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名前がないものも実在できますか
もし利根川に名前がなかったら、利根川は実在できないでしょうか。あるいは川という言葉がなかったら利根川は実在できないでしょうか。
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>記号(記号表現)は名称として実在するとして、 記号も名称も人間の考えた概念なので実在しません。 確かに紙に「利根川」と書いたら、その文字の書かれた紙は実在します。 ディスプレイに「利根川」と表示されているならディスプレイは実在するし、その文字は表示されている。でも、「利根川」という名称は実在しません。 確かに「利根川」という言葉のイメージは人によって違うと思います。 利根川の概念は人によって多少違うということはあると思います。 でも「利根川」という意味内容が実在しないのは、それは概念であって人間の頭の中で考えたものであるにすぎないからです。 人間のクセだと思いますが、ある概念を作り出すとそれが実在するように感じてしまうというのがあると思います。
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- stmim
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記号内容は概念なので実在しません。その概念が指し示しているところの川そのものは実在します。つまり、指示対象は実在します。 利根川について言うと「名前が利根川で、関東にある広い川を意味して(指し示して)いて、坂東太郎という別名がある」という概念自体は実在しません。
お礼
概念あるいは記号内容は実愛しないというのは貴重なご教示でした。記号(記号表現)は名称として実在するとして、記号内容は実在しないというのは同じ利根川という言葉でも聞く人によって全然違うものが想定されているということに対応しているのでしょうか。一種のUターン的現象として、まず対象があり、これに名称が与えられると対象の概念が生じてくる。しかし実在するのは(指示)支持対象と名称だけである。記号論を勉強したくなってきました。
- stmim
- ベストアンサー率24% (57/236)
「もし利根川に名前がなかったら、利根川は実在できないでしょうか。」という文章の意味が曖昧だということが、問題の原因だとおもいますよ。 質問者が質問文の意味を明示的に示せば、答えは簡単と思います。 そもそも「利根川」は名称であり、概念なのです。 概念は実在しないのです。だからもともと概念としての「利根川」は実在していないのです。実在の川と概念の「利根川」を結び付けて「利根川」という言葉を使った場合に実在の川を指すという約束にしようと取り決めているわけです。 「利根川は実在しますか?」と聞かれた時、人は概念の「利根川」を実在の川にむすびつけて、実在のその川は存在するという意味で「実在します」と答えます。 「もし利根川に名前がなかったら、利根川は実在できないでしょうか。」という文章の意味は「概念としての「利根川」」それとも「「利根川」という概念が指し示していた実在の川」のことか、どちらのことを聞いているのか明らかにしないと、答えるのが難しい。 ただ、「実在するか?」聞く以上、「概念自体はもともと実在しない」という常識を働かせるなら、実在の川のことを聞いているのだろうと大概の人は判断するから、その実在の川は存在すると答えるでしょう。 繰り返しになりますが、質問者が聞いている文章の曖昧さを排除して、意味を明示的に示せば答えは簡単だと思います。
お礼
概念というのは記号論でいう記号内容のことで名称が記号表現のことと考えてもよろしいのでしょうか。概念は実在しないとなると記号内容も実在しないということになってしまうのかなと悩みます。
- nagata2017
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もし利根川に名前がなかったら、利根川は実在できない そこにはただ 水の流れがあるだけ。
お礼
そうですね、私もどちらかというと同じように考えたいのですが、しかし名前はなくても利根川は実在すると考える人も多いと思います。記号表現と記号内容の違いかとも思います。
- hiro-hiro-hiro
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おもしろいですね!^ ^やってみました. (方法) 「 W について考える」を下記にする. ・Q1;W とはなにか? ・Q2;W で思いつくことは? T:W ; W について考える (1)W = 利根川,T:W (2)利根川 = a23,W = a23,T:W (3)利根川 = (名前なし),W = a23,T:W (結果) (1) A1;関東の大きい川?関東の水道の水の元 A2;利根川水系周辺の生き物,利根川の治水計画,利根川の防災対策 (2) A1;地図上の利根川のだいたいの位置 A2;なかった (3) A1;なかった A2;なかった (意見) (1) A1;利根川 = ? A2;利根川 = ? (2) A1;a23 → 利根川 = ? A2;a23 = ? (3) A1;a23 → =? A2;a23 = ? と考えた. (1),(2)の結果を比較した. (1)で思いつき(2)で思いつかなかったこと;関東の大きい川?関東の水道の水の元,利根川水系周辺の生き物,利根川の治水計画,利根川の防災対策 (1)で思いつかず(2)で思いついたこと;地図上の利根川のだいたいの位置 (1)で思いつき(2)で思いつかなかったことについて,関東の大きい川?は,利根川という言葉に対応する,利根川について代表的と考える言葉の概念,関東の水道の水の元は,利根川という言葉で連想した,教育的に重要と位置づけた観念と思った.利根川水系周辺の生き物は利根川という言葉に結びついた個人的に興味あることの観念,利根川の治水計画は大きな川から連想した記憶にある言葉,利根川の防災対策は同様に個人的に注意すべきと考えた観念と思った. (1)で思いつかず(2)で思いついたことは地図上の利根川のだいたいの位置だった.具体的には視覚記憶を素材に構成した映像だった.利根川という言葉で思いつかず a23 という記号で思いついた原因は,利根川という言葉を使ったときは言葉の記憶を想起したので,問いへ対する答えがそこで終わった.しかし a23 という記号を使ったときは,利根川に関する言葉の記憶が想起されなかったので,思考は視覚記憶にアクセスし,教育上重要とした視覚記憶の断片から,関係ありそうなものをいいというまで返してきた.それを用いて利根川について代表的と思う視覚の概念を徐々に構成したので時間とともに変化する映像になったからと思った. (2),(3)の結果を比較した. (3)で思いつかなかったこと;地図上での利根川のだいたいの位置 (3)で思いつくこと;なかった 利根川という言葉をなくすと,利根川についてなにも思いつかなかった. 利根川という言葉をなくすと,利根川という言葉に対応する言葉の概念,視覚の概念,連想する観念,結びついた観念,言葉が思い出せなかった. (オレは利根川へ行ったことがないので,以下は妄想) 利根川の記憶は,利根川という言葉だけでなく,視覚,匂い,肌感覚など感覚の記憶もまた結びついていると思う.利根川という言葉がなくても,実際の利根川の体験があれば,感覚の記憶と似たような刺激を受けたとき,感覚の記憶をたどって,利根川の記憶の想起が可能と思う.(たとえばこんな感じ↓で...) 感覚の種類;似たような刺激 視覚;利根川や利根川と似たような川,似たような川で獲った魚の画像を見る. 嗅覚;利根川で嗅いだ匂いと似たような匂いを嗅ぐ. 触覚;水流に足をひたす,体にビシャッと冷たい水がかかるなど,利根川で感じたのと似たような肌感覚を感じる.
お礼
繰り返し熟読させていただきます。言葉の効用について何か大切なことを教えていただいた感じがします。
- stmim
- ベストアンサー率24% (57/236)
もともとは概念と実在は無関係です。人間が勝手に概念を考え、それを実在に結び付けることによって人間は世界を理解しています。もし概念が消えたとしても実在には影響ありません。 「利根川」は概念であるとともに、実在の川を指し示しています。 概念である「利根川」を消したところで実在の川には何の影響もないです。 まさか名前がないと川が蒸発して消えたりするとは思わないですよね? しかしながら名前のなくなった川はもはや「利根川」ではないです。 名前のない川です。その川に「坂東太郎」と名前をつけたら坂東太郎になります。 川という言葉がなくても、「利根川の実在」には影響ありません。 ただ、「利根川」という概念がないだけです。
お礼
なるほど。実在は不滅だが概念は名称と同じということでしょうか。
- yukiyamamomo
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またブラウザが 実在はできるでしょうよ。 itとか呼ばれるkとになるのかもs理絵馬円が、 また馬かよ。 S字カーブとかmもカーブだな。 とりあえずなんか書いておきます。 こn
お礼
わたくしには難しすぎるご教示でした。ミス入力(?!)が理由ではないのだろうと思います。
- hue2011
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それを発見し、こういう形のこういうものである、とアイデンティティを提示できたら、新種発見として命名権が与えられます。 それが自然科学です。 つまり、名前がないというのはどういうことかというと、それがなにものかわからないということなんです。生き物なのか石なのか、虫なのか爬虫類なのか哺乳類なのかわからないということですから、人に説明ができない。 人に説明するというのは、紹介するということです。 良く知っている友達でないと他人には紹介できません。こいつはこういう人間でどういう仕事をしていて、家族がいて、ということを知っていれば、おれの友達のサトーくん、みたいにいえるのです。 そのへんにフラフラしている人間を何者かもわからないのに人に紹介なんかできません。そこが名前があるかないかの違いなんです。そのフラフラしているやつは自分も知らないから、呼びかける名前持っていないでしょう。 つまり、名前、というのは、自分はこれを知っている、ということで説明できるということなんです。自分にとって存在するということです。 利根川という名前がなかったら、怪しい流れであり、知らない川です。 自分にとって存在しません。だけど実在はしているでしょう。中に手を入れると流れは感じるし。その意味では、川と言う名前では存在しているのです。 怪しく動く得体のしれないものを、ネッシーと読んだらそれは存在しているのです。実在するかどうかはわかりません。 わたし、きれい?と訊いてくる存在を「口裂け女」と呼んだら自分にとって存在するんです。だけど実在するかはわかりません。 実在は確実にしていて、存在しないものはあります。実在もしないで存在もしないものもあります。存在していて実在しないものもあるんです。 明らかに存在していて実在しないのはゴジラですね。 そういう種別のどれだろうといろいろな用語を考えてみるとたのしいですよ。 存在しているのかいないのか。 実在しているのかいないのか。 まあ2×2で4種類のものがあります。 平和だとか真心、良心とかはどれだろうと考えるのはためになることじゃないでしょうか。ただ、そういう風にコトバで呼ぶならば、存在していることは間違いありませんから、実在するかどうかだけが問題ですね。
お礼
実在とはどういうものなのかも私には難しい問題です。
- gift4465
- ベストアンサー率7% (4/54)
名前がついている事と存在する事は関係ありません。 名前名称なんて、便宜的な観点に過ぎません。
お礼
存在と名前は関係がないということですね。
- eroero4649
- ベストアンサー率32% (11082/34532)
野に生える雑草の名前を質問者さんはご存知ですか。知らないと思います。ではその名も知らぬ雑草は名前を知らないから実在しないでしょうか。いやそれはただ単に名前を知らないだけであって実在していることには変わりありません。利根川も同じことです。全世界の人が利根川の存在を知っているわけではありません。 何もない裏山の一角を、子供たちが「ここが俺たちの秘密基地な」と名付けたら、そこは秘密基地になります。何もない場所なのに特別な場所になる。果たして秘密基地なる存在は本当に実在するのでしょうか。 哲学的な問題を投げかけるなら、このくらいの例えをお願いします。
お礼
なるほど、そこまでの頭が私にはないようです。うらやましいです。
- koosaka
- ベストアンサー率43% (78/179)
概念と実在の関係の問題で、概念もあれば実在もある、と考えるか、概念があっても実在があるとは限らない、と考えるかの問題だと思います。 たとえば、日本人に明治時代に「内面」というものが作られたというのが常識ですが、それを明治以前の江戸時代の日本人に、果たして「内面」があったろうか?という問題。 たいていの人は、人間である限り、いつの時代にも「内面」はあると答えると思います。 でも、それは間違いなんですねえ(笑)? 「心性史」という学問がありますが、人間の「内面」ができたのは、西洋では1215年のカトリックの「告解制度」が出来てから以降とフーコーは「性の歴史」で言っているし、日本の評論家・柄谷行人は「日本近代文学の起源」で、日本人に「内面」ができたのは、明治の言語改革の結果だ、といっています。 つまり「内面」というのは、人間が先天的に有するものではなく、社会制度によって、人為的に作られたものなんです。 「内面」というのは、活字文化の産物で、現在、活字文化から映像文化へ移る過渡期にあり、もし、活字文化がなくなれば、人間から「内面」は失われるでしょう。 そして同じく柄谷行人は、文学は明治に始まり、1980年代に終わったといっています。 私たちは、文学は、奈良・平安時代から始まり、現代も、文学があると思っていますが、それは間違いなんです。 また「社会」とか「個人」とか、「自由」とか,「権利」とか、そういう概念が明治に翻訳語として作られましたが、明治以前にはそんなものはない、つまり「社会」という概念もなければ、その中身のもない、というものです。 なぜって、「社会」というのは、西欧では「市民社会」のことで、日本には「市民」というのは存在しなかったからです。 よく、人は人間が3人集まれば「社会」ができると言われますが、3人集まっても、いくら集まっても、「烏合の衆」で、「社会」はできません。 このように、私は概念と実在を分けて考え、概念があるからといって、実在があるとは限らないと考えています。 特に、歴史を考える場合には。
お礼
概念ですか、これまた難しいものですね。しかし自分なりに考えてみたいと思います。
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お礼
人間は外の世界のほかに頭の中の世界があると思っていたのですがそこに結び付くのかなと思いました。名称は二つの世界を橋渡ししているように思いますが記号論と融合できたら面白いと思います。概念は頭の中にあるので実在しないというご教示は大変参考になりました。