我が家の総本家系にある「別家」の例で言うと、姓を持たない「優秀な・働き者の使用人」が総本家の姓と多少の財産(自分で給金を貯めた?)をもらい、嫁を世話してもらって独立したケースです。血縁関係はありませんが、いまでも我が家と同じ姓を名乗っています。
主に商家に多かったようですが、農家でもよくあったケースのようです。
このご時世ですから、もう主従という意識はまったくないですが、江戸時代なら別家を立て("建て"の誤字ではない)ても、主従の意識は強かったようです。
日本全国そうだと言い切る自信はありませんが、秀吉が優秀な家臣に「羽柴」の名前を与えたようなケースが多いので、まあそうなんじゃないかと。
分家は、次男とか三男とか血縁関係がある者が、多少の財産をもらって家を新たに立てた場合の呼び名ですね。
財産をあたえるから「本家だ」と威張れるわけですので、まったく財産を与えない場合(与える力がない場合)は本家だ分家だという意識はないものと思います。
我が家も、総本家の分家の分家の・・・ なれの果てです。
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「別家」に出してもらえるのは、使用者から、自家の「姓」を高める優秀な人物と認められることが必要です。そうでなければ与えない。
また、出してもらう側から言えば、使用者が、その「姓」や「コネ」を利用さえてもらえるに足るだけの大家(たいか)でないと、その姓などを名乗る意味がありません。
「ああ、あの有名な××の○○さんとこの」と言ってもらってこそ、別家を立てる意味があります。
そういう持ちつ持たれつなので、別家を立てても主従関係は密接だったものと思います。本家の過去帳に載せるほどの関係かどうかはわかりませんが(別の家なので載せないのが普通だと思うが)。
「分家」もそういう場合(本家を本家と尊重する場合)が多いでしょうが必ずしもそうでなく、逆らってばかりで一緒に暮らせないから遠地に分家に出す、「勝手に生きていけ」という場合もたまにはあったんじゃないかと想像します。
そう想像する理由は、戦国時代などでは、分家が本家と戦ったり、本家を打倒したりというケースも少なくないからです。
分家は他人の始まり。本家の過去帳には載らないのが自然だと思いますね。