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「現実的ではない」という甘え
「現実的ではない」という言葉は甘えではないでしょうか? 実現してしまえばそれは現実になるのです。 「現実的ではない」という理由で理想を追求しないのは甘えではないでしょうか? 人間が理想と理性と知性をもった生き物なら 「現実的ではない」などというのではなく 「現実を支配する」という方向を目指すべきではないでしょうか?
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- staratras
- ベストアンサー率41% (1498/3648)
>「現実的ではない」という言葉は甘えではないでしょうか? 問題となっていることと「現実」との距離にかかわりますので一概には言えません。少し努力すれば可能なことについて「現実的でない」というのなら「甘え」かもしれませんが、どう頑張っても無理なことについて「現実的でない」というのは適切な判断でしょう。 ここで少し厄介なことは、個人の場合でも組織・集団の場合でも、その個人や組織・集団の能力や性格などによって同じことに関しても「現実との距離」が異なることです。aさんやA組織にとっては「少し努力すれば可能なこと」でも、bさんやB組織にとっては「全力で頑張っても到底不可能なこと」かもしれません。そうした面も含めて「一概には言えない」ということです。 もっと言えば、世の中は「現実的」か「現実的でない」かの2つだけでできているのではなく、理性と知性を持った生き物である人間が地球の身の回りから百数十億光年離れた宇宙の果て(宇宙に「果て」などはないが言葉のあやです)までの世界を考えられるように、さまざまな「現実との距離」があり得ます。どこまで理想を追求するか、そこが思案のしどころだと考えます。
- stmim
- ベストアンサー率24% (57/236)
状況がわからないと何とも言えないです。 あまり固定的に考えるのはあまりよくないと思います。 理想は人によって違うし、他人の理想を目指す必要もないし・・・。 もうちょっと具体的に内容を指定したら回答もしやすいのですが。 「世の中から犯罪をなくすのが理想である。おまえは世の中で犯罪が起きないように見張れ!」 「それは現実的じゃないですよ」 「何、甘えたこと言っているのだ!」 これは違う? やっぱり状況を限定してもらわないと・・・。
お礼
いえ、そのパターンで構わないと思います。 ご指摘ありがとうございます。
- kaitara1
- ベストアンサー率12% (1154/9141)
現実というのは、世界をどのように切り取るかの問題でしょうから、切り取り方を示せば現実となったということですが、切り取れない人から見れば現実ではない。甘えというより能力がないということなのかと思います。
お礼
切り取り方の問題 非常に興味深い表現です。 ありがとうございます。
甘えかも知れませんが、可能性が低いと考えられる物を事前に排除するという言うのも一つの効率的な考え方です。
お礼
ありがとうございます。
- koosaka
- ベストアンサー率43% (78/179)
現実という言葉をあたかも自明であるかのように使っていますが、現実って何でしょうか? それを定義してみてください。 古代ギリシャのプラトンは、現実・リアルとは、質料・ヒューレーの上にある「イデア」だといいました。 その「イデア」に比べたら、質料・ヒューレーなど仮象に過ぎない、と言っています。 その「イデア」を現在、「理想」とか、「理念」と言っています。 言い換えると、あなたが現実と言っているものが、「イデア」であり「理想」ということになります。 プラトンの考え方では。 だとすると現実とは、理想である、と定義できることになります。 あなたは「現実的ではないという言葉は甘えではないか」と言っていますが、現実的とは、理想的という意味ですから、確かに理想を抱くことは甘えかもしれませんね?(笑) そして実現してしまえば、それは現実=理想なのですから、「現実的ではないという理由で理想=現実を追求しないのは甘えではないでしょうか?」と言っていますが、どうして現実を追求すると、それが甘えなのか、分かりません。 人間が理想=現実と理性と知性をもった生物だと、どうして「現実=理想を支配する」という方向を目ざさねばならないのか、それも分かりません。 たぶん、あなたと私では、現実の定義が違うことから、議論のすれ違いができているんだと思います。 現実とは理想ですよね・・・・・・プラトンの言い方では? たぶん、あなたは、現実は理想ではない、と考えているのではないですか?
お礼
哲学ではそのような考え方をするというのは初めて知りました。 また別途勉強してみたいと思います。 ありがとうございます。
- KGS
- ベストアンサー率24% (1324/5321)
可能性が限りなく低い場合に「現実的ではない」という言葉を使うわけです。 可能性が限りなく低いのに、それを求めることを理想論と言います。 「現実を支配する」という方向を目指すのは方向としては間違っていないと思うのですが、程度にもよります。 直径100キロの小惑星が地球に衝突する軌道にあって、核ミサイルでも破壊できない状態としましょう。 破壊できないのなら地球の軌道を変えて衝突を回避しようとするのが「現実を支配する」ということです。 この場合に、どういう方法で軌道を変えて、さらに衝突回避後に元の軌道に戻すのか「現実を支配する」という方向で具体的に答えてください。
お礼
分かりやすいです、ありがとうございます。
- hue2011
- ベストアンサー率38% (2801/7250)
甘えというより「逃げ」でしょう。 かつて民主党政権時に仕分けなんていって予算を減らすスタンドプレイをしていたとき、大災害は現実的でないといって災害対策予算をけずりました。1位である必要がないなんていって研究予算も削りました。 そしてまだ政権にあるうちに東日本大震災が起きました。 考えたことは実現するんです。それは支配すべきものではなく発生することなので、対処を「現実的に」考える必要があるのです。
お礼
ありがとうございます
- firstimpression
- ベストアンサー率8% (22/265)
甘えではなく、実現の可能性をどう見るかと言うだけの話。 難しくてもできそうなら目指せばいいが、ほとんど可能性が無いものを目指しても仕方ない。 (^^;)
お礼
ありがとうございます。
- eroero4649
- ベストアンサー率32% (11074/34517)
現実を支配するように理想を追求するのは間違いではないとは思います。ただ、実現できなければ単なる理想主義だと思います。 某政党が「消費税完全撤廃」を訴えていますが、確かに消費税はあるよりないほうがいいです。いち消費者としてそう思います。でもそうなると国家財源が減るのは明らかなのでその減った分をどうするのかというのを考えないと「現実的ではない」ですよね? ただ理想論を語るばかりで、現実化させないなら、そちらのほうが夢を語るだけの甘えではないかなと思います。
お礼
非常に分かりやすい具体例、ありがとうございます。
- SAKUiro
- ベストアンサー率16% (65/397)
理想も人それぞれかと思いますが、自分の理想を現実にできるなら、それは是非、やるべきです。
お礼
ごもっともです。 ありがとうございます。
お礼
相対的な問題があるということですね、ありがとうございます。