験をして、共感できるストックがたくさんある人は、他者への理解も深いような気がします。 逆になんの共感もしていない人でも理解している風にふるまうことはできますが、それって本当に理解していると言えるのかなと思ってしまいますよね。 ロボットに「うんうん、すごく分かる」と言われても、「嘘つけ」って思いますよね。 冗長になってしまいましたが、人とよく話して、「本当のところ」を推測することが他者を理解することなのかなあと思います。

nobound
質問者

お礼

 丁寧なご説明をありがとうございます。  どういう理由でというと、やはりy=2x のような理解ができるのかどうか、つまり、顔立ちはみな違いますが、目と鼻と口と耳でできているのは一緒です。人の顔を理解するとは、構成は一緒だが、イメージはばらばらである、といえるように、他人とはわからない様々な存在だが、基本は同じ人間だという捉え方で、捉えられないかなと。  基本をおさえておけばいいけど、顔立ちは細かい差ですごく揺れ動くように、同じこと違うことの理解がまだまとまっていません。書かれていることを反復し、さらに理解を深めたいです。

  • NOMED
  • ベストアンサー率30% (522/1725)
回答No.10

>確かに相手の行動パターンをイメージするだけでも、少しは理解でき得るかもしれません。 丁寧なお礼 ありがとうございます 例えば、対象が同性の場合なら、同じことをしてみることで、追体験で、なるほどそういうことだったのか・・が、体感できて、同じ心理を共感しやすいですよね また、元気に自分が挨拶できないとして、なぜ?あの人は元気にいつも挨拶するのだろう?と考えた場合なども、同性異性関係なく、実際に自分も同じことを追体験することで、なんとなくの納得・・答えがでると思います また、若いときは年齢を経た人たち(大人たち)の気持ちを理解しづらいのですが、自分がその年齢に達すれば、なるほどそういうことだたのか・・となります しかし、異性(付き合っている相手)の感覚は、追体験しにくいことになりますから、上記に書いた哲学的な要素よりも、人から聞く・調べる・過去の経験(見た聞いた読んだ)などの統計・・・つまり、心理学の領域にヒントを求めることになります つまり、ここでの回答する側も本来、自分の中の経験にないものを回答する場合は、思考を統計に切り替えて、そこから答えることになると思います ※暗に本などを薦める人もいますけどね >「他人を理解する」とはどういうことですか?  そうなると、あいまいな回答になりますが、自分の経験と見聞きした知識で理解していくしかありません 「お久しぶり」も、過去の知識の浅い引き出し・共感でしょうから、そこまで深く理解していると言うよりかは、軽く互いを認知しあった程度だと思います

nobound
質問者

お礼

 ありがとうございます。  車で右折する時、黄色でも突進する対向車にイライラしていたのに、自分が逆の時に黄色でも突進し、対向車が右折出来なかったのをチラッと見た時、「あっ同じことをしている。」と反省しました。みんなやることは似ているかもしれません。これも想像力ですね。  単純に、相手の気持ちを理解するというのはよくある話ですが。

  • NOMED
  • ベストアンサー率30% (522/1725)
回答No.9

>他人を理解するは、心理学か哲学かよくわからなくなっています はい 心理学はあくまでも統計学(実験・実証・アンケートなど)になりますね 哲学は統計学ではありませんから、相手の心理や考えを自分に置き換えて、とりあえずの答えを出していくことになります もちろん自分に置き換える場合、経験の差がでてきますが、それを繰り返すことで答えを導き出します 質問文には哲学的難問と書いてありますし、カテは心理学でしたので、どちらのスタンスの回答がほしいのかによって、回答が変わるのです でもまぁ、哲学は方法論を示すしかここではできないので、そのような回答になったと理解されてください

nobound
質問者

お礼

 再びの回答ありがとうございます。確かに心理学と哲学の区別をきっちりつけられない所が、社会的認知としてダメかもしれません。そしてまたそういう言葉のあいまいさが理解ではなく誤解を生むかもしれません。心理学とは統計学なんですね。ありがとうございました。

回答No.8

【補足】他者の理解に絶対はない! あくまでも、相対的な判断に過ぎない。 理由1、他者の事情や言動に対する知見の量は限定されている。 理由2、それを評価しテストする物差しである自己体験も限定的である。 理由3、そもそも物事の評価は、時々の視点、立場で大きく異なる。 ですから、「あいつは、こうだ!」という決め付けはしないことですね。

nobound
質問者

お礼

 そうですね。今回の質問をしようと思ったのは、知人が言った、「人間は個々、島宇宙であることを通して相手を理解する」が全くわからなかったんですが、違いを通して相手を理解するのでしょう。  小さい時は、同じ価値の人とばかりで付き合いがちですが、それでは理解と言えないのでしょう。ありがとうございました。

nobound
質問者

補足

 自分と違う意見を言われた時に、イライラしないことかなとは思いました。

回答No.7

Q、他人を理解するとは? A、辞書によれば、「他人の気持ちや立場を察すること」です。 で、《他人の気持ちや立場を察する》ってのは、多分ですが3つのステップを踏む作業だと思います。 Step1=分析:  他者の置かれている現状をできるだけ細かくバラす。  その小さい部品の意味を、己の過去の体験に照らして評価する。 Step2=総合:  総合とは、各部品の評価を結合して全体像を形成する手続き。 Step1=判断:  判断とは、このバラシと再結合を通じて得られる認識。 >他者を理解するとは、 >他者の事情・言動をバラシし、 >自己の体験と照らして得た諸評価を総合して >「フフーン!」という認識を獲得することに他ならない! と言えるでしょうね。

nobound
質問者

お礼

 ありがとうございます。  分析、総合、判断ですね。  何となくここまでの回答とお礼を通して、それなりに相手の理解はできそうな気もしますが、何が足りないのかなとも思います。  ひとつは、今のバイトテロの動機が全くわからないのですが、それはテロリストの生の声を全く聞いていないからです。ということは、相手と会話ができればそれなりに理解はできるのかな、どうなのかなと思います。

noname#244682
noname#244682
回答No.6

No.5の方の意見に凄く感動を受けました!と言うと答えになってもいないですね 私の同僚にもいますし、小松左京氏等はその典型的な人のようです で、私はどうかと言うと、引き出しに入っていなくておもちゃ箱のように でたらめに積み込んであるんですよ、だから人に何か聞かれた時に、えーっと と言うようになかなか答えが出てこないんですが、でもそんな人と違って 私の記憶は「芋蔓?」の様になっていて、糸口を見つけるとそれを手繰ると それに関する事柄がぞろぞろと出てきて、引き出しを持っている人を驚かせます 例えば貴方の質問から、貴方の性格、貴方が何時何処で何を質問したか等々? 貴方の質問に答えるとしたら、シャーロックホームズではありませんが 「記憶する事と、記憶する必要の無い事にはっきりと分ける事」位でしょうか 理解すべき人と、理解する必要の無い人とに分ける? 相手を理解すると言う事も、ただ「誰だったかな、まあ良いや適当に挨拶しておこう」 と言う人もいれば、あまりの懐かしさに思わずハグしたい人もいるでしょう (でも人と人の関わりはお互い様ですからね、相関関係も有るでしょう) やはり答えになっていませんね?まあそれが私なんです、と理解してください?

nobound
質問者

お礼

 ありがとうございます。  確かに理解したい人とどうでもいい人はいますが、関わりたい人と関われず、関わりたくない人と関わらないといけないという、関係の自己矛盾もあって、この質問をしている気もします。

  • chipel
  • ベストアンサー率0% (0/7)
回答No.4

相手の考え方を理解するという事です。 まぁすべて理解するなんて事はまず無理なので、相手を認める・許すって事になると思います。

nobound
質問者

お礼

 ありがとうございます。相手の考えを理解するという意味では、AIも人間の考えなら理解しそうですが、確か本では、AIは東大の現代文の読解能力がないそうです。読解力とか共感力も理解力の重要要素かもしれません。

  • nagata2017
  • ベストアンサー率33% (6878/20342)
回答No.3

相手が 友人 恋人 取引相手 などにより理解の範囲がちがってきます。 それを使い分けるのが世慣れた人というのでしょうか。 私にもかなりむつかしい質問ですね。 ネット上だけのおつきあいというのもありますからね。 恋人だったら いろいろなことの好き嫌いまで知ることが必要でしょう。 友人 〇〇というゲームが好き。というだけでじゅうぶんなときもあります。

nobound
質問者

お礼

 ありがとうございます。一般的にそうですね。「分かり合えないから分かろうと努力する」という本などもありますが、どうせ分かり合えないなら、別に分からなくてもいいやという立場もあって、いろいろ複雑です。逆に難しいのは嫌いな人を理解することの必要性だったりします。

  • g27anato
  • ベストアンサー率29% (1166/3945)
回答No.2

哲学に相手を理解するという概念は不向きかと思います。 「相手」というより、相手の「思考構造」と考えたほうが理解しやすいかと思います。 人付き合いが少ないということですから、思考構造の多様性をまだ把握できてないのではないでしょうか。 他者の思考構造を知る機会が少ないために理解する為の「経験による知識の積み重ね」が足りないのでしょう。 他人との接触の機会を増やして、「人」の多様性を学んでみて下さい。 最近のAI技術が人間の思考構造を参考に、 その処理能力を利用して様々な無数の情報を短時間に送り込むことで「経験の積み重ね」と同じ効果を得ながら人間以上の能力を発揮しています。 この回答が何を言ってるのか理解できなければ、AIの仕組みを少し勉強してみれば参考にできるかもしれません。 貴方が知りたいと思ってる事は、哲学とは全く別な領域の「人」そのものです。 「人」を知らずして「人」も「付き合い」も「哲学」も理解することはできません。

nobound
質問者

お礼

 ありがとうございます。人を知るはやはり経験からなんでしょうか?一応ご回答の理解はできますが、処理能力の進んだAIは、私の気持ちを理解できるのだろうかという疑問はあります。できるんだったら、もしかしたら、AIカウンセラーなどもあるかもしれません。

  • NOMED
  • ベストアンサー率30% (522/1725)
回答No.1

カテは心理学で、ご質問内容は哲学なのでしょうか? 哲学なら、相手の行動をマネてみて、体感するしかないと思います

nobound
質問者

お礼

 ありがとうございます。他人を理解するは、心理学か哲学かよくわからなくなっていますが、相手の行動をマネてみるということですね。確かに相手の行動パターンをイメージするだけでも、少しは理解でき得るかもしれません。