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ヘーゲルの主張について。
「人類の歴史は合理性と自由が発展する方向に弁証法的に進んでいる」(ヘーゲル)とはどういう意味ですか?
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- 日比野 暉彦(@bragelonne)
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ヘーゲルを超えて考えてみましょう。 まづ 概念を捉えます。 ▲ 合理性と自由 ☆ 《合理性》とは 世界を捉えて それは経験世界だと見たとき その経験事象をめぐってその内に何か規則的な動きやかたちがあるか? と問うて得られた方程式ないし法則のことです。 ものごとは 有るか無いかとして捉える。いま・ここに 同時に有るとともに無いというものごとはないと捉えます。あるいはつまり AはAであるという自同律です。 ただし ものごとは 時間の過程にあります。有ったものが無いようになる。無かったものが有るようになる。そのことが どのように推移するか? この観点から 因果関係がものごとについて捉えられ その法則が 経験合理性の中身となります。 《自由》とは この――おそらく妥当な見方であると思われる――経験合理性のはたらく世界にあって おのれの欲するように考え行動を成すことが出来ることを言います。 さて 議論を端折りますが わたしたちは 互いに人間関係の中に生活していて 自分の思うように生きているという場合は まれです。と言ってよいでしょう。つまり 自由ではありません。 とすれば――案外はやく結論にたどりついたと 安堵していますが――: ▲ 人類の歴史は合理性と自由が発展する方向に弁証法的に進んでいる ☆ という命題(判断つまり 世界観)は 何を言おうとしているか? ヘーゲルは 世界ないし人類の歴史に 前提を置いているわけです。《合理性と自由》という前提です。 早い話が わたしが 合理性に反することをやったとしたら 社会の中で その反合理的な行動は 問い質され 修正させられるであろうというのが 弁証法の過程です。 誰かがわたしの自由をさまたげたとしたら わたしは その妨害行為に抵抗し 自由を取り戻そうとするであろう。これも 弁証法過程です。 前提としたもの(理念でしょうか)を もし曲げられたり奪われたりするなら それを取り戻す動きに向かうであろうという方程式 これが 弁証法です。 人間は 社会の中で 自分の思うように生きることはむつかしい――つまり ひとは 必ずしも自由ではない――と言っておきながら 《自由》を理念として前提しているのは どういうわけか? この問いを考えて 回答を終えますが 《人間関係のシガラミの中で 思うような自由を発揮できない》という状態ないし情況は 取りも直さず 《ひとは 自由を その生まれつきの自然本性において希求しており 理念としてのごとく人生にとっての前提としている》ことを物語っている。のではないでしょうか?
- koosaka
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弁証法・ダイアレティックは、古代ギリシャでは、弁論術、議論法、修辞法・・・・などと言われ、アテネの広場・アゴーンという場所で「民会」が開かれ、そこで市民が討論する技術のことを言います。 市民はみんなシロウトだったので、その人たちに弁論術などを教えたグループを「ソフィスト」と言っていました。 ソクラテスも、その「ソフィスト」の一員でした。 「ソフィア」とは知を愛するを意味し、「ソフィスト」とは、知を愛する人、それが後に「フィロソフィー」と言って哲学を意味するものになりました。 哲学は、その「ソフィスト」から始まったんです! アリストテレスは自分の三段論法の論理は必然的だが、弁証法は蓋然的といって、ちょっと軽蔑的に見ていました。 蓋然的とは、そうなる場合もあるし、そうならない場合もある、ということ。 ただ、民会という議論で相手を打ち負かせばいいんだから、蓋然的であっても良かったんです。 だから弁証法は「説得術」と言ってもいいものでした。 人を説得させられれば、たとえそれが間違いであっても、いいんです。 「ソフィスト」というと、後世「詭弁術を駆使する人」と言われましたが、ヘーゲルもそういう面があります。 マルクスはヘーゲルの弁証法を「誤魔化しだ!」と言っています。 で、前置きが長くなりましたが、合理性とか、自由というのは、彼の生きた時代、啓蒙主義の時代の理念でした。 物事を機械的・合理的そして理性で考えたのが、啓蒙主義。 そして自由の理念というのは、フランス革命の理念でした。 そのヘーゲルの生きた時代の理念を人類にまで敷衍し、人類の歴史は自由の理念の発展の歴史と言いました。 そんな根拠はありませんけど、ヘーゲルの生きた時代の価値観というか、世界観を人類の歴史にまで拡大して、人類の歴史は自由の理念の発展である、と言ったわけです。 まあ、歴史主義の思想ですね? 人間の思想は、その時代にしか適用できない、他の時代には適用できない、というのが歴史主義の考え方です。 歴史相対主義! ヘーゲルは自分の時代にしか適用できないのに、人類の歴史にまで拡大したわけです。 マルクスも同じで、人類の歴史は階級闘争の歴史と言いましたが、資本家と労働者がいたのは、マルクスの生きた時代だけ! 資本主義の時代だけなのに、それを全人類の歴史にまで拡大しました。 だから弁証法というのは「詭弁」と同じです!