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日本の銭湯はなぜ混浴だった?
何かの歴史書で、幕末に日本に来た外国人が日本の銭湯では、入口・脱衣所は男女別に別れているが、浴室内は混浴である事を知り、「何という野蛮な国か」 と驚いたとありました。 そのため、恥辱に感じた幕府から御触れが出され、今後は混浴は禁止する、となったらしいです。 その頃は、銭湯によっては浴室内に一応の仕切りはあっても形式だけで、事実上は混浴になっていたようです。 とても不思議な感じがするのですが、浴室内が男女混浴なら、入口や脱衣所も一緒にすればいい、と思うのですが、わざわざ分けたのはどういう理由からでしょうか? それと、日本で銭湯が歴史上登場したのはいつ頃からでしょうか? また、初めから混浴だったのでしょうか? その頃の若い女性たちは混浴が平気だったのでしょうか? 愚問ですが、お教え下さい。
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質問者が選んだベストアンサー
こんにちは。「銭湯 歴史」で検索すると簡単に資料が手に入りますね。 参考URLは最低熟読の必要ありでしょうか。(笑) しかし、外国人の一言にたまげて自国の文化を否定するとは、当時から西洋かぶれはあったようですね。 今でも混浴の温泉ってありますよね。 現地の人は何とも思わず普通に入ってるけど、観光客が入ってびっくりするそうです。 その外国人もそういう感覚を抱いたのでしょう。 脱衣所が別なのは、盗難防止の意味もあるかもしれません。 和服では女性の衣類は手のこんだ物が多く、着物仕立て自体が階級を越えた?結構なアルバイトとして流通?していた位ですので、盗難の対象にもなりやすかったかもしれません。 まあ、女性の泥棒もいたでしょうけど男性に比べれば少なかったんじゃないかな?? ついでに完全に邪推ですが、全裸の女性そのものよりも女性が服を脱ぐ姿の方が、性的に刺激があるって可能性もあるかもしれませんね。 ストリップショーなんてのも実在するわけですから。 もし最初から裸の方がいいなら、成り立たないですよね。
その他の回答 (7)
7番さんの回答で思い出しましたが、古代オリンピックは男性のみが出場し、素裸で競技してたとか。 それを見学するのは、男性は当然として、未婚の女性もOKだったと聞きます。 ローマ時代の有名なカラカラ浴場(Terme di Caracalla)も入口は左右対称に男女別だったようですが、直径34mの円形浴槽は中央に1つですから混浴だったのでしょう。 現在でもドイツの「BARDEN BARDEN」の温泉郷では、ローマ風呂のフリードリッヒ浴場は裸で男女混浴ですし、カラカラ・テルメのサウナ風呂は、男女一緒に全裸で入りますから、慣れてしまえば裸も恥ずかしくないのでしょう。 ヨーロッパでも男女に限らず、裸の付き合いがなくなったのはキリスト教の影響のようですから。 私も男性ですが、女性の素っ裸より薄着の方に欲情を感じますが、5番のかたも書いてますが、一般的にはそうかと思いますよ。
お礼
古代オリンピックの見学は、未婚の女性もOKだったんですか。 男性のみ見学が許されるように思っていたので、勉強になりました。 既婚女性はダメなんでしょうね。 この辺、性に対する概念が違うので、なかなか興味深いですね。 それと、キリスト教的発想で混浴がなくなった、という事を考えると、混浴風呂というのは、人間にとって自然の姿なんでしょうかねえ。 貴重なご意見ありがとうございました。
- wagonp
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直接の回答では、無いのですがご参考までに。 昨年ドイツに出張した時に温泉(サウナ)に行くと そこは混浴で女性も男性も若い人もそうで無い人もみんなすっぽんぽんでした。 そこで聞いた話ですが、古代ヨーロッパでは、混浴が当り前だったが現在は少なくなったと言っていました。(宗教上?) しかし、田舎(日本でも)ではまだ混浴の習慣が残っているみたいです。 全員すっぽんぽんなので恥ずかしいとは全く感じなっかたですヨ。
お礼
ご回答ありがとうございます。 驚きました。 ドイツでも混浴があるんですね。 洋の東西を問わないんですね。
- asuca
- ベストアンサー率47% (11786/24626)
この本をい前科って読んだことがありますが結構詳しく乗っていますので一酔うんで見てはどうでしょう。 http://www5c.biglobe.ne.jp/~moritaka/sub07.htm にも解説がありますが「湯女」が足利時代に登場して以来の習わしだったそうです。
お礼
ご回答ありがとうございました。 ご紹介頂いた本、一度読んでみたいと思います。
- nozawa2002
- ベストアンサー率11% (84/731)
脱衣という行為は、混浴とはまた別の恥ずかしさがあるから脱衣場は別になっていたのでしょう。 ちなみに現在も一部の温泉で混浴が残ってますが、たいてい脱衣場は別です。 混浴が平気かというのは単なる慣れの問題でしょう。 例えば、ヌーディストビーチで裸になっても気にしないとか、ドイツの温泉で混浴でも気にしない、というのと同じだと思いますよ。
お礼
ご回答ありがとうございました。 脱衣という行為には別の恥ずかしさがある、というのは、理解できました。 たしかにそうですね。
1東京都浴場組合HPに図入りの詳しい解説があります。 2ご質問にある「外国人の指摘」のことも記載されています。 http://www.1010.or.jp/menu/history/rekishi03.html
お礼
ご回答ありがとうございました。 なかなか興味深いサイトを拝見しました。 でも、中の挿絵をよく見ると、男女とも一糸まとわない裸の状態だったんですね。 説明では室内は暗くて、いかがわしい行為はし難かったようですが、現代人の感覚では想像できないですね。 銭湯に行くのが、恥ずかしいような、嬉しいような ・・・ でも当時から混浴を禁止させようという幕府・政府の命令があったにもかかわらず、どうして明治23年まで一般には混浴が続いていたのでしょうかね。 男性はともかく、若い女性たちからは敬遠されると思うのですが ・・・
- Tsan
- ベストアンサー率20% (184/909)
なんとなくの回答で申し訳ないです。 当時の外国人が野蛮だと感じたのはおおよそキリスト教的禁欲思想の影響だと思います。 都市部ではわかりませんが当時は結構フリーセックスだったらしいし、男女7歳にして同衾せずなんてのも庶民レベルでは通じる話であったかも怪しいです。 入り口を分けた理由と登場時期、女性の気持ちは不明です。
お礼
ご回答、有難うございます。 たしかに当時の性に対する概念は、今とは全然違っていたようですね。 地方に行けば、「夜這い」 というような風習があったりして。 おおらかな時代だったんでしょうねえ。 野蛮と感じたのはキリスト教的禁欲思想の影響 ・・・ まさしく、おっしゃるとおりだと思います。
男女混浴とは言え、湯気などで暗い上に男は湯褌、女の人は湯巻などを着て入りましたから、別に恥ずかしくなかったと思います。 現在のプールを想像していただければ。 入り口が男女別なのも、着替えの時は裸になるためです。
お礼
早速のご回答、有難うございました。 なるほど、今のプールのような状態だったんですねえ。 そうなると色々な疑問が解消されるように感じます。
お礼
ご回答ありがとうございました。 奈良時代には風呂は宗教活動のひとつだったんですねえ。 興味深いです。 それと、裸を見られるより、脱衣行為を見られる方が恥ずかしかったのでしょうね。 何となく分るような気がします。