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「歴史」を学ぶ意義

タイトルを『「歴史」を学ぶ意義』としましたが、あまりかたぐるしく考えているわけでも悩んでるわけでもありません。「歴史学を研究しておられる方」、「大学、高校や中学で歴史を教えておられる方、または学んでいる学生」、あるいは、「趣味として小説や漫画で歴史を楽しんおられる方」にお伺いいたします。「歴史」との関わり方は、人によって、様々あると思いますが、その「意義」について、皆様のお考えを教えて下さい。 私自身は「歴史通」でも何でもありません。最近、ほんのちょっぴり「歴史」がおもしろいという感じを持ち始めたばかりですが、「歴史嫌い」で、「歴史の点数にいつも泣かされていた」私が、今になって何故?という疑問が生じてきました。それで、何らかの形で「歴史」に関わりのある方のご意見をお伺いしたいと思ったのです。というのは、私の高校3年の時の担任が歴史の教師でして、卒業アルバムのクラスの寄せ書きに、「温故知新」と書いてありました。その時は、「何のことやら」と、気にもとめないまま、何十年も経ってしまった昨日、ふと想い出してしまいました。「歴史を学ぶ意義」みたいなことを言いたかったのかなぁ……と。卒業するときに言われても、という気がしましたが。(*^_^*) 「皆様のお考えを教えて下さい」という趣旨ですし、どの回答が優れていると、比較できる性質の質問ではないと思いますので、ベストアンサーは選びません。それでもよろしければお願いいたします。今後の参考にしたいと考えています。

みんなの回答

回答No.6

先日、休日出勤で家を出るとき、玄関で子供に「行っちゃヤだ~」と泣きつかれました。親バカ冥利?に尽きるので嬉しかった反面、「唐衣~」の防人歌を思い出してしまい、不覚にも喉の辺りが熱くなったのを覚えています。 防人歌 - Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%B2%E4%BA%BA%E6%AD%8C 当たり前ですが、私の休日出勤に古の防人ほどの負担や危険はないし、幸い嫁も健在ですのでこの歌ほどの感傷は無いはずなのですが、少々不遜ながら防人の気持ちがリンクしたように思います。 専門家やそれを職業としない限り、歴史というのは日々の生活環境では見えにくいものだと思います。ですが歴史が現代を作り上げている土台である以上、フとしたきっかけで生活の中で出てきたり。アニミズム的な発想に乗っけると、ひょっとすると政治や経済、スポーツといったあらゆる事柄の中にも潜んでいるのかも知れません。 そういうリンクを感じた時に自分が歴史の一部になったような、そしてひどく雄大な気分になることがあります。それに備えて歴史を知ろうとしている、というところでしょうか私の場合は。

noname#228965
質問者

お礼

歴史というのは日々の生活環境では見えにくいものだと思います。……確かに、私も、普段は全く歴史というものを意識しません。それで、こんな質問になりました。 他の方のご回答からしても、すべてのものに歴史があると思うし、今、この瞬間も歴史の上に乗っかっていると言ってもよいと思います。 自分が歴史の一部になったような、そしてひどく雄大な気分になることがあります。……少し羨ましいような気もします。日本の歴史の1ページどころか、1文字にさえもなっていませんが、せめて自分史の主役だと思うことにします。

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7193/21843)
回答No.5

1、国家レベルでの意義   ・国民をまとめる、という意義があります。  人間は一人では非力です。  しかし、大勢集まり組織化した人間は神をも驚かすほどの  力を発揮します。  途上国がいつまで経っても途上国なのは、国民のまとまりが  弱いからです。  理由は、他人種、多言語など色々ありますが、  歴史の共有、という問題もあります。  歴史を共有してこそ、あ、俺たちは日本人なんだな、  ということになるのです。  歴史を学ぶのは、言語や文化を学ぶのと同じ意義があります。 ・歴史に学ぶ、という意義があります。例えばです。  フレンチインデアン戦争に勝利した英国ですが  戦争の為財政が苦しくなります。それで植民地米国  に課税します。  課税に怒った米国植民地は英国に対して独立戦争を  しました。  これを援助したのがフランスです。  そのお陰で独立出来ましたが、援助し過ぎたフランスが  財政赤字になり増税しようとしましたが、これに反対した  貴族や庶民がフランス革命を起こしました。  課税は大変な問題になる、という教訓です。 2,個人レベルでの意義 ・自己のアイデンテテイとしての意義  私は誰? どこから来たの? という問いに  答えを与えます。 ・歴史の英雄の選択に学ぶことが出来ます。 ・教養として自国の歴史を知らないと恥です。

noname#228965
質問者

お礼

国民をまとめる、という意義があります。……国家レベルで考えた場合、確かに、「歴史教育」が国民の認識に与える影響は大きいと思います。誤った方向に纏めなければという前提がつくと思いますが。 歴史に学ぶ、という意義があります。……確かに。 教養として自国の歴史を知らないと恥です。……そうですね。恥ずかしくなってきました。(T_T)

回答No.4

歴史の成績はそれほどではなかったのですが、高校の日本史の先生に歴史オタクだと言われたことがあるくらいの趣味です。 どんな学問にも一応歴史はありますからね。 数学の「0」の発見なんて歴史的に大事件だし。 物理の万有引力の実験も歴史ですよね~。 地学もいわば地球や宇宙の歴史ですし。 国語も英語も古典やりますし、文学史も学びますし、美術も美術史を学びますし。 体育は記録とルールがまさに歴史。 過去(歴史)があってこその現在ですからね。 学習は歴史を知ることと同意語なのです。 もし全人類が全ての分野の歴史を学ぶ機会がなかったら、こうやってネットで言葉をかわすこともできませんし、買い物もできませんし、服も着ないで狩猟生活をしなくてはいけないのです。 言葉を教えるという歴史がないのですから、親兄弟とも言葉は通じませんし、いつも争い平和的解決法も歴史として学ばないのですから、文明も生まれません。 DNAという歴史もないとしたら、生物でも無くなります。 娯楽としては歴史の謎が最大の魅力かもしれません。 解明されていない謎がたくさんありすぎるのです。 歴史小説や大河ドラマはもちろん、推理小説やサスペンスドラマなどで歴史を知っていると尚更楽しめる事もできます。 修学旅行だけではなくプライベートの旅行でも歴史を知っているとロマンを感じることができます。 ここのカテゴリーでは嫌われていますが、「if」も楽しいですよ。

noname#228965
質問者

お礼

「if」というのは、「ここのカテゴリーでは嫌われている」のですか?私自身は、ここのサイトの歴史は浅いのですが、歴史を考えていると、ついつい「if」を考えてしまいますよね。(*^_^*)ただ、基礎的知識を持ち合わせていないので、私の「if」には発展性がありませんが。

  • eroero4649
  • ベストアンサー率32% (11082/34532)
回答No.3

歴史は、文化を紡ぐものだと思うのですよ。どんな文化であっても突然ポッと出てくるものではなくて、歴史として紡いできたものがあるから生まれるんですよね。例えば音楽にしても、今流行っている音楽ひとつも過去の音楽の歴史の積み重ねがあってそういう表現になっているわけです。同じことは絵画や建築やファッションなどについてもすべていえることです。 NHKに「ファミリーヒストリー」という番組があります。主に有名人や芸能人を対象にして、その人の家族にどんな歴史があったのかを紹介する番組です。あれを見ると「人には歴史ありだなあ」と思いますし、そういったことが積み重なっての自分自身でもあります。 「なぜ、今のこれがあるのだろう」ということを考えれば、それは自ずとルーツをたどる歴史の旅になります。毎日何百本も走る新幹線にも、誕生秘話があるわけです。 そう考えると、イスラム過激派の連中が「イスラムの教えでは偶像崇拝を禁じているから」という理由でかつての遺跡や文化遺産を破壊することの愚かさを嘆かずにはいられません。今の自分たちに通じる、自分たちの先祖が作った偉大な文化を自ら否定することは、未開の部族でさえ伝統文化というのがあるのですからそれ以下の文化的野蛮人というほかはありません。 「歴史なんて終わったことで、学ぶことに何の意味もない」というのは「私は文化に無知な教養のない人間です」と公言するようなものだと思いますし、実際にそういうことをいう人で教養のある人に出会ったことがありません。

noname#228965
質問者

お礼

「歴史は、文化を紡ぐもの」ですか。短文ですが、奥が深い言葉だと思います。 「なぜ、今のこれがあるのだろう」、「なぜ、今の自分があるのだろう」……歴史や文化ばかりでなく、人生を考える重要な糸口になりそうです。 イスラム過激派の連中が「イスラムの教えでは偶像崇拝を禁じているから」という理由でかつての遺跡や文化遺産を破壊することの愚かさを嘆かずにはいられません。……私もテレビを見ていて、全く同じ気持ちを抱きました。

  • zenix1
  • ベストアンサー率22% (54/236)
回答No.2

面白いからです。 どんな学問でも学ぶのは面白いからです。 意義を見出すのは役立ったときです。

noname#228965
質問者

お礼

ありがとうございました。 「面白いからです」というのは、今の自分と照らし合わせても、分かります。ただ「おもしろい」を一歩越えた「歴史の楽しみ方」というのがあるのでは、というのが質問の趣旨でした。 それと「意義を見出すのは役立ったときです」というのは、逆に言えば、「役に立つまでは、意義を見いだせない」ということですか?という疑問にぶつかってしまいます。「歴史には歴史が本来持っている意義があるのではないか?」とか、私のような素人が「歴史を学ぶこと」には、役立つか、役立たせるかということとは別にした、意義があるのではないか?と考えた次第です。

  • aokii
  • ベストアンサー率23% (5210/22062)
回答No.1

人間は過去に学ばなければ再度失敗します。

noname#228965
質問者

お礼

ありがとうございました。 おっしゃるとおりですが、それは「歴史」に限ったことではないような気がしますし、もっと言えば、「未来から学ぶことができる学問は、何かありますか?」という疑問にぶつかってしまいました。科学の世界でも、せいぜい、実験などにおいて、失敗しても仕方ないからとか、あるいはやり直せば良いのだからといった試行錯誤で繰り返すという世界があるだけであって、「過去に学ぶ」という点では、どの学問も「歴史」とたいした違いはないと思いました。