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「日本」という国家の歴史について
「日本」という国家の歴史について色々と疑問があります。 (1)日本国の歴史は2600年ほどあるといわれます。 神武天皇の即位を元にした皇紀という暦も存在するようですね。 しかし、「国家」という概念が「国民国家」という近代的な概念に由来するものであり、古代に「日本国」という国家意識を持っていた人など皆無であったと思います。 つまり、「日本国」という「国民国家」が成立したのは明治以降の話であって、それを神武天皇にまで話を広げて、「日本国」の歴史は2600年以上あるというのは大変無理のある議論だと思うのですが、どうでしょうか? (2)「日本国」では天皇が断絶することなく続いていた(つまり天皇の連続性)のだから、「日本国」は皇紀1年から続いているという意見があります。 しかし、天皇という地位が存在することと、それが実際に主権を行使していたことは別の話ですよね。 日本史を顧みても、蘇我氏・藤原氏・上皇・武士政権などなど、天皇以外が主権を行使していた時期はいくらでもありました。 鎌倉幕府~江戸幕府末期の武士政権の頃など、天皇は全く政治的権力を行使していなかったといえます。 別の国の例として、神聖ローマ帝国を例に挙げます。 神聖ローマ帝国が正式に解体したのは1806年ですが、実質的には1648年のウェストファリア条約の時点でほぼ解体していました(実際にはもっと前から衰退ぎみでしたが)。 1806年まで続いていたのは形式上の話で、1648年には解体していたといってもよいでしょう。 天皇制も同じ話で、現代まで存続してはいますが、武士政権が成立して以降は権力として死に体なのですから、天皇を主権とする「日本国」は、実質的には武士政権成立の時点で滅亡していたと思います。 明治以降になってからは再び復活したので、天皇を主権とする「日本国」は一時的に復活しましたが、戦後「象徴」になってからは権力としては再び解体しました。 このような理屈から、天皇を主権とする「日本国」は皇紀1年から現代に至るまで存続していたとは到底いえないと思うのですが、どうでしょうか?
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- rearerugen
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(1)天皇を正統性の根拠とした権力体が長期にわたって存続していて、世界に類をみない歴史を語りうるというロマンあふれる話ですので、そこに近代科学的な概念の明確性を持ち込んで論理的に云々というのは、正直野暮ったいことだと思います。 素直に神話とつながりうるご皇統が存在していることに喜びを覚え、世界に自慢すればいいのであって、そこにいちいち学問的と称してツッコミを入れるのは美しくない気がします。友達なくします。海外の人がケチつけるのは、うらやましいからであって、彼らも我々のような歴史を持っていたらこれ幸いと全力で自慢してきたはずです。 お高くとまって上から目線で海外で日本の歴史ロマンを自慢しましょう! (2)まず主権という概念が近代思想から生まれたものですので、主権が天皇にない時代があったから連続性がないというのでは筋が通りません。 あと神聖ローマ帝国こそ後付けで歴史家が呼称したもので、当時のドイツは政治的統一は全くありません。全く「国」と呼べる根拠がありません。有力諸侯の封建的契約関係で塊となって動いたり動かなかったりしています。だから崩壊というのも歴史家が勝手に言っているだけ。1806年というのはローマ皇帝位がドイツの有力諸侯ハプスブルク家からナポレオンに移っただけです。これに神聖ローマ帝国などというかっこいい名前を付けている時点で、ドイツ人の自慢したい病が見えてきます。もし皇帝が世襲でずっと1000年ぐらい続いていたら全力で自慢していただろうし、もしそれを「近代国家ではないから国と呼べない」などとケチつけようものなら必死に反論してきたことでしょう 武士政権のとき、天皇は権力として死に体だったというのもあくまで歴史家の有力説にすぎません。いわゆる武士政権もその権力の正統性を源氏や平氏といった天皇との繋がりを表す姓を権威として立ててはじめて権力者足り得たことをお忘れか?法的正当性の根拠として日本は天皇を常にトップに据えていることは疑いようもありません。日本国憲法においても天皇の名の下に公布されていなければ一体誰が従うでしょうか。自然法や自然権などの西洋的理屈は日本おいては全く空理空論です。 天皇を権威の頂点とした権力統合体が数千年の長きにわたり続き、それが世界で類をみない奇蹟のような存在であることは疑いようもないのです。自信を持って自慢しましょう。 ただ2600年というのはさすがに無理でしょうが、そこはロマンです。日本以外の国はロマンとしてでも歴史的連続を紡ぐことができません。かわいそうに(笑)。
- jkpawapuro
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1 日本国」の歴史、もっといえば国の歴史は別に国民国家の歴史だけではありませんよね。 現代風に言えば主権領土国民がそろえばそれはたとえ独裁国家であろうと国として成立しているわけですし、 歴史的に言えば一つの集団がそこに文明を築き暮らして居ればそれは国(あるいは王朝)の歴史でしょう。 国民国家の歴史ではありませんが、国の歴史としては当然に古墳時代まではさかのぼるのではないでしょうか? 2 大和朝廷が王権を持ってずっと君臨していたというのは違うでしょう。 王室がずっと存続していたのは疑いようもありません。 自分の使ってる言葉・単語を一つ一つ精査してみてはどうですか? 単語が10種類あれば10種類すべて少しずつ意味(範囲)が違うわけですから。
- tokrenf
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そりゃあ、本当の意味での天皇を主権とした日本国自体はそれほど長くはないでしょうね。後世の人になればなるほど天皇の権威を利用した事実上の権力者はたくさんいますから。 日本国に、2600年も歴史があるのかですが、多分無理です。考古学的な部分と文字の記録を摺り合していっても縄文時代までいくのは無理でしょう。ただ、日本国の名称が載るのは中国史書なら旧唐書からなんですね。朝鮮半島の史書になるともう少し新しい時代になります。日本書紀はあくまで、天皇家中心の支配の正当性・正統性を主張するもので、史料批判がかなり必要じゃないでしょうか。いつから日本を名乗ったのか解りませんが。 歴史をどんなふうに見るかは人の見方次第ですけど、私自身は万世一系や皇紀2600年というのは大本営発表であり、誇張があると思いますね。実際はもう少し短いと思いますよ。万世一系なら応神天皇や継体天皇・天武天皇など、それぞれの先代との不自然な関係をどう説明するべきなのか知りたいですね。
- tyr134
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現代の歴史に対する考え方は2つに分けられます。 一つ目は科学・学問としての歴史です。 もう一つは国家としての歴史,言い換えれば「正史」と呼ばれる歴史です。 皇紀~年というのは,後者,「日本の正史」と呼ばれる歴史です。 「正史」というのは,ある国の為政者が権力の正当性を主張するために編纂された歴史のことです。 特徴としては,国家の成り立ちとして神話や伝承などの現代科学の知識からすれば明らかに「フィクション」とわかるものも正当性の根拠として組み込まれることです。 また,為政者にとって都合の悪いことは当然無視されたりねじ曲げられたり捏造されたりしています。 これはやはり「正史」の目的が為政者の権力の正当性を主張するという目的上の必要性です。 >つまり、「日本国」という「国民国家」が成立したのは明治以降の話であって、それを神武天皇にまで話を広げて、「日本国」の歴史は2600年以上あるというのは大変無理のある議論だと思うのですが、どうでしょうか? 日本の正史としては最も古いものに『帝紀』というものがあります。 天武天皇の治世である6世紀末頃に編纂されたと言われており,後に『古事記』や『日本書紀』の基礎となったと考えられています。 『古事記』や『日本書紀』といえば,日本の正史に欠かせない基礎史料です。 神武天皇より今の皇室が続いてきたという説も,この2つの書に拠っています。 つまり,「正史」としては2600年以上続いてきたと述べているわけです。 >しかし、天皇という地位が存在することと、それが実際に主権を行使していたことは別の話ですよね。 確かに,鎌倉時代前後から武家が力をつけて実際の権力を行使するようになっていきました。 しかし,その「権力の行使」の正当性は「天皇から任された」という理由に拠っていました。 具体的には,天皇より征夷大将軍に任命されることに拠っていたわけです。 神聖ローマ帝国についても,同じような構図はあります。 いわゆる,「王権神授説」というやつです。 神聖ローマ帝国の帝冠はローマ教皇から授けられます。 それによって,権力が神より授けられたという正当性を得るわけです。 まぁ,権力を得るには建前が必要で,それが天皇や教皇の存在であったり,正史であったりするわけです。 以下は参考に科学としての歴史についてです。 歴史学というのは、基本的に誰かが書き残した文章記録から、「過去にあった出来事」を明らかにしようという学問なんです。 しかし、この「誰かが書き残した」というのがくせ者で、「誰かが書き残した=真実そのもの」とは限らないからです。 さらに、この「誰かが書き残した文章から、過去に○○という出来事があった」と解釈する人が居ます(これが主に歴史学者です) これを分かりやすく言うと 1・誰かが書いたのだから、その時点で書いた人の主観が入る。(一次史料) 2・そして、その情報を読んだ人(研究者)の主観が入る。(二次史料) 3・最後に、その研究者の論文を読んだ人の主観が入る。(私) 「真実(出来事)→一次史料→二次史料→私」、という風に情報が加工されていくことになるんです。 言い換えると、この順番でそれを書いた人・読んだ人の「主観」が入る。 果たしてこれは(科学で必要とされる)「客観」的なのかという疑問が提示されています。 これは主に「歴史哲学」と言われる分野なのですが、悲しいかな日本ではあまりはやりません。 >このような理屈から、天皇を主権とする「日本国」は皇紀1年から現代に至るまで存続していたとは到底いえないと思うのですが、どうでしょうか? 科学(歴史学)の面から言えば,皇紀や神武天皇というのは創作である可能性が高いと思われます。 しかし,「正史」としては現在の天皇家の存在意義の根拠となっています。 とまぁ,「科学としての歴史」と「国家や権力者の為の歴史(正史)」があるというわけです。
>「国家」という概念が「国民国家」という近代的な概念に由来するものであり、古代に「日本国」という国家意識を持っていた人など皆無であったと思います。 国家を国民国家と定義すれば、仰られるとおりです。 「国という意識」に書き換えるとやや違ってくるのではなのでしょうか。 論語やらなにやらで孔子が国と言っているのは、現在でいえば村に相当します。 国をどう定義するかで変わるでしょう。 有名な金印の「漢委奴国王印」の国をどう考えるかです。 室町時代に足利義満が「日本国王」という言葉を使いましたが、江戸時代に、国というのはあくまでも大名領のことを指しました。 藩というのは、全くと言っていいほど使われませんでした。 藩を公文書で使うようになったのは明治以降です。 通常は○○家と言っていました。 例えば、加賀は前田家の領国で、庶民は前田さまのお国と言っていました。 お国訛は通行手形などという言葉もありました。 今でも年寄りは「お国はどちらですか」と聞いて「広島です」とか「青森です」とか答えていませんか? >「日本国」の歴史は2600年以上あるというのは大変無理のある議論だと思うのですが、どうでしょうか? 「現在の日本国」の、と言葉を補えば余り無理はないのではないのでしょうか? >天皇という地位が存在することと、それが実際に主権を行使していたことは別の話ですよね。 この点が、外国人に説明するときに一番判り難い点です。 幕末に来日した諸外国では、大君(Tycoon)と帝(Mikado)と呼び分けて使っていました。 >鎌倉幕府~江戸幕府末期の武士政権の頃など、天皇は全く政治的権力を行使していなかったといえます。 征夷大将軍というのは、あくまでも朝廷の家臣です。 家臣が朝廷の命に従って列島内の統治を請け負っている、ということになっていました。 幕府と言う言葉も戦場の参謀本部を意味する言葉です。 実力のない会長をやりての社長が担いでいるようなものです。 結果として、幕末に大政奉還という儀式が行われました。 薩長がクレームを付けたのは、外交権までは征夷大将軍に委任していない、という点でした。 幕府が締結した通商条約は越権行為で無効であるという主張です。 明治に入って天皇が東京に移りましたが、あくまでも行幸(即ち旅行)です。 まつりごとを行う紫宸殿は移しませんでした。 現在も京都御所に紫宸殿は残されたままになっています。 >戦後「象徴」になってからは権力としては再び解体しました。 現在でも、内閣総理大臣は国会の議決により指名され、その国会の指名に基づいて天皇によって任命されます。 各大臣は認証を天皇から受け取ります。 天皇が辞令に親署するという形式で認証が行われます。 新任の特命全権大使や特命 全権公使は、派遣元の元首からの信任状を、天皇に対して捧呈します。 内実はどうあれ、天皇は一定の権限を持っています。 >天皇を主権とする「日本国」は皇紀1年から現代に至るまで存続していたとは到底いえないと思うのですが、どうでしょうか? 昭和21年11月2日までは存続していたという理屈は成り立ちます。 さりとて、皇紀2600年云々は如何なものでしょうかね~ 神話でやるか史実でやるか、ということでしょう。 史実も定義次第では、縄文時代までさかのぼりますから8000年ということになりますかね~ もともと、日本のように自然発生的に国が出来上がった国に対して、ヨーロッパの歴史を基準とした建国だの独立だのという議論をすること自体に無理があります。 国だの国家だのという概念もヨーロッパを基準としたものです。 西アジア一帯で、アフガニスタンとかカズフスタンという際の末尾のスタンは○○が住んでいる地域という意味でです。 概念としては境界線のはっきりしない縄張りという、広大な大陸特有の概念です。 ペルシャもオスマントルコも、せせこましいヨーロッパのようにいちいち線引きなどしていませんでした。 現在イスラム過激派が自由に往来しているのもこのためです。
- hekiyu
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"「国家」という概念が「国民国家」という近代的な概念に由来するものであり、 古代に「日本国」という国家意識を持っていた人など皆無であったと思います。" ↑ 国家を国民国家という意味に解するなら その通りです。 西洋でも、ルターの宗教改革を契機として 国民国家概念が出てきたのです。 日本での国民国家出現は明治以降です。 ただ、日本国ということなら、壬申の乱 からあったと言えます。 ”天皇という地位が存在することと、それが実際に主権を行使していた ことは別の話ですよね。” ↑ 天皇というのは ・統治権力者 ・宗教の司祭者 ・象徴 の意味を併せ持っている存在です。 統治権力者だけの喪失をもって、連続性を否定するのは 正しくないと思います。 それに、例えば江戸時代でも、将軍任命権は天皇に ありました。 統治権が皆無になった訳ではありません。 現代でも、総理大臣や最高裁長官の任命権は 天皇にあります。 ”このような理屈から、天皇を主権とする「日本国」は皇紀1年から 現代に至るまで存続していたとは到底いえないと思うのですが、どうでしょうか” ↑ 学術上はその通りです。 天皇の存在だって、確認されているのは1500年ほど に過ぎません。 ただ、歴史というのは物語なのです。 国民共通のストーリーが歴史なのです。 どこかの国のような事実無根では困りますが、多少の誇張、拡張は 許されると思います。
- koiprin
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(1)国家の定義次第のお話ですね。 もともと日本では国体という言い方があります。 国体とは、『天皇を中心とした秩序』とwikipediaにはありますが、神話より生まれている三種の神器を天皇というこれまた神話より連なる男系の家系が受け継いでいくというところにあります。 国体は神話を受容しているので、2674年という皇紀が容認されています。 なので「国体の護持」ができなくなった時がこの皇紀が使えなくなる時になります。 (2)権威と権力を分けて考えると、天皇家の存在がわかります。 日本では古来より天皇は権威であり、権力はほかの人間が行使するという歴史です。天皇という存在はあくまでもシャーマンであり、儀式を執り行う存在です。だから今でも儀式を行っています。そしてその補佐的な役割を色々な人間が入れ替わりおこなっています。 権力を行使できた蘇我、藤原、それ以降の武士といえども、天皇から官位を授からなければ何もできないという形は一切崩していないのは、そのためです。関白になったり、征夷大将軍になったり、なぜ天皇そのものを廃さなかったのでしょう? わかりやすく言えば、そのほうが都合が良かったからです。それほど日本国民にとって天皇という権威からのお墨付きほどわかりやすい正義がなかったからです。崩そうとしたのは足利義満と織田信長くらいだと思われます。 そういう意味では、政治的な力を保持し続けたとも言えます。 洋の東西を問わず、権力が崩れればたいてい前の権力者一族は処刑されます。日本では天皇という存在はそれをさせずに続いています。権威と権力を分離しなかったから起ったことです。今となっては、権威と権力を分離して存続している天皇家は人類史上稀有な存在と言えます。 君主を抱く近代国家で神話のころより続く家系などどこの国にも存在しません。 それが欧米で天皇家が尊敬されている要因であり、韓国などがやっかんでいちゃもんをつけている原因でもありますね。
- tanuki4u
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国民国家の成立をもって各国の成立とするならば、日本国の成立は20世紀と考えます。 1894年の日清戦争 1904年の日露戦争 このあたりで、見たこともない「敵」に対して自分の命あるいは、親戚や近所の目に見える人間が命をかけて戦い、それが賞賛されることを通じて、目に見えない「国」というものを実感できた。