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なぜ人は生きるのか?
最近、「どうして人は生きているんだろう?」と、考えることがあります。「人間が生きる意味」って、何なのでしょうか? 私は、決して人生に失望しているわけでも、自殺願望があるわけでもありません。 ただ、 『どうして人間は生まれ、そして死んでいくのか。』 『「死」という終わりの時がくるにもかかわらず、なぜみんな生きていくのか。』 ・・・と考えてしまうことがあります。 自分に与えられた生を「生きる」ということは、何なのでしょうか? 私は、毎日を暮らしていて、小さな幸せに喜んだり、ちょっとした不幸に悲しんだりと、そんなことの繰り返しで、生きている気がします。 喜びもあるし、楽しいことも多いです。周囲の人に親切にして喜んでもらえれば、そんな時はうれしいとも思います。 でも、私はいったい、何のためにこの世に生を受けたのかな?と思うことがあります。ただそんな平凡な「日常」を繰り返すために生まれたのでしょうか? とはいっても、別に私は、例えば、「ノーベル賞をとって歴史に名を残せば、意味のある人生になる」、とも思っていません。 人の有名無名にかかわらず、私が疑問に思っていることは、 『私も含めて多くの人間は、泣いたり笑ったりしながら、一生懸命その一生を生きていく。 でも、どうして人間はそんな営みを、繰り返し繰り返し、続けていくのかな?』 ということなのです。 いったい、生きることって何なのでしょうか? 皆様のご意見をいただければと思います。 または、参考になる書物などをご存知でしたら、教えていただけますか? どうぞよろしくお願いいたします。
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すごく率直な意見を述べます。 「生きがい」って言葉がありますよね。自分にとって、楽しいことだったり、幸せな瞬間だったり。言葉の通りそれが人々の生きる意味だと思います。 じゃあ、「生きがい」が見つからなかったひとは?やっぱり生きがいを探すのです。どうにかして見つけようとします。正直はじめから「生きがい」がある人なんていませんよね。小さい子が「将来○○になりたい」という夢を抱きながら頑張って”苦痛な”勉強をやるのかもしれません。でも、やっぱり何とかして「生きがい」を見つけようとするのでしょうか? あるモンスターがいます。そいつがなぜか人間の言葉が理解できたのです。周りのモンスターはできません。母親ですら馬鹿な存在だと思うようになりました。人間は、村を作って国を作って戦争やって、、、とだんだんと変化していくうちに、その知的な人間に興味を持つようになりました。人間と仲良くなりたくて近づいていったらバケモノだということで攻撃されました。いつしかバケモノとして人間界に知れ渡るようになりました。自分の役目は”バケモノ”として人間を襲うことです。最後には人間の「英雄」と呼ばれる人に殺されてしまいました。「こうなるのはわかっていたのだけど。でも、バケモノとして死ぬことができた、、、と」 こんなお話の本があります。 この本のテーマはいろいろあるんですが、大きく分けると「ニヒリズム」とか「生きる意味」とかです。途中で竜に「生きる意味」について聞きにいくところがあるのですが、「生きることに意味などない」という竜の話を聞いて、自分がバケモノとして演じていくことになるのです。たとえバケモノとしてでも自分が生きていた証がほしかったのです。 少し暗い話に脱線してしまいましたが、結局のところ生きる意味はわかりませんね。ただ、「生きがい」を見つけることと、なんとかして「生きていた」という証を見つけることに必死になる行為そのものが生きる目的のような気もします。だから、「生きがい」ってのも自己完結しないのであって、社会というものが必要だったり(だって、自分が死んだときに「あの人が生きてた」っていう証人になるのですから。) 逆に言えば、あなたが周りの人これまで人生であった人すべてが生きていたという証人になるのでしょうかね。私も含めて。だったら、できる限りよいことしてよい事していきたいと思いますね。そうするとやっぱり80年そこらの人生では短いような、、、。 まあ、気まぐれなはなしです。専門的に知りたければそれこそ「ニーチェ」とかいろいろな哲学でしょうか。聖書とかの宗教の意義もこの辺にすごく絡んでくると思います。まあ、気まぐれでというなら適当に新書をあたればいくつかありますよ。 ただし、答えなる答えがあるかはわかりませんが突き詰めるとなんとなく自分なりに納得できるようになる。それがおそらく答えなのかと。 ちなみに、生物学的に言えば個体はともかく人類としては「子孫を残すこと」自体が生きる意味=生きる行為です。つまり、DNAの複製であって、誕生から老化から新たな子孫の誕生から死までのそのサイクルを時間の流れの中で絶えずひたすらつなげていく行為=すなわち生きている行為そのもの、が生きる目的なのでしょう。もちろん、これはまだわかっていないですし、ある意味科学の究極的問題でもありますが。
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- nyon-tan
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死にたくないから生きるんです 人生を楽しめる楽しめないとは別次元の話ですけどね
お礼
ご意見どうもありがとうございます。 >死にたくないから生きるんです 明快なご回答をいただき、どうもありがとうございました。
- little-m
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人間は(生物は)何かの意味があって生まれてくるのではないと思います。自然に何の意味もなく、ただ生まれてくるのです。 しかし、生まれてきてある程度考えるようになると、生きている中で生じる様々な辛さや出来事によって、自分の生きている意義を見つけたくなるのではないでしょうか。しいて言えば、幸せになるために(土に戻る時、幸せだったと死ねるために)生きているのでは。そして幸せになるためには意義を見つけたくなるのではないでしょうか。
お礼
ご意見どうもありがとうございます。 >人間は(生物は)何かの意味があって生まれてくるのではないと思います。自然に何の意味もなく、ただ生まれてくるのです。 そうですね、この点に同意いたしました。 ご意見どうもありがとうございました。
私もある本に出会うまでは、なぜ人は生きるのか、全くわかりませんでしたが、ある本を読んだらそれが書いてあって、しかも納得できたので、本当に宝物を発見した心境そのものでした。 それは、人間は神仏により造られ、それは神仏は人間を育んで行くことに喜び・幸福を味わうことができるし、子供である人間は神仏に育まれ神仏へと成長して行けることそのものに喜び・幸福を感じることができるから、と書いてあったのです。 私はこの記述に驚きながらも、この本の記述は本当か否か、を、その後もその著者の本を検証しつつ読んで行くことで確かめて行きましたが、その著者の真意に真実を感じることができたので、紹介させて頂いたというわけです。 また、その後、上記の著者本以外にも、上記の本の趣旨と合った本が色々あることもわかり、確信を深めることができました。 冒頭の本は「太陽の法」、それ以外の本は「エドガー・ケイシー地球卒業者18人の過去生」や、江原啓之氏等の本です。
お礼
ご意見どうもありがとうございます。 「生きること=成長することとその喜び」ということでしょうか。 確かに納得できる面がある気がします。 >冒頭の本は「太陽の法」、それ以外の本は「エドガー・ケイシー地球卒業者18人の過去生」や、江原啓之氏等の本です。 本をご紹介いただきありがとうございます。参考にさせていただきます。
- ryosuke-u
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こんにちは。 母親が幼子を育てる。自分が思うのは、これが生きる意味です。 もし母親がいなくなったら、幼子はどうなるでしょうか? そこに母親の「利己」はなく、 我が子という自分以外の可愛い存在ために生きる「利他」が存在します。 自分のために生きて、血を分けた人たちのために生きて、 最後は他人、あるいは世の中のために生きる。 そこに喜びが湧いてきます。喜びが湧くように人間は創られている、そう思います。 生まれて育って、働いて苦労して、恋をして子孫を残して、やがて老いて死んでいく。 その繰り返しの先に何があるのかは、人間の想像を超えた領域だと思いますし、考えても無駄だとさえ感じます。 人のために生きる、そこに意味が見えてくるのでしょうね。 この世を楽しんで生きる。そして達成感を味わう。 これが人間が成し遂げるべきテーマなのだと思います。 これはやはり、自己満足だけでは得られないからこそ深いテーマなのでしょう。
お礼
ご意見どうもありがとうございます。 >自分のために生きて、血を分けた人たちのために生きて、 最後は他人、あるいは世の中のために生きる。 そこに喜びが湧いてきます。喜びが湧くように人間は創られている、そう思います。 とても参考になるご意見ありがとうございました。
- ye11ow
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TVなどで著名人の方が亡くなるニュースを見るたびに、 「誰の人生にも必ず終わりがあるんだな」と実感します。 そういえば、私の父も春ごろ他界しました。 結局、人を含め、生けとし生けるものは皆、 「生きていられる間だけ生きているもの」なのでしょう。 絶対的な「生」の意味はなく、あるとすれば、 個人の思い込みによって生じる「意味」のみです。 この「意味」を与えるのは、個人の美意識かもしれません。 春にお花見で見た桜の花は、やがてあっと言う間に散ってしまいましたが、 あのように華麗に咲いた花は、すべて無駄だったのでしょうか? 夏の暑い頃、「ミンミン」「ジージー」などと鳴いていた蝉も、 夏の終わりごろには、皆地面に落ちて死んでしまいました。 地面から出て一夏で死んでしまうなんて、無意味な生だったのでしょうか? それとも、それらは季節の到来を知らせる景色や音を届けてくれるという、 ささやかながらも欠かせない使命を果たしてくれたのでしょうか? 桜は桜で、蝉は蝉で、良い生涯を送ったのかもしれません。 生を意味あるものとして尊重できるかは、そのへんの感覚かもしれません。 ここで、人間自身のことに目を移しますと、 空腹を感じた時、食事をすることで、気持ちよく満たされます。 また、肺を膨らませたり、へこませたりし、呼吸をすることで、 酸素を取り入れ、生き続けることができます。 ちょっと呼吸をやめてみます。「・・・!!(ぐるじい)」 呼吸をして生きることは意味がないわけではないような気がします(ふう)。 いつか死ぬと分かっていてもです。・・・そういうのもありますね。 今は毎年変わり映えがしない、春・夏・秋・冬を楽しむことができますが、 間違いなく、今生きている人は、いづれすべて死んでしまいます。 いつか、全生物は環境破壊や気候変動で死に絶えてしまうかもしれません。 であればこそ、今生きていられることに意味を見い出せそうな気もします。
お礼
ご意見どうもありがとうございます。 なるほど、確かに桜(やセミ)に対して、 「何ですぐに散るのがわかっているのに、毎年毎年、懲りずに咲いてくるのかねぇ?」 などと冷たく考えたことはない気がします(^^;。むしろそのはかなさを美しく、またいじらしく思ってしまいます。 考えてみれば、人間だって同じような存在なのですよね。
ズバリ 人のお役に立つために生きるのです。 自分が生きてることで、自分が行った行動で人の役にたつために 神(仏)より、生命を授かりこの世に生まれてきたのです。 人のために役にたつ人生を送る、、、これが生きるということです。 「自分のため」だけに生きてる人は必ず行き詰まります。 「人のためにお役にたとう」とする人には喜びが感じられ、 生きる張り合いを感じます。 「人」という字は、支え合っている字です。 鬱になる人は、往々にして「自分」のことしか考えてない人が多いです。 人は何のために生きるのか」の答えは 「他人(家族、兄弟も含む)のお役にたつため」に生きるのです。 他人に喜んでもらった時、その他人の喜びが自分に返ってきて 自分の生きる喜びの素になります。 自分の持ってうまれた素質や特徴を生かして 他人のお役にたつ生き方をしましょう。 それは、先祖代々受け継いだ「国」のためにもなります。 祖国を失ってしまったら、生きるという張り合いもなくなります。
お礼
ご意見どうもありがとうございます。 >自分の持ってうまれた素質や特徴を生かして 他人のお役にたつ生き方をしましょう。 明快でとても参考になりました。
- kasanyo
- ベストアンサー率22% (154/693)
たぶん、死ぬ時にわかるのではないでしょうか。 死ぬ時に自分の生きざまが蘇ってきて 結果オーライだったらすべて良し。 後悔のないように、今を存分に生きることが大切ではないでしょうか。
お礼
ご意見どうもありがとうございます。 なるほど、人は死を前にした時、今までの人生を走馬燈のように思い出す・・・といいますよね。 そして、今を存分に生きることは、本当に大切ですね。
- ひろ(@herosh)
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人はなぜ生きるのだろう? 自殺願望のない私も考えることがあります。遺伝子の命令で生きているのかもしれないと空虚に思うこともあります。それを考えること自体が哲学ですね。 私にとっても1つの回答となる本がありました。「夢に日付を」です。人間は夢をかなえるために生きている。それはどんなささいな夢でもよい。答えの全てではないですが影響を受けましたので興味があれば読んでみて下さい。
お礼
ご意見どうもありがとうございます。 「夢に日付を」をご紹介いただきどうもありがとうございます。ぜひ読んでみたいと思います。 「夢」や「生きがい」というのは、生きることを考える上でのキーワードなのかもしれないですね。
- sousousou
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28歳、女です。 私も疑問に思っています。 例えば神様と言われるような人が現れて 意味を教えてくれたとしても皆信じないのではないかと 思います。 本で読んだ事があるのですが、「地球」は人間よりももっと 別の存在の人のおもちゃだと・・・。 地球と言うおもちゃの中に、駒である人間が住んでいて 個人個人遊びをしてる。それを別の存在の人が見て楽しんでると いうような内容でした。 私は子供ながらに、落ち込んだり、喜んだりしてる姿を 別の誰かが見て楽しんでるんだー何て思ってました。 ふと、生きるって何って考えますね。 誰もが考えてるんでしょうね。でも答えが出なくてやめる。 あえて答えを出すなら、意味なく生きてるが私の中の答えですね。
お礼
ご意見どうもありがとうございます。 >本で読んだ事があるのですが、「地球」は人間よりももっと 別の存在の人のおもちゃだと・・・。 地球と言うおもちゃの中に、駒である人間が住んでいて 個人個人遊びをしてる。それを別の存在の人が見て楽しんでると いうような内容でした。 このお話、とても興味深いですね。 『トゥルーマン・ショー』という映画や、『ソフィーの世界』という本も、このお話と似た部分があることを思い出しました。これをきっかけに、もう一度読んでみようかと思います。ありがとうございました。
>いったい、生きることって何なのでしょうか? 人間が常に進歩していたいからです。 それぞれの人種がさまざまな経験、体験、感動を経て人類の進化に貢献をするということだと思います。 繰り返しといっても人の感じている日常までは比べられません。 愛や感動はそのひとつです。 出会いや別れにその人だけの思い出を作っていくわけです。 ノーベル賞をとる人もそうでない人も何らかの影響をお互いに受け合い、 必要とされながら生きていくのだと思います。
お礼
ご意見どうもありがとうございます。 >それぞれの人種がさまざまな経験、体験、感動を経て人類の進化に貢献をするということだと思います。 非常に明快なご回答ありがとうございました。 「個」のレベルで生を考えると答えがなかなか見つからないのですが、「人類の進化」というレベルで生を考えると、生きている意味にも納得がいきます。
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お礼
ご意見どうもありがとうございます。 モンスターのお話、非常に興味深かったです。 「生きがい」や「生きてきた証」という言葉は、人の生きる意味を考える上でのキーワードになりそうですね。 また、生きる意味を生物学的に考えると比較的シンプルに答えが出るのだなと思いました。人類の子孫を残すためのバトンに自分も関わっているのだと思うと、自分が生きている意味ってやっぱりあるよな~と思えました。