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人は賢くなっているのだろうか???
ふと、「温故知新」という熟語が思い浮かび、調べてみて、自分なりに、「過去を知ることにより、その反省を踏まえつつ今の生活に活かす」ということではないか???と、思ったのですが、……なかなか自分はそうではないなぁ……と反省もしつつ、しかし自分のだらしなさは棚に上げておいて、これもまた、ふと「人間って、歴史を積み重ねることによって、賢くなっているのだろうか???」という疑問が湧いてきました。 確かに科学は進歩し、その恩恵を受け、生活も便利になっていますし、……例をあげればキリがありません。もちろん、「生物としての進化」もしているのだと思いますが、またまた、「歴史は繰り返す」という諺もあったなぁ……と、思い出し、これって「温故知新」の逆じゃないのか???「人間って、歴史を積み重ねることによって、本当に賢くなっているのだろうか???」という疑問というより、疑念が生じてきました。皆さんはどう思いますか??? 哲学的な印象を受ける質問になってしまったかも知れませんが、歴史に関心を持っておられる方に、実際に起こった歴史的な事実の比較、現代の世界や、日本の動向などから、私の「人間って、歴史を積み重ねることによって、本当に賢くなっているのだろうか???」という疑問について、ご意見を伺いたいと思いました。 「ご意見を伺いたい」という趣旨ですので、ベストアンサーというのは選ばないで、締め切ります。考えるだけでも、無駄な努力になりますが、それでもよろしければ、お考えをご披露していただければありがたいです。
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- staratras
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「賢さ」の定義次第でしょう。回答者は「(ずる)賢く」はなったが、「賢明」にはなっていないと考えます。 科学や数学などの知識や、医療を含めて衣食住を快適にする進んだ技術を多く持つ方が賢いと単純に考えるなら、「時代が進むほど賢くなっていく」のは当然です。ニュートンが述べたことで有名になった比喩で言えば、後の時代の人は「巨人の肩の上に乗ってものを見る」ことができるからです。 ただし「生・老・病・死」から逃れられない人間の根本的な生き方や人間関係(その延長としての国家など人間集団同士の関係)で「賢くなっている」かどうかには大いに疑問があります。最近の世界を見れば、ウクライナ・シリア・イエメン・南スーダン・イラク・アフガニスタンなど進んだ科学技術を「いかに効率的に人を殺傷するか」に悪用しているとしか感じられないようなニュースに満ち溢れています。内戦などの戦闘行為とテロの横行です。 「敵の勇者を倒してその心臓を食べれば自分も強くなれる」と信じていた古代の戦士よりも、「市街地に爆弾を投下(して乳幼児を含む市民を無差別に殺傷)することを正義」だと信じる現代の正規軍の軍人や、「市場に爆弾を仕掛けて無差別に市民を殺傷する」武装勢力の戦闘員の方が見方によっては「賢くない野蛮人」です。 何よりも現代人の間で信じられ、心の救いともなっている多数派の宗教(キリスト教・仏教)の原型は約2000年前までに作られ、イスラム教にしても1400年近い歴史があることこそが、人間が根本の部分では「賢くなっていない」ことの傍証かもしれません。仏陀、キリスト、ムハンマドを超える(と少なくともその信者の多くが思えるような)宗教指導者は21世紀にいないのです。
- eyasi2675
- ベストアンサー率33% (2/6)
江戸時代は、日本人の精神性が最高の時代です。幕末に来日した外国人が、日本人の精神性の高いのに驚いて、紀行文を書いてます。そして、これから西洋と交わり悪くなると予言しています。事実そうなりました。日本人は、戦争に負けた結果、西洋の論理思考文化に染まり、日本人の心は、西洋文化に征服、占領されています。だから日本人が、愛国心を持つ事は不可能です。日本人は、昔の思考パターンを忘れています。明治維新までは、情緒思考でした。現代は、西洋の論理思考文化に染まってしまい、情緒が理解出来ません。学校教育で、伝統文化を必修科目にして、情緒思考を復活する事が必要です。現代人は、脳を刺激する事が、理屈、論理で理解する事が、常識だと思っています。だから脳に論理思考の宗教に憑依されてます。だから娯楽、芸術も理屈や論理で脳を刺激する、美的な知的な遊びです。脳を刺激するので、心がストレスになります。当の本人は、心の癒しだと錯覚しています。現代人は、情緒が理解出来ません。論理至上主義の宗教に支配されてます。昔の日本人は、理屈は脳を刺激してストレスになるので嫌いでした。だから娯楽や伝統文化は、脳を休めて、心を癒す、情緒があるものばかりでした。日本人は、情緒思考に目覚めて、論理宗教から抜け出しましょう。そして脳の論理から情緒の心の時代の、新しい世界の手本になりましょう。 西洋文明の、宗教、芸術、科学、哲学、理性、知性は脳の論理思考の産物です。人が依存している、脳の思考は、不完全です。だから科学は自然を破壊し、人の心はストレスになりました。だから真理はありません。理由は、脳は、大宇宙では、次元が低い、不調和な存在だからです。だから脳の世界より上に、脳の世界の外に真理があります。だから東洋の聖人は、脳を否定しています。老子は、人知を否定し、無知を、ブツダは、脳の自我を否定し、無我を、日本の伝統文化は、脳の論理思考を否定して、自然の情緒を表現しています。だから真理を得るには、脳の思考を休ませる事が必要です。幸い日本には、脳を休ませる方法が多いです。座禅、瞑想、また伝統文化は、浮世絵、源氏物語、義太夫節、能、歌舞伎、日舞、茶道、俳句、平曲、演歌、民謡、は、脳が休み脳波がアルファ波になり人の心と自然の情緒が交流します。
お礼
ご回答ありがとうございました。
- ithi
- ベストアンサー率20% (1972/9602)
kamotokogamoさん、こんばんは。 賢くなるどころか、矮小化していくだけだと思います。
お礼
ご回答ありがとうございました。 「矮小化」ですか。???興味深い表現方法だと思います。「矮小化」という表現が当てはまるのか、考えてみます。
- sansyokudangox
- ベストアンサー率13% (80/600)
IT革命・AIの普及に伴い、人の意見や考えを電子化し世界中に広げる ことができています。それでも私は、進歩はあっても人間変化(賢い)は ないのではと思っています。 人間が賢くなっていれば、「わたしは誰?」と迷子になっている人は いないと思うからです。迷子の私を見つめなおすために、神社仏閣・ 歴史絵巻き・哲学や体操(体幹を鍛える)・ヨガ・瞑想などが流行って いるのではないかと思っています。
お礼
ご回答ありがとうございました。 人間が賢くなっていれば、「わたしは誰?」と迷子になっている人はいないと思うからです。……このような観点からのご回答は想像していませんでした。興味深い見方、評価の仕方だと思いました。 迷子の私を見つめなおすために、神社仏閣・歴史絵巻き・哲学や体操(体幹を鍛える)・ヨガ・瞑想などが流行っているのではないかと思っています。……ううぅ~ん。私には、理解が難しいですね。「救われたい」とか「すがりたい」とかいうのは、今昔を問わず、「賢さ」とは別の次元で、いろいろあったように思います。
- SPROCKETER
- ベストアンサー率26% (2126/7992)
人間が賢くなっているのではなくて、機械が賢くなっているが真実でしょうね。人間は世代を超えて同じ間違いを犯しますが、コンピュータは正確な情報が十分な量あれば、判断を間違わないように出来ますからね。 たとえば、チェスや将棋で戦うとして、人間は知識が増えてゲームに熟達するとは言っても、毎回必ず勝てるわけではありません。しかし、コンピュータは十分な情報が揃えば、何度戦っても人間に負けないように出来ます。その違いでしょうね。 コンピュータが無かった昔と、今を考えてみればわかりますが、パソコンやインターネットによって十分な情報が手に入るようになった結果、無駄な努力をしなくなったり、高度な作戦を立てる事が出来るようになって、世の中がずいぶん変わっているのですね。 自分を考えてみればわかりますが、テレビ番組の話を鵜呑みにするのではなくて、インターネットを検索して、多くの情報を調べてみて判断すると、誤解したり、騙されなくて済むのは自明の理です。
お礼
ご回答ありがとうございました。 人間が賢くなっているのではなくて、機械が賢くなっているが真実でしょうね。……所詮、人間の作った物なのだから、「機械が賢くなっている」ということはないと思っていましたが、様子が変わってきましたね。それと、「その機械は人間が作っているのだ」という自覚と自制が必要ですよね。核に象徴されるような「賢い武器を作る」ということが、今、「AIなどを利用して、賢い機械を作る」ということに向かっているように思います。行きすぎなければ良いのだが、使い方を間違わなければ良いのだが???……という不安な気持ちです。 「コンピュータが無かった昔と、……世の中がずいぶん変わっているのですね。」……否定はしません。だからこそ、「人間は賢くなっているのだろうか???」という疑問です。 「自分を考えてみればわかりますが、……騙されなくて済むのは自明の理です。」…… SPROCKETERさんのような賢い人は、そんなに多くないというよりも、希な存在だと思います。
- ネコ だつらく(@LastPierrot)
- ベストアンサー率13% (60/445)
自分は賢くなっているとは思えませんね。進化はしているのでしょうが失っているものの方が大きいと思います。 結局昔ながらの法に縛られたままですしいつも同じ事で結論もなくあいまいなニュースを再放送かの如くやっているし 自分が一番過去と現在で昔の人は凄かったんじゃないかと思う事は将棋のルールです。 先手後手ありますが勝率はほとんどかわらない50%あたりで多少の先手有利はありますが すでにコンピュータが最強になったオセロなどとは違います。常にたゆたっている状況です。 おそらくですが打ち歩詰め禁止ルールが最大の理由だと思います。 いまだまだ完全には人間よりは強いという結果も出ていません。 プロ棋士と戦って勝っていることもありますがそれはあくまでプロがハンデをしょっているものと考えています。 それを打開できていないコンピューターははっきりいって雑魚です。普通に指したら僕の棋力では勝てませんが 自分もアマ3段程度の棋力があり対コンピューター用の戦法を採用すれば十分勝てるレベルです。 のちにグーグルのAIが打開しそうですがまだ大丈夫そうです。 やはりこの将棋という文化のルールはとても絶妙で昔から変わることがありません。 このルールを作った人はどれだけ天才だったのか興味深いです。 起源はインドと言う事らしいですが日本で日本将棋としては平安時代あたりからでやはり昔の人は凄いなって思います。
お礼
ご回答ありがとうございました。 「失っているものの方が大きい」……LastPierrotのご回答の趣旨とは異なるかも知れませんが、私の若い頃のことなどを思い浮かべながら、現代の「便利すぎる世の中」のことなどを見ていると、本当に考えさせられますねぇ。 それを打開できていないコンピューターははっきりいって雑魚です。……人間の作った道具ですから、便利に使えば良いと思います。ただ、どうもそのうちに「AIに使われる時代が来るのではないか???」というなにか漠然とした印象を持っています。「核」と同様、「愚かさ」の象徴にならなければ良いのですが。 やはりこの将棋という文化のルールはとても絶妙で昔から変わることがありません。……(*^_^*)たしかに。「不利になると、有利になるようにルールを……」というのは、ありますよね。 のちにグーグルのAIが打開しそうですがまだ大丈夫そうです。……(*^_^*)頑張って下さい。 このルールを作った人はどれだけ天才だったのか興味深いです。……将棋のことは、駒の名前と動かし方くらいしか知りませんが、最初から「今のルールありき」ではなくて、やはり試行錯誤の時代はあったのではないか???と想像します。 ところで、質問とは全く関係ありませんが、今、ちょっとした「将棋ブーム」ですよね。私も、 駒の名前と動かし方くらいは知っているので、パソコンで無料ゲームを探してやってみたのですが、まったく勝てません。(T_T)(T_T)悔しくて、やめてしまいましたが、将棋が強くなる秘訣だとか、本(2000円程度で……そんなものあるか、と笑われそうですが)があれば教えて下さい。 やはり昔の人は凄いなって思います。……同感です。
- tzd78886
- ベストアンサー率15% (2590/17104)
何を持って「賢くなっている」と考えるのかによるでしょうが、確実に言えるのは、全ては何十万年もの間の蓄積によるということです。はっきり言って火を利用することを考え付いた人の功績は遺伝子や宇宙の研究をしている今の科学者よりはるかに大きいと言えるでしょうし、記録として残すことを考えついた文字の発明も同様です。
お礼
ご回答ありがとうございました。 何を持って「賢くなっている」と考えるのかによるでしょうが、……一瞬、頭をよぎったのですが、せっかちな性格と多少のボケもあり、整理しないまま質問してしまいました。(T_T) 全ては何十万年もの間の蓄積によるということです。……その蓄積の結果、「人類というのは、どう評価されるのか???」ということについて、ご意見を伺いたいという趣旨です。 火を利用することを考え付いた人の功績は遺伝子や宇宙の研究をしている今の科学者よりはるかに大きいと言えるでしょうし、記録として残すことを考えついた文字の発明も同様です。……「人類は賢くなっていない」という趣旨のご回答でしょうか??? それと、たしかに、「火」や「文字」は、人類を他の生物と分ける決定的な要素ではありますが、それは、進化の過程で人類が生き残っていくために必要なものとして獲得したものであって、「賢くなっている」ということの証明になるのだろうか???という疑問と、「今の科学者」と比較するのは可哀想な気がしました。
お礼
ご回答ありがとうございました。 「賢さ」の定義次第でしょう。他の回答者からもご指摘がありました。漠然とした質問になってしまいましたが、高い見識からのご回答ありがとうございました。<(_ _)> 質問の趣旨は、「平和な社会」、「自然環境豊かな地球環境の維持」といったような観点から、現在の人類のあり方や進んでいる方向に対して疑問を持つとともに、そのことを歴史の事実を通して、解き明かしてもらいたいということでした。 1例を挙げると、「パリ協定からの離脱」だとか、核の抑止力というような妄想に等しい言い訳のもとに、「核戦略を見直す」というような動きに、「怒り」を通り越した「絶望」を感じます。トランプ大統領と同じ考え方を持つ人は数多くいると思いますので、それ自体は不思議ではありませんが、「米国の大統領に選ばれる」ということに、「何か得体の知れない恐怖」を感じます。 人間が根本の部分では「賢くなっていない」ことの傍証かもしれません。……なるほど。歴史には詳しくありませんが、「宗教」というのは、洋の東西を問わず、人類の歴史の中では、むしろ「対立を生む種」であり続けたような気がします。