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歴史について
歴史を否定すると大概「温故知新」「賢者は歴史に学ぶ」といった回答が返ってきます。 今日は終戦記念日ですね。 僕は歴史をそれほど重視していませんが、歴史の勉強は好きな方です。 ただ、例えばマリー・アントワネットが「パンがないならケーキを食べれば良いじゃない」と言ったいうのは当時のフェイク・ニュースであるとされています。このフェイク・ニュースは人々の憎悪を煽りました。 僕が歴史をそれほど重視しないのは、上のような事例があるためです。 坂本龍馬が明朗な性格としてドラマとかで出てきますが、それは司馬遼太郎の「竜馬が行く」でそういう風に描かれていて、実際はそれほど明朗ではなかったとも言われています。 僕は歴史よりも数学とか英語の方が重要だと思っています。 もちろん趣味で歴史のドラマを観たり、ゲームをするのは否定はしません。 ただ、やっぱり偏見かもしれませんが数学が出来る人の方が賢いような感じがします。 皆さんの意見などを聞かせて下さい。
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仰せのご指摘は「なるほど」と思いますが、それとは違う歴史学者の主張をご紹介させてください。それは我々(現代人)の行動への警告のようなものです。著名な歴史学者は言いました。「我々は、人類の未来を思うがゆえに過去という倉庫を渉猟する。(…)歴史は、《~せよ》という積極的な教えは与えてくれないが、《~してはならぬ》という消極的な教えを与えてくれる」、と。 こうやって歴史は我々に警告を発している、と読むことができる、というのです。それにも関わらず、現在世界のあちこちで紛争が絶えないのは、歴史に学ぶ姿勢の欠如のしからしめることではないか、というのです。 かのアインシュタインは言いました。「無限なものに2つある。宇宙の広がりと人類の愚かさである。しかし、私は前者については確信がない」、と。つまり、人類の愚かさについては確信がある、というわけです。我々はしかと歴史に学んで、これらの歴史学者や天文・物理学者の苦悩や警告に対して、真摯に耳を傾けるべきではないでしょうか。
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- nagata2017
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重要さで言うと 国語です。言語です。 言葉がなければ どんな学問も成立しません。 数学でも 問題文の意味を理解できなければ 問題は解けません。 ロゼッタストーンが発見されても 言葉がわからなければ ただの石榑です。
お礼
- makaay10
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歴史を知るって事は年号を暗記する事ではなく人が何を考えどのように行動してその結果で何が起きたかを考察して人や未来を知る学問。歴史で知った事を応用して現実に活かせる人間は少ないので賢者にこそ役立つ学問。回答者に役立っている!と言い切れないのは回答者が日本の政治家と同じ無能な凡人だからです。 日本はアメリカを模倣した社会だからアメリカの抱えた社会問題の多くが少し遅れて発生する。アメリカの社会が抱えてきた問題を歴史として学ぶ事に意味がないか?と聞かれたら確実に有意義って言えます。DV・ストーカー・ハラスメント問題・貧富の格差なんかは日本より先にアメリカで問題視されているわけで、起きる前に法を整備する事だって可能でしたから。 国民が学ばなくなった国の末路を歴史できちんと学んでたらゆとり教育なんかやらない。日本の現状は国のリーダーが歴史から学ばなかったゆえの未熟な判断のツケを今の若い世代に押し付けてるって言う事も出来ると思いますし、回答者は「ゆとり教育を推進した奴らは土下座して国民に詫びろ!」って思ってますよ。 もし日本人が歴史を学ばなくなったらゆとり教育第2弾みたいな事をやりかねないし、そういう人間が出た時に国民が批判して止める動きはみせないのしょう。さすがに次に同じ事をしたら国が滅びますけど。理系の学問が大切なのは同意しますけど、学問として残るには残るだけの意味はあると回答者は思ってます
お礼
- staratras
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歴史について様々な感じ方・考え方が存在することは当然でしょうし、また多くの学問の中で何を最も重要だと考えるかは人によって違い、万人が納得できるような「統一ランキング」があるわけでもありません。また学問は学校時代の教科とは異なります。 ただ、さまざまな学問の中でも歴史学は一種独特の位置づけのユニークな学問だと思います。それは天文学や地震学、生物学など自然科学の研究においても「過去に起きた事実」の検証のためには歴史学が重要だということです。 実際に超新星(super nova)の研究にも巨大地震大津波の研究にも歴史学は役に立っています。また江戸時代の18世紀に肥後の殿様が打ち殺された年月と身体各部の寸法入りで精密に描かせたニホンオオカミの写生図は絶滅した動物の貴重な史料です。さらにすべての学問にはそれ自体の歴史(◯◯学史)があります。そうした意味からも荻生徂徠が主張したように「学問は歴史に極まる」と言えるかもしれません。 日本の民俗学の祖と言われる柳田國男は、何のために歴史を学ぶ必要があるのかに関して戦後間もない1953年に次のように述べています。【雑誌「改造」「歴史教育について」(定本柳田國男集 24巻所収)】 「社会科の初期の課程は、今と昔の差異、今ある物の原因は必ず以前に在り、それも大部分は人間の選択で、そうはならずにすむ場合もたしかにあったのだということを、次々と自分で心づかせて、それを将来の政治行動、殊に年々の選挙の判断に役立たせるようにしたいものである。国の失敗は大も小もすべて取り返しのつかぬ過去の事だとは言いながら、それを再びせぬ用心の為のみならず、逆にこの経験を活用して、偉大なる再建を為し遂げる場合も必ず有り得る。」(引用終わり) 70年以上昔に柳田國男が主張したことは、今も本質的には変わっていないと思います。というより戦後80年を目前にしてますます重要になっているとも言えるでしょう。 学校で、なぜ歴史を学ぶ必要があるのかといえば、過去を知ることにより現在・将来の選択に資するためです。過去の歴史を知らなければ、未来に向けてどのような選択が適切であるかを判断する能力が備わりません。そのためには歴史という教科を、細かな枝葉の知識を覚えさせる教科ではなく、太い幹をじっくり考えさせるような教科にすることが大切だと考えます。「歴史は暗記科目」というのは表面的・一面的な単純すぎる見方です。
お礼