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戦時中、このような措置は全国的なものであったのか?
私の父方の祖父は、戦争を否定し、士官を断って45年ごろまでは佐世保で働いていたと聞きます。しかし情勢が厳しくなるにつれ、逃げ回ることも無理がでてきて、最後には戦艦大和の駆逐艦か護衛艦に乗船するはずでした。 その出航の前の日の、何かの式で彼は整列した同僚の中で一人だけ「〇〇、お前は役立たずでいらないから残れ!」と殴り倒され、乗艦せずに陸に残りました。 その殴った、祖父の生命の恩人である上官は、物静かで思慮深い方だったようです。明らかに沈められるであろう船に祖父を乗せないための措置でした。 祖父は、元・東京帝国大学出身です。彼は長い間、そのために自分が残されたのではないかと考えていたようです。その当時の政府か軍部は敗戦はもはや避けられないと考えており、敗戦後に国を建て直す人材が必要だから、戦後のことまで考えて大学卒の祖父を残したのではないかと。 祖父母のうち、すでに3人までは亡くなり、今はもう何も聞くことができないのでこちらでお聞きします。 そのような話を他にお聞きになったことがあるでしょうか? その上官は、祖父が戦争を否定するのを、ただ黙って聞いていたそうです。そして黙って死地へ赴きました。 私は、そのような措置がその上官の個人的な意向によるものだったのか、それとも当時、上層部の誰かの考えによってひそかに、目ぼしい人材と見なされた人間が前線へ送り込まれないような措置が全国的に取られていたのか、それが知りたいのです。 その当時の大学生の数は20数万人いると思いますが、他にお聞きになったことはないでしょうか? そのような記録か、あるいは個人的なお話をご存じの方がいらしたら、教えて下さい。
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補足
ご回答ありがとうございます。 ご指摘のように、士官に強く推されながらそれを断った祖父が、伝え聞く当時の、お国のために死ぬことや潔よしという価値観の中理想的な兵士であったとは思いがたく、まごこは「ほんとうにのんびりやさんで役立たずだったから残されたんじゃないの?(笑)」と祖父をからかったりもしていたそうです。 ただ、詳細をお話しできないのは残念ですが、伏せた理由の一つには私の記憶がすでに曖昧になっていたためですが、実際にそのような、祖父を生き延びさせるための措置だった(それが個人的なものであったのかもっと組織的なものだったのかはわかりませんが)ことを推測する余地のある、いくつかの証拠があります。その一部はその上司との日々の親交と上司自身が書いた手紙について祖父が書き遺したメモです。 その内容を覚えていないので、質問本文では控えさせて頂きました。実際に祖父が当時の帝国主義の中で腰抜けと思われ下船させられたのかもしれないとも、また祖父の中で親しかった人との思い出がそのような実際にはなかったできごとを生んだのかもしれないとも思いますが、同時に祖父の学友数人が生き残ったのが同じような経緯だったらしいという、これもまたはっきりしない話も含めて(もちろん亡くなった学友のほうが多かったようですが)、祖父が死ぬ間際にようやく口にしたことが、どれだけ本当のことか知りたいと思い、質問させていただきました。