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檸檬を本屋に置いてくる
高校生です。 梶井基次郎さんの『檸檬』のあるシーンで 簡単に言うと、丸善を檸檬で爆破させる想像をしていましたよね。 「檸檬を本屋に置いてくる」 という行為は、つまり何をすることを意味するのでしょうか? 実際にはできないことを頭の中で妄想して鬱憤を晴らせ、という感じでしょうか? 言葉がだらしなくてすみません。 これくらいしか思いつきません。
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文学というのは「楽しい」という言葉を使わずに楽しさを伝えたり、逆に「怒った」という言葉を説明するために何を言って、どう動いたのか、周囲の人がどう反応したのかを描くのです。 「得体の知れない憂鬱」がどれほど得体の知れないものなのか、「レモンと出会ったときの感動」どんな感動だったのか、その対比を描いているのです。おはじきを舐めたりする奇行は「精神衰弱」という言葉を使わずに、精神衰弱者の取りそうな行動を描いているのです。それとの対比で、檸檬の色鮮やかさや芳香によって平常な精神状態を取り戻す様子は、常人には描けない心理描写がされていて、それが作品として評価されたのです。 登場人物自身が「檸檬を爆弾に見立てた」という意識がありますので、反社会的な危険人物ではないことが分かります。悪戯とも言える程のことのない空想と奇行で自分の平常心ほ取り戻したのです。
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- hue2011
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読んでいればわかると思うのですが、あの主人公は八百屋にあった檸檬を発見し購入しようと考えたときに何を考えていましたか。 それと、丸善をどういう場所だと記述していますか。 本屋だなんてひとことも言っていないでしょう。 >赤や黄のオードコロンやオードキニン。洒落しゃれた切子細工や典雅なロココ趣味の浮模様を持った琥珀色や翡翠色ひすいいろの香水壜こうすいびん。煙管きせる、小刀、石鹸せっけん、煙草たばこ。私はそんなものを見るのに小一時間も費すことがあった。そして結局一等いい鉛筆を一本買うくらいの贅沢をするのだった。 そういう場所だという言い方をしています。決して本屋とはみなしていません。一種の別世界と考え、しかし自分はそれと同レベルのものでなくもっとみすぼらしいもんだとかんがえているのです。 そういう人間が、みすぼらしい貧乏くさい八百屋で檸檬を見つけるのです。 この檸檬は >その檸檬の冷たさはたとえようもなくよかった。その頃私は肺尖を悪くしていていつも身体に熱が出た。 なんです。そして >私はもう往来を軽やかな昂奮に弾んで、一種誇りかな気持さえ感じながら、美的装束をして街を闊歩した詩人のことなど思い浮かべては歩いていた。 のです。で、 >私が最後に立ったのは丸善の前だった。平常あんなに避けていた丸善がその時の私にはやすやすと入れるように思えた。 ということになるのです。なぜですか、檸檬を持っていたからです。ところがこの超一流の輸入商品の店にいざ入ると、 >憂鬱が立てこめて来る という目にあうのです。アングルの画集なんかにおしつぶされそうに感じて、そうだ、と気が付くのです。さっきまで彼を救ってくれていた存在を。 >軽く跳りあがる心を制しながら、その城壁の頂きに恐る恐る檸檬を据えつけた。そしてそれは上出来だった。 つまり高級品、彼には到達できないようなものの上に、彼を救った檸檬を置いたのです。 一種の爆弾を置いてきたような気になり、 >十分後にはあの丸善が美術の棚を中心として大爆発をするのだったらどんなにおもしろいだろう と考えます。 「そうしたらあの気詰まりな丸善も粉葉こっぱみじんだろう」 ここまでしっかり記載されているのですが、どこを読んでいるのでしょうか。
お礼
回答ありがとうございます。 すみません、無数に積み重ねた本の上に檸檬を置いたという描写が印象的なあまり本屋と書いてしまいました。 主人公の心情をもんもんと考えているうちに視野の狭まった疑問でつまづいてしまい、衝動的に質問をしに来てしまったのがいけなかったです。 もう一度作品に向き合って出直してきます!
お礼
とてもわかりやすく丁寧なご説明本当にありがとうございます。 なるほど、自分がこの作品を初めて読んだ時に 主人公の感性や想像力に少し危うさや不可思議さを感じたのはそういうことだったんですね。 またまだ理解不足なので、貴方様の回答を参考にしながら何度も読み込んでみようと思います。 ありがとうございました。