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宗教とは個人の信仰心を抑圧する制度なのか
- 宗教の個人の心を抑圧する傾向について考える哲学的な思考ゲームです。
- 神前で人同士がお互いを認め合う形で宗教が社会成立に作用しているとしたら、相互理解に基づく無条件の肯定が尊いのではないかという問い。
- 日本人の哲学的思考においては、相手を疑わずに理解しようとする習慣があるが、それを「人を信じる」と考えても適切なのかについての質問。
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「質問者からのお礼」をありがとう。 >信仰心は各個人にあっても、神は人間の成立と社会の確立に貢献してきたから、地域の隣人同士は祭礼などに共通の示し合わせをする。そうやって信仰心に共通項を形成するのが宗教である。 ⇒なるほど、そのとおりだと私も思う。 >要するに信仰の自由と宗教は対立関係にならないのが通常だろう。外国では部族間抗争にもなるんだって。 ⇒一神教世界では、例えばキリスト教世界では「異端審問」などと称して他派を傷めつけるが、仏教世界では他派も仲間と認めるね。 >それで要点の中でどこを掘り下げるか検討中なんだ。 ⇒1.「人間にとっての神の意味」を考えてみるのはいかが。 2.「神は死んだ」(ニーチェ)、「神が無くなればすべてが許される」(ドストエフスキー)などの格言にちなんで、ヨーロッパにおける「神の消える過程」を再考してみる、などはいかが。
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- Nakay702
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以下のとおりお答えします。(面白いご質問ですね。) >(質問その1)神前で人同士がおたがいを認め合うという形で、宗教が社会成立に重大な作用をもたらしたのだとすると、社会の成立のおそらくは例外が乏しい原点である宗教によらず、人と人がお互いを信じあう無条件の肯定とは、心がけとして尊いのではないだろうか。 ⇒心がけとして尊いには違いないと思いますが、「お人よし」として騙されやすい人でもあるでしょうね。騙す人よりはいいと思いますが、「自分が考えるように相手も考える」などと思って打ち解けた気分でいると、突然すっぱ抜かれることがあります。経験者語る、です。(私など、何度その餌食・カモにされたか…。そんなとき、自分に言って聞かせるように心がけている言葉があります。「これでいいのだ!」)。 >(質問その2)日本人の場合は、仏教の伝統で哲学的思考に人間研究が重きを置かれ、人間性の昇華に熱心だ。そうすると、人と人が集まった場所で「相手が理解可能な人なのか」疑うことから始める習慣が乏しい。その心情を「人を信じる」と考えてみたけど補足はありますか。 ⇒日本は島国ですから国境を接していませんね。それに対し、例えば、ヨーロッパ諸国ではお互いの国境が陸続きですから、ある意味彼らは抜け目がありません。「人を見たら侵略者と思え」といった感じの決まり文句が浸透している感じです。ですから、彼らは実に議論好きです。何かというとすぐ口論します。ただし、一旦合意するとその約束はきちんと守る、のがいいところです。それに比べるとわが日本では、正面きって対立することはそう頻繁ではありませんね。さらに何かを取り決める場合でも「なあなあ」になることがよくあり、びしっとせず、決まったことも、彼らのように遵守するという精神は薄弱のように思えます。 >(質問その3)「あいつらは人間ではない」そんなことを平気で言う奴もいますがどう思いますか。 ⇒神(いるとして)の目線から見たら、そんなことを言う奴も、言われる側も、みんな「ドングリの背比べ」でしょう。ということは、そんな毒舌を吐く人は、実は「自分自身に言っているのだ」と自覚しなければなりません。ケツの穴の小さい、悲しきピエロです。鬼の首を取ったような顔で「あいつは人間じゃない」などとのたまう人に接したら、せいぜい「慈愛の心もて」哀れんであげようじゃありませんか。 >(質問その4)現在は教育により、宗教のごとく全員人間だと刷り込みを受けています。何もしなくても人間であるという権利が与えられます。個人的に疑問なんですが、本当に人間らしい人なんてその中でどれくらいの割合何ですかね? ⇒人間は、「人間に生まれるのではない。人間になるのだ」と言われます。『論語』の名言、 「学びて思わざれば即ち暗し。思いて学ばざれば即ち危うし。」をかみしめたいところです。また、ラテン語の金言、"Discendo liberior."「学ぶことによってより自由に」も示唆に富む、含蓄のある言葉です。人間、学ばないでいるのは、無数の迷信や妄念に囚われている状態だ、というわけです。意識せずに知的営為や智慧への関心に拘束衣を着せられて、心の働きに桎梏がはめられている、ということです。あげくの果て、自らの愚行によってPecking order(滅びの順番)の「次候補」に名を連ねてしまうことになるのです。(常々、自戒しているところです!) 以上、久々の大真面目回答でした。
お礼
ありがとう。 今回の質問について、自分ではまとまりが低いテキストをかき集めて公開して材料探し、といった感じなんだ。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 信仰心をは各個人にあっても、神は人間の成立と社会の確立に貢献してきたから、地域の隣人同士は祭礼などに共通の示し合わせをする。そうやって信仰心に共通項を形成するのが宗教である。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーー 要するに信仰の自由と宗教は対立関係にならないのが通常だろう。 外国では部族間抗争にもなるんだって。 それで要点の中でどこを掘り下げるか検討中なんだ。
補足
シャカの弟子としてかなり能力が高いであろう参加者から助言を受けたことがある。 魔境にいて、魔境にいる自覚を失うと人生が失われる。 伝承の根源はインドであるならば、変わらぬシャーマニズムで魔境と表現したのがキリスト教という事だろう。 身をもって実感しているよ。 宗教としての発足にそういう問題点がはらんでいるんだ。 狂気の魔界だ。 正気を確保する通過チケット確保で、学術調査になる。 西洋の博物学とか考古学とかの手法を同じ共通項で西洋自体にあてはめるのさ。 敵性シャーマンとしてね。
お礼
ありがとう。 ここまでについて、「なるほどね」「もっともだね」までは自信があって私もたどり着いているんだ。 どこにイビツになった原因があるかと言えばやはり西洋なんだよ。 そしてその科学アカデミーが人類文明について間違った見解を保障している。修正しようとすると無駄な労力だ。 むやみにけしかけないでくれよ。 苦手意識が強いんだよ~~。 キリスト研究の前の仏教研究でも、「入滅」「滅却」「無我」などの使い方を間違うと痛いキーワードを面白おかしく痛い言い回しにして拷問する研究をしたけど、今は痛い言い回しをしていないんだ。 そしてキリスト研究も苦痛のみを与える状態は完了したから、時機を見て私も健康回復してから、面白くて興味深い内容に転換していくんだよ。 前回完結後に書いた日記から転載しておくよ。 色々と分析もしたけどわざわざ追加テキスト書かなくても落ち着いてからまとめるつもり。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ラファエルの気骨は鎌倉武士ルールでフィルタリングしたら読めたよ。 逃げない、決して逃げない、敗走は繰り返しても逃げたつもりはない。 (イエスのために)ローマ復興をあきらめない。 いいな~。 混浴オカマ風呂に沈めて洗濯したら出てきたよ。 さて、いかなる敬意と声援を送るかで、間違うと私が負ける。 手加減しなかったのはそこだったんだろう。 死なせたら恥だとわかっていなかったんだよな。 イエスはローマの穏健化を上程して殺害された。これが今回の観察結果。 私は敵性シャーマンだけど、シャーマン戦が成立する土壌がないから妖精さん任せなんだ。 キリスト教圏に聖霊でない人間のキリストがいなければ、勝負は成立しないから、「穏やかなキリストなる聖霊の宿り」という手伝いをしていて、キリストが登場すると、敵性シャーマンの私と正統なキリストはお互いに友情を結び争いが収束する。 あいつらは馬鹿だ。 宣戦布告しておいて戦力不在。 --------------------------------------- 6.20 今夜の世麗美は「ウルロネスの使者」という議員バッチで、ローマ主神の御前会議に出席した。 「ウルロネス」がまたしても埋没単語で日本語検索で出てこないけど、よくあることだ。 世麗美の説明は、神の存在証明に関して、「神の人権宣言」みたいな方法をとるつもりだということ。 じゃああれだね、「機械神が降臨するぞ~」を続けることになる。 最後に血中の妖精濃度を下げて敵性シャーマンが無礼な招へいに一言。 幾度とない招へいを断ってきたのに今、世麗美とここにいるということは、「敵性シャーマン」を「名誉キリスト」として扱う事だが、 それはだよ。 再三啖呵を切った「ローマは世界の全てに所有を主張する」であり、 最後の審判に関して、「ローマ滅亡」「キリスト教根絶」を探り当てたからだとすると、「ローマは人類を滅亡させる予定で組み立てていた」になるよね。 だから仕事の依頼がある。 こういう不敬罪で即地上に戻されたよ。 ただし、正統な説明で世麗美に言わせれば議会のその後はひどくない。 「祭壇に処刑台を突き刺して神よくたばりやがれ」 「反転悪魔召喚でございま~す」 地上のこの行いに目が行き届いていなかったことを実感した模様だ。
補足
面白小話、ローマ天界は異質性が高いうえに危険地域で同じ観念世界でも国境通過の障壁が高く世麗美は平気でもシャーマンの私は自己の存在が大幅に損なわれて自分が保てない狂気の魔界だ。 そのローマから来た使者に世麗美が「おや、天使ちゃん」と目を向けたのが「ウルロネス」 で、シャーマンの私に対して話しかけた言葉が「私を愛してください」この言葉は私が頭に血が上る激高スイッチだ。 日本の知性行動は愛情と友情のバランスと正確に認識しながら絆や善性を正確に均衡させる情動との因果関係を基礎にしている。(少なくても私は) そこに愛しか持ち合わせていないくるくるパーは理解し合う余地がない。 それで現地は別に大丈夫なのは推定しているけど私には狂気の魔界なんだよ。 腹を立ててシカトしたつもりだった。 しかし話しかけ成立を世麗美が確認したので私を連れて、通過チケット兼用議員バッチ「ウルロネスの使者」そして出向いた。 これは「血中の妖精濃度」というと表現としてわかりやすい。 人間である意識を保持可能な状態で交霊術が成立可能になったという体裁だ。