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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:終戦後の帰路で日本兵が味方を海に落とすって本当?)

終戦後の帰路で日本兵が味方を海に落とすって本当?

このQ&Aのポイント
  • 終戦後の帰路で日本兵が海に味方を落とすという話は本当でしょうか?
  • 帰路の船で上官が部下を虐待し、部下たちが彼らを海に落としたという話がありますが、実際に起きたのでしょうか?
  • また、中国人の捕虜に対しても同様の虐待が行われたという話もありますが、どれほどの信憑性があるのでしょうか?

質問者が選んだベストアンサー

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  • eroero4649
  • ベストアンサー率32% (11074/34520)
回答No.2

実際の兵隊さんの話なんかを聞くと、そういう話は多く聞きますね。普段のときはそうやって上官に暴力を振るったら憲兵に逮捕されて軍法会議にかけられて営倉という兵士の刑務所に入れられます。しかし敗戦で憲兵も軍法会議も営倉もみんないなくなっちゃったのです。そしたらワタクシの刑、すなわち私刑を受けるのは当然のこととなってしまいます。質問者さんだって、もし日本の警察が機能しなくなって殺人犯も捕まえられなくなったら、殺したいやつがいるでしょう・笑? 戦勝国側の兵士にしても、所詮は敵国の兵士だからアイツらの中でやり合う割には知ったことではないですし、それでガス抜きがされるんだったら構わないと考えますでしょ?報告書には「行方不明」と書いておけばいいのです。あるいは「え?そんなやつ最初から乗っていませんでしたよ。手違いがあったんじゃないですかね?」とすっとぼけたっていいわけです。敗戦国の兵士が334人だろうが332人だろうがどうだっていいじゃないですか。 また捕虜に対する虐待は、古今東西どこの国の軍隊でもある話でした。太平洋戦争に参加したアメリカ海兵隊兵士の手記には、「我々は日本軍の捕虜をとらなかった」とはっきり書いてあります。その理由が、海兵隊の兵士が戦闘中に負傷したとき、仲間の兵士が助けようとすると日本兵はその仲間を撃ってきたからです。それは彼らからすると許しがたい行為でした。しかしこっち(日本兵)からすると、敵を一人でも多く殺さないとこっちもいずれ殺されちゃうわけですから、卑怯とかそんなことはいってられないですよね。だから沖縄でも、民間人は殺さないようにするという暗黙の了解はあっても、軍人の捕虜はとらないと仲間内の暗黙の了解があったそうです。日本兵には金歯が多かったので、まだ息のある兵士の口を銃剣でこじ開けて金歯を持っていくこともよくあったそうです。 またヨーロッパ戦線でも、ドイツ軍親衛部隊であるSSの捕虜というのは極端に少なくなっています。これは映画「フューリー」でも描かれていますね。SSは精鋭部隊で恐れられてもいたので、二度と敵対してこないように必ず息の根をとめていたのです。 つまり、「戦争とはそういうものである」ということなのですよ。善良な市民や温厚な父親を殺人鬼に変えてしまう行為なのです。

xX_ruslana_xX
質問者

お礼

返信遅れてすみませんでした。 営倉って言葉聞いたことあります。 金歯の話 リアルさが伝わってきました。ひどい話ですね。 いろいろ教えてくれてありがとうございました。

その他の回答 (2)

  • misa-on28
  • ベストアンサー率35% (227/640)
回答No.3

もう、そういう話をできる年代の方も減ってしまいましたが、 今から20~30年前くらいまではよく聞いた話ですね。 復員船でなぜか嫌われ者の将校が夜間に行方不明、甲板から落ちたのだろうという事故が多発したりして、暗黙のうちに「やったな」というケースがあったそうです。 戦争中でないですから戦死にはならないでしょうね。「行方不明」が妥当な処理だと思います。 また中国戦線では捕虜どころかそこらを歩いていた中国人を適当に引っ捕まえて荷物運びに使役したあげく歩けなくなると突き殺すなども多発したそうです。 ひどいのになると荷物だけでなく鉄砲まで担がせてさすがに上官に叱責されたという話も残っています。

xX_ruslana_xX
質問者

お礼

返信遅れてすみませんでした。 その船って復員船っていうのですね。知らなかったです。 しかしひどい話ですね。中国の方が日本に対し一部ですが恨み持ってるのわかりますね。 回答ありがとうございました。

  • meido2010
  • ベストアンサー率15% (68/448)
回答No.1

私の曽祖父は満州へ仕事で行っていた人でした。 満州は当時、関東軍が支配していた地域で上官は威張り散らしていたそうです。 下士官は奴隷扱い、歩兵はゴミ扱い。地元の中国人は牛馬扱いする粗暴な人種 だったそうです。終戦直前になるとソ連兵が大挙して攻めてきて、関東軍の お偉いさんはいち早く逃げたそうです。 それまでは、逃げる兵士は兵士じゃない。とか言ってたくせに危機が迫るといち 早く逃げる士官たちに皆呆れ果てていたそうです。 しかし、そんなことを言ってもトラックや装甲車などは士官、上官たちがもって いってしまったから。逃げるにしても歩くしかない。 這う這うの体で朝鮮まで逃げてくると、そこで待っていたのは朝鮮人の日本人 への暴力でした。なんとか、日本行きの船に乗りその船に乗っていたのは士官たち でした。戦争が終わったのにまだ威張り散らしている士官たちに兵士はかなりの 反感を持っていたのだと思いますよ。 しかも何を命令するのにも「我の命令は天皇陛下の言葉と思え」と言っていたの ですから。天皇はすでにアメリカのマッカッサーに頭を下げている。 それを今更、天皇陛下の言葉とは。 質問者の言われる士官、上官殺しはあったと思いますよ。 日本人だって赤紙一枚で徴兵されて、負ける戦いを強いられそれでも勝つと思って 戦ったのに負けた責任を全うせずに威張り散らすなど人智に悖る行為だと思った のでしょう。

xX_ruslana_xX
質問者

お礼

返信遅れてすみませです。 私も硫黄島からの手紙という映画で 中途半端な上官が威張り散らしてたのは見たことありますが これって実際にいた人のことの再現だったのですね。 ひどい話だし今では考えられないですよね?その時代に生まれてなくてよかったです。 回答ありがとうございました。

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